嘘つき同士
ドゥルジ・ナスが三度目の接触を果たした。
廃墟を出た翌日の朝だった。乾いた街道を歩いていると、前方の岩の上に人影があった。赤紫の長髪が風に流れ、翡翠色の目が三人を見下ろしている。蒼白い肌が朝の光の中で異様に白く浮かび上がり、唇だけが不自然に赤い。美しい。だがその美しさの裏に、甘い腐臭が漂っている。花が開き切った直後の、崩壊が始まる寸前の美しさ。
今度はアナヒドとアタルの前にも姿を現した。隠れる気がない。街道の真ん中に降り立ち、三人を待ち受けていた。
アナヒドが銀壺を掲げ、水の浄化を構えた。水面が微かに光り、浄化の力が立ち上る。だがドゥルジ・ナスは動じなかった。微笑むだけだった。その微笑みには、相手の力量を正確に測った者だけが浮かべる余裕があった。
「やめなよ、あんたの水、もう薄いでしょ」
事実だった。アナヒドの手が震えた。銀壺の中の水が波立ち、浄化の光が不安定に揺らぐ。力の衰退を見抜かれている。ドゥルジ・ナスに悪意はなかった。嘲笑もなかった。ただ事実を述べただけだ。だがその事実が刃のように鋭い。アナヒドが唇を噛んだ。認めたくない事実を突きつけられた顔だった。
アタルが一歩前に出た。老人の赤みがかった瞳がドゥルジ・ナスを見据える。両者の間に、古い因縁の気配が漂った。だがアタルは攻撃しなかった。構えもしなかった。ただ見つめていた。
ドゥルジ・ナスが肩をすくめる。「相変わらずだね、火の爺さん」
アタルは答えなかった。その沈黙が、ドゥルジ・ナスに許可を与えたわけではない。だが止めもしなかった。キアンにはその沈黙の意味がわからなかった。
ドゥルジ・ナスがキアンに近づいた。一歩ごとに足元の草が萎れていく。踏んだわけではない。ドゥルジ・ナスの存在そのものが、周囲のものを朽ちさせる。変化の精霊。腐敗の女魔。その本質が、彼女の歩みに滲み出ている。
翡翠色の目が琥珀色の目を覗き込む。キアンの真実視が激しく反応した。ドゥルジ・ナスの周囲を取り巻く色彩──赤と白が螺旋のように絡み合い、灰色の帯が貫いている。嘘と真実が分離できない。善悪の判定が機能しない存在。初めて会ったときからそうだった。この女魔は、キアンの真実視の前提を根底から揺さぶる。
「ねえ、あんたも嘘で生き延びてきたんでしょ。孤児院で。嘘をつかなきゃ殺されてたんでしょ」
キアンの心臓が跳ねた。孤児院のことを知っている。具体的な事実を掴んでいるのか、それとも嘘で生き延びた者の気配を正確に読み取っているだけなのか。どちらにせよ、核心を突いている。キアンの過去の根幹──嘘なしには生きられなかった時間──を、この穢れの女魔は見透かしている。
「あたしと同じだよ」
キアンは否定できなかった。「違う」と言おうとして、喉が灼ける予感がした。違わないからだ。嘘で生き延びた。嘘が自分を守った。それは事実だ。孤児院の暗い廊下で、「痛くない」と嘘をつき、「怖くない」と虚勢を張り、噂を操り、秘密を取引し、嘘の網を張って生存圏を確保した。嘘がなければ死んでいた。
ドゥルジ・ナスの目に、奇妙な親しみが浮かんだ。嘘つき同士の共感。穢れの女魔と、嘘つきの少年。嘘で生き延びたという一点で、二人は繋がっている。その繋がりが、キアンの中に不快な温かさを生んだ。敵との共感。受け入れてはいけないはずの親近感。
ドゥルジ・ナスがキアンの耳元に顔を寄せた。甘い腐臭が鼻を掠める。花と腐葉土が混じったような匂い。死と生の境界の匂い。
「あんたの嘘は、あんたを守ったんだよ。嘘に意味がないなんて──嘘だ」
キアンの中で何かが揺れた。足元の地面が崩れるような感覚。立っている場所が確かでなくなる。善悪の二元論という地盤が、ドゥルジ・ナスの囁きで一層深く罅割れた。
嘘に意味がある。嘘がキアンを守った。それは事実だ。孤児院で殴られ、食事を奪われ、寝場所を追い出されたとき、嘘だけが盾になった。嘘がなければ死んでいた。真実を語れば殺された。「あいつが食い物を隠している」と告発されれば、集団で袋叩きにされた。だからキアンは嘘で自分を守った。嘘は生存の道具だった。道徳ではなく、呼吸と同じ次元の行為だった。
敵であるはずの存在の言葉に共感してしまう。それが一番危険だとわかっていて──止められなかった。ドゥルジ・ナスの言葉は攻撃ではない。理解だ。理解されることの方が、攻撃されるよりよほど恐ろしい。攻撃なら拒絶できる。理解は拒絶できない。
アナヒドが声を上げた。「キアン、離れて」
その声にキアンは我に返った。一歩後退る。だがドゥルジ・ナスは追わなかった。距離を取ったキアンを見て、満足そうに微笑んだだけだった。
ドゥルジ・ナスが去り際に振り返った。赤紫の髪が風に舞い、翡翠色の目が最後にキアンを映す。
「あんた、あたしに似てるよ」
甘い腐臭が風に消えた。ドゥルジ・ナスの姿が霧のように薄れ、街道に三人だけが残された。彼女が歩いた場所に、萎れた草が点々と続いている。腐敗の足跡。だがその足跡すら、しばらくすれば風に消えるのだろう。
沈黙が降りた。
アナヒドがキアンの傍に来た。何かを言おうとして、だが言葉を飲み込んだ。代わりにキアンの横に立ち、同じ方向を見つめた。ドゥルジ・ナスが消えた方角を。二人の間に言葉はなかったが、アナヒドの存在がキアンを現実に繋ぎ止めていた。傍にいるという事実だけが、ドゥルジ・ナスの引力に抗う錨になっている。
アタルが短く言った。「行くぞ」
三人は歩き出した。だがキアンの足取りは重かった。
ドゥルジ・ナスの言葉を否定できなかった。否定しようとすれば喉が灼ける。認めたくない事実を、真実視が許さない。キアンはただ、前を向いて歩きながら、自分の中に生まれた亀裂を感じていた。敵に似ていると言われて、反論できない自分が──何より恐ろしかった。




