騒動の街
避難民で溢れる大きなヴァラに到着した。
聖火消滅の報せが南方にまで広がり、各地から人が流入している。城壁の中は過密状態で、市場は怒鳴り声と泣き声と祈りの声で満ちていた。露店が通りにはみ出し、荷車が道を塞ぎ、子供の泣き声が石壁に反響している。人の密度が、これまで通過したどのヴァラよりも高い。
門をくぐった瞬間、キアンの真実視が悲鳴を上げた。
赤い色彩の洪水だった。数百人、いや千人を超える人間の嘘が一斉に視界に流れ込んでくる。商人の嘘、避難民の嘘、兵士の嘘、母親の嘘、子供の嘘。大小さまざまな嘘が赤い色彩となって重なり合い、視界全体を赤い霧で覆い尽くしている。息ができない。赤い霧を吸い込むたびに、頭の奥が軋む。
スラオシャの鈴が鳴った。肩の鈴から澄んだ音が広がり、キアンの周囲に薄い防壁を張ろうとする。だが──抑えきれなかった。人数が多すぎる。鈴の音が赤い霧に呑まれ、かき消される。四人程度の中では効いた鈴の音が、千人規模の群衆の前では無力だった。
代償(c)が──爆発的に増幅した。
キアンの存在が、周囲の人間の自己欺瞞を強制的に剥がし始めている。門をくぐってからの空気の変化は、キアン自身にも感じられた。自分の周囲半径数十歩の空気が──張り詰めている。見えない力が外に漏れ出している。止められない。制御が効かない。
最初は一人だった。
キアンの近くを通った商人が、突然立ち止まった。自分の店の品物を見つめ、手に取った布を凝視している。目が見開かれ、口元が震え始めた。
「実は──品質を偽っている。この布は三級品だ」
独り言のように呟き、自分で驚いた顔をした。言うつもりはなかったのだ。口が勝手に動いた。自分の声に自分で怯えている。商人が顔を上げ、周囲を見回した。何が起きたのかわからない。だが口から出た言葉は──真実だった。キアンの真実視にも、白く映っていた。
連鎖が始まった。
商人の告白を聞いた客が、隣の露店の商人を睨んだ。「おまえもか」と。その視線が引き金になったように、隣の商人もまた口を開いた。
「税を誤魔化していた。三年前から」
声が広がった。キアンの周囲を通る人間が、次々と──自分の秘密を口走り始めた。
兵士が震える声で言った。
「本当は怖くて仕方がない。聖火が消えて、もう守るものがわからない」
妻が夫に向かって叫んだ。
「あなたを愛していない。ずっと嘘をついていた」
夫が崩れるように膝をつき、妻が自分の口を押さえた。言うつもりはなかった。言いたくなかった。なのに──言葉が、勝手に出た。キアンの存在が、彼らの自己欺瞞を内側から剥がしている。自分に嘘をついていたことを、自覚させている。自覚した瞬間──嘘は口から溢れ出す。隠していたものが、堰を切ったように流れ出す。
告白の連鎖が市場を駆け抜けた。半径が広がっている。キアンが立っている場所から、波紋のように影響が外に広がっていく。一人の告白が隣の人間の自己欺瞞を刺激し、その人間の告白がまた別の人間を刺激する。キアンの代償(c)が引き金を引き、連鎖反応が勝手に拡大していた。
告白が口論になった。
「おまえ、品質を偽っていたのか!」
「おまえだって税を──」
「黙れ! おまえに言われたくない!」
口論が怒鳴り合いになった。怒鳴り合いが──殴り合いになった。
市場が崩壊していく。露店が倒され、商品が散乱した。家庭の秘密が路上で叫ばれ、商売の裏が暴かれ、隣人同士が拳を振り上げている。子供が泣き叫び、母親が子供を抱えて逃げ惑う。秩序が──嘘で保たれていた秩序が、真実の暴露によって一気に崩壊した。
キアンは動けなかった。自分の存在が引き起こした惨状を、真実視が容赦なく視せている。赤い色彩が剥がれ、その下から醜い真実が次々と露わになっていく。嘘で覆い隠されていた人間関係の脆さ。嘘で繋がれていた社会の虚構。それらが一斉に暴かれ、崩れ落ちていく。
「走れ!」
アタルの声が切り裂くように響いた。老人の声にいつもの穏やかさはなかった。命令だった。
スラオシャとアナヒドがキアンの両腕を掴んだ。スラオシャの手は冷たく、アナヒドの手は温かかった。二つの手がキアンを引き、門へ向かって駆け出した。人混みを縫い、倒れた露店を飛び越え、怒鳴り声と悲鳴の間を走り抜けた。門を抜け、城壁の影を離れ、荒野の開けた場所まで走った。
アナヒドの顔が蒼白だった。共感力が、ヴァラ中の人間の苦痛と怒りと悲しみを一斉に受信していた。走りながら何度も足が縺れ、スラオシャが支えていた。
城壁から十分に離れたところで、四人は足を止めた。キアンの膝が笑っていた。走ったからではない。自分の存在が引き起こしたものの重さに、脚が耐えきれなかったのだ。
振り返ると、城壁の中から怒鳴り声と悲鳴が漏れ聞こえていた。遠い。だが確かに聴こえる。人々が互いを傷つけ合う音。秘密が暴かれ、信頼が崩壊する音。嘘で保たれていた社会が、真実の暴力に引き裂かれる音。
騒動はすぐには収まらない。暴かれた秘密は元に戻らない。壊れた信頼は修復できない。あの商人は明日から客に信用されない。あの夫婦は今夜から同じ寝台で眠れない。あの兵士は仲間の前に立てない。キアンが通り過ぎただけで──それだけのことが起きた。
キアンが膝をついた。
乾いた土に両手をつき、頭を垂れた。指が砂を掴み、爪の間に砂が食い込んだ。視界が滲んだ。涙ではない。真実視が暴走しかけている。焦点化を試みたが、白い基準点が見つからない。アタルの色は透明で、スラオシャの色は灰色で、アナヒドの色は──キアンの苦痛を受信して歪んでいた。白が、どこにもない。
嗄れた声が──震えていた。
「俺がいるだけで──人が壊れる」
その言葉は白かった。真実だった。喉が灼けなかった。それが何よりも──キアンを打ちのめした。嘘であってほしかった。自分の存在が人を壊すなどという言葉は、嘘であってほしかった。だが真実視は残酷に、それを白と視せた。
アタルが沈黙していた。スラオシャが沈黙していた。アナヒドが──蒼白な顔で、キアンの背中を見つめていた。何か言おうとして、言葉が見つからなかったのだろう。共感力が、キアンの絶望を同時に受信している。彼の痛みが、彼女の痛みになっている。その構造が──もう一つの残酷さだった。キアンが苦しめば、アナヒドも苦しむ。キアンの存在が周囲を傷つけ、傷ついた周囲の痛みをアナヒドが受け取り、アナヒドの苦痛がまたキアンを苦しめる。閉じた回路。出口のない痛みの循環。
城壁の向こうから、まだ怒鳴り声が聴こえていた。




