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嘘つきは真実を灼く ~七つの聖火と嘘喰いの孤児~  作者: 蒼月よる


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旅路の選択

 ドゥルジ・ナスが去った後、キアンは街道を歩きながら、自分の中で何が変わったかを整理しようとした。


 思考が纏まらなかった。善悪の単純な構図に疑問が生まれていた。嘘が純粋な「悪」ではないかもしれない。嘘は人を守り、嘘は社会を繋ぐ。老婆の嘘は自分を守り、父親の嘘は娘を守り、指導者の嘘は街を守った。そしてドゥルジ・ナスの嘘は、疫病の村を守った。事実の羅列が、善悪の境界線を侵食していく。


 だがそれなら真実は何なのか。


 真実が人を壊すなら、真実は「善」なのか。キアンの代償(c)は人々の嘘を壊し、混乱を引き起こした。集落で住民たちが互いの秘密を暴き合い、石を投げてキアンを追い出した。真実を強制することが人を傷つけるなら、真実の価値とは何だ。キアンの真実視は善の力だと教わった。アシャの光だと教わった。だがその光が人を灼くなら、それは──善なのか。


 答えのない問いが、胸の中に住み着いた。消化できない塊のように、思考の底に沈んでいる。呼吸するたびにその塊に触れ、鈍い痛みが走る。


 夜営の焚き火で、キアンはドゥルジ・ナスとの対話の全容をアナヒドにも伝えた。


 これまでは断片的にしか話していなかった。ドゥルジ・ナスが嘘で疫病の村を守ったこと。「どちらが悪だ」という問い。嘘つき同士だという指摘。そして最後の接触──自分の過去の嘘を否定しなくていいという言葉。かつてただの精霊だったという告白。「分類された」という悲しみ。すべてを、順を追って語った。


 語りながら、キアンは自分の声が平坦になっていくのを感じた。感情を込めると喉が灼けるかもしれない。ドゥルジ・ナスへの共感を「敵への理解」として語るか、「自分の弱さ」として語るか。どちらにしても、完全な真実にはならない。だから感情を削ぎ落とし、事実だけを並べた。それすら嘘に近い行為だと、キアンは気づいていた。


 アナヒドは聞き終えた後、しばらく黙っていた。焚き火の光が彼女の顔を照らし、深い青の瞳が揺れている。三つ編みの端を指先で弄る──考え事をするときの癖だと、キアンはいつの間にか知っていた。彼女の癖を覚えている自分に、微かな驚きがあった。人の細部を覚えるのは、嘘をつくための習慣だったはずだ。だがアナヒドの癖を覚えたのは、嘘のためではなかった。


「嘘が人を守ることがあるのは……私も知っています」


 アナヒドが静かに言った。声は穏やかだが、いつもの包み込むような柔らかさとは少し違う。自分自身に向けた言葉のように聞こえた。


「痛みを感じていないふりをすることも、嘘ですから」


 キアンはアナヒドを見た。焚き火の光に照らされた横顔に、疲労の影がある。目の下の隈。血色の薄い唇。共感力で他者の苦痛が流れ込むたびに、それを「大丈夫」と隠してきた顔。アナヒドもまた嘘つきだった。キアンとは違う種類の嘘つきだが、嘘で自分を守っている構造は同じだ。キアンの嘘は攻撃と防御のための嘘だった。アナヒドの嘘は、他者を心配させないための嘘だった。動機が違う。だが嘘であることに変わりはない。


 キアンの真実視がアナヒドの言葉を視た。白い光。真実だった。アナヒドは自分の嘘を──痛みを隠す嘘を──認めている。認めた上で、それが必要だったと理解している。嘘を悪だと断じることができない。自分自身が嘘つきだから。


 三人の間に、沈黙が落ちた。焚き火の薪が爆ぜる音だけが、夜の荒野に響いている。


 キアンはアナヒドの横顔を見つめた。この人も嘘をついている。だが彼女の嘘は──キアンのような生存のための嘘ではなく、他者を傷つけないための嘘だった。痛みを隠す嘘。弱さを見せない嘘。それは優しさの裏返しであり、同時に自分自身を蝕む毒でもある。キアンの嘘が盾であり檻だったように、アナヒドの嘘も包帯であり拘束だった。傷を隠す包帯が、やがて傷口に貼り付いて剥がせなくなる。


 三人ともが、それぞれの嘘を抱えている。キアンは生存の嘘を。アナヒドは献身の嘘を。そしてアタルは──キアンの真実視でも読み取れない、透明な空白を。あの空白もまた、一種の嘘なのかもしれなかった。


 アタルが方向を示した。


「南へ向かう。次の大神殿を目指す」


 老人の声は変わらず穏やかだった。赤みがかった瞳が焚き火の光を映し、深い場所から物事を見つめている。善悪の問いに揺さぶられるキアンとアナヒドを見守りながら、アタルは答えを与えない。問いを抱えること自体が、導きの一部であるかのように。灰の中にも温もりがあると言った老人は、二人が灰色の領域で迷うことを──許している。


 キアンは頷いた。答えは出ていない。善悪の問いも、嘘と真実の問いも、何一つ解決していない。ドゥルジ・ナスの「どちらが悪だ」という問いは、風に消えたのではなく、キアンの中に根を下ろしている。根を張り、芽を出し、思考のどこかで常に蠢いている。


 だが旅を止める理由にはならない。


 問いを抱えたまま歩き続ける。それが今のキアンにできる唯一のことだった。聖火は消え続けている。世界は変わり続けている。答えが出るまで待つ余裕はない。答えのない問いを胸に抱えたまま、足を動かすしかない。


 翌朝、三人が南の街道を歩き出した。朝の砂漠の空気は冷たく、乾いた風が外套の裾を揺らす。地平線に薄い雲が棚引き、朝陽が雲の端を赤く染めている。赤い光と白い雲。その境界が曖昧に滲んでいる。


 キアンの視界には嘘の色が揺れている。以前と同じ色のはずだった。赤い嘘と白い真実。黒い虚偽と灰色の自己欺瞞。だが見え方が変わっていた。以前は赤と黒を見れば反射的に「嘘だ」と判断していた。今は──赤の中の光が気になる。黒の濃淡が気になる。嘘の色の中に、意図を探してしまう。この嘘は誰かを守るための嘘ではないか。この虚偽は誰かの痛みを隠すための虚偽ではないか。善悪の確信が揺らいだ目で世界を視ると、すべてが灰色に近づいて見える。


 赤と白の間に、灰色の領域が広がっていた。キアンはその灰色の中を歩いている。善でも悪でもない場所。真実でも嘘でもない場所。答えのない問いが住む場所。


 足元の砂が風に流れ、三人の足跡が少しずつ消えていく。前だけを見て歩く。振り返っても、足跡はもう見えない。


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