四人の旅路
四人旅が始まった。
ヴァラの市場に立ち寄ったとき、スラオシャが値切り方を知らないことが発覚した。露店の商人が干し肉の値段を告げると、スラオシャは懐から銀貨を取り出し、提示された額をそのまま支払おうとした。
「馬鹿か。それは言い値だ。半分から交渉を始めろ」
キアンが嗄れた声で止めに入った。スラオシャの手から銀貨を取り上げ、商人に向き直る。喉が灼けなかった。これは嘘ではなく、交渉の作法だ。値切りは嘘とは違う──と、キアンは自分に言い聞かせた。
スラオシャは真剣な顔で首を傾げた。微かに尖った耳が困惑するように揺れている。
「なぜ価格が一定ではないのですか? 物の価値は客観的に決まるものではないのですか」
「市場ってのはそういう場所じゃないんだよ」
「では市場とは嘘をつく場所なのですか」
キアンは言葉に詰まった。ある意味、正しい。商人は商品の価値を高く見せ、客は低く見せる。互いの嘘が交差する場所が市場だ。だがその嘘は、社会を動かす潤滑油でもある。言い値と値切りの間で落ち着く価格が、双方にとっての「合意」になる。嘘が生む合意。真実だけでは成立しない取引。
「嘘をつく場所ではない。……互いに折り合いをつける場所だ」
喉が灼けなかった。キアンは少し驚いた。自分の口から出た言葉が、思いのほか真実に近かったことに。
アナヒドが口元を押さえて笑った。銀壺を胸に抱えたまま、目を細めている。アタルが穏やかに微笑み、「スラオシャには人間社会は難しかろうな」と呟いた。老人の声に親しみがあった。スラオシャの世間知らずを知った上での、長い時間に裏打ちされた親しみだった。
三千年間、死者の魂を見守り続けた守護者は、生きている人間の営みについて何も知らなかった。値切りも、冗談も、嘘をつく理由も。その純粋な無知が、奇妙な清々しさを旅にもたらしていた。
四人の力が補完的であることに気づいたのは、街道で崩れた橋を前にしたときだった。
石造りの橋が半壊し、河を渡れなくなっている。対岸に続く道が途切れ、旅路が塞がれた。四人が足を止めたとき、四つの視座が異なる情報を提供した。
キアンが真実視で橋を視た。残った石組みに嘘の赤が滲んでいる。
「この橋は嘘をついている。見た目より脆い。残っている部分も──内部が空洞になっている」
アナヒドが対岸に目を向けた。銀壺の水面が微かに揺れている。
「向こう岸に苦しんでいる人がいます。怪我をしているかもしれません」
スラオシャが耳を澄ませた。微かに尖った耳が橋の残骸に向けられる。
「橋が軋む音の中に──まだ渡れる響きがあります。上流に、水音の浅い場所が聴こえます」
アタルが老いた目で周囲を見渡した。
「別の道がある。火の導きを辿れ」
老人が指差した先に、獣道が伸びていた。他の三人には見えなかった道が、アタルの目には見えている。
視る。感じる。聴く。照らす。四つの異なるアプローチが、一つの問題を多面的に捉えた。キアンが構造の虚偽を暴き、アナヒドが対岸の人間の苦痛を感知し、スラオシャが環境の音から活路を聴き取り、アタルが経験と直感で代替路を示す。一人では見えなかった全体像が、四人で初めて浮かび上がる。
上流の浅瀬を渡り、対岸で怪我をしていた旅人をアナヒドが治癒した。銀壺の水を傷口にかけると、淡い光が走り、裂傷が塞がっていく。旅人は礼を言って去った。小さな出来事だった。だがキアンは、四人で問題を解決するという経験が──悪くないと感じた。喉は灼けなかった。嘘ではなかった。
もう一つの発見があった。
キアンの代償(c)──人が近くにいると自己欺瞞を暴いてしまう力──を、スラオシャの鈴の音が緩和できることがわかったのだ。街道沿いの茶店に立ち寄ったとき、キアンの近くに座った客の表情が僅かに歪み始めた。自己欺瞞が表面に浮かび上がろうとしている。代償(c)の発現だ。キアンが身を引こうとしたとき、スラオシャの肩の鈴が鳴った。
澄んだ音が空気を震わせた。その瞬間、客の表情が元に戻った。代償(c)の漏出が──抑えられている。完全ではない。大人数の中では効かないだろう。だが四人程度の規模であれば、鈴の音がキアンの力の漏出をわずかに和らげる効果がある。
「僕の鈴は、魂を橋へ導くためのものです」
スラオシャが説明した。
「魂を鎮める力があります。あなたの力も、ある種の魂の動きですから──多少は」
キアンにとっての安全圏が一つ増えた。アタルの傍にいることで得られる安定に加え、スラオシャの鈴が代償(c)を緩和する。四人でいるとき、キアンの力は少しだけ穏やかになった。
四人が街道を歩く。日差しが傾き始め、乾いた風が砂埃を巻き上げていた。アタルが先頭を歩き、アナヒドとスラオシャが並び、キアンが少し後ろを歩いている。四つの影が街道に伸びている。三人の旅が四人になっただけだ。一人増えただけだ。なのに──空気が違った。
初めて──賑やかな旅路だった。スラオシャが道端の花を指差して「これは食べられますか」と訊き、アナヒドが「それは毒草です」と答え、アタルが「昔は薬にも使ったがな」と付け加える。キアンは黙って聴いていた。三人の声が重なる旅路。騒がしいとまでは言わない。だが沈黙だけで構成されていた三人の旅に比べれば、確かに賑やかだった。
スラオシャが微笑んだ。灰緑色の目が穏やかに細められている。
「旅は楽しいものですね」
「楽しいもんかよ」
キアンが返した。
喉が灼けた。
嘘だった。楽しかったのだ。四人で歩く街道は、三人のときよりも少しだけ軽かった。足取りが。空気が。そして──キアン自身の心が。認めたくなかった。認めれば、失うことが怖くなる。楽しいと認めた瞬間から、この旅路が終わることを恐れ始めなければならない。だから嘘で覆う。いつものように。
喉の痛みが、嘘の証拠として残った。




