消えた子ども
街道を逸れ、砂と岩の混じった道を半日歩いた先に、小さな村があった。
日干し煉瓦の家が十数軒、乾いた大地にしがみつくように並んでいる。壁は砂嵐で削られ、角が丸くなっている。屋根の日干し煉瓦が何枚か欠け、そこから乾いた空が覗いていた。井戸が一つ、家畜の柵が一つ、それが村の全てだった。聖火の加護も薄い辺境の集落。火壇すらなく、代わりに小さな灯明が村の中央の祠に灯されている。その灯明も弱々しく、風が吹けば消えそうだった。
村の入り口で、女が泣き崩れていた。
三十代半ばの痩せた女。褐色の肌に刻まれた皺は年齢以上のものに見える。労働と日差しと心労が顔に刻んだ溝。両膝を砂の上につき、肩が震えている。声が途切れ、途切れては再び嗚咽が溢れ出す。村人たちが不安そうに周囲に集まり、女を囲んでいた。誰も慰めの言葉をかけない。かける言葉がないのだろう。
「三日前に……息子が……」
女の声が嗚咽で途切れた。キアンの真実視が女の言葉を視る。白い光。嘘はない。母親の絶望は剥き出しの真実だった。飾りも隠蔽もなく、ただ裸の感情がそこにあった。灼けるような白さが、キアンの目を射た。嘘のない言葉は時として、嘘よりも鋭い。
息子は七つの男の子。三日前の昼過ぎ、村の外れで遊んでいるのを最後に姿が消えた。荒野に出たのか、誰かに連れ去られたのか、見当もつかない。村人たちは荒野を捜索したが見つからず、聖火の届かない領域には踏み込めなかった。聖火の光がない場所は穢れの領域であり、武器を持たない農民が踏み入れば命の保証はない。荒野の獣だけでなく、ドゥルジの穢れが精神を蝕む。大人でも長時間は耐えられない。まして七つの子どもが三日間も──考えたくなかった。
キアンは村人たちの証言を聞いた。
真実視が自動的に発動し、言葉の真偽が色として視界に浮かぶ。大半は白い──正直な証言だ。「その日は畑にいた」白。「子どもが走っていくのを見た」白。「井戸の方に向かった」白。断片的だが嘘はない。村人たちは自分の知る限りを正直に話していた。小さな村だ。全員が顔見知りで、子どもの行方不明は村全体の危機だった。
だが一人の男の言葉に、黒い染みが混じった。
四十過ぎの痩せた男。目を合わせず、腕を組んで壁にもたれている。日に灼けた顔に深い皺が刻まれ、指先が黄色く変色している。煙草を吸う手の色だ。他の村人たちが輪になって話す中、この男だけが壁際に立ち、一歩引いた場所から様子を窺っていた。
「子どもが最後にいたのは井戸の近くだ。そこから先は知らん」
黒い染み。嘘だった。男は本当の場所を知っている。黒い色が言葉の周囲に広がり、男の口元に纏わりつくように揺れた。
キアンの中で衝動が弾けた。こいつを追及すれば、子どもの居場所がわかる。口を開きかけた──が、アタルの手がキアンの肩に触れた。節くれ立った指が、しかし穏やかに肩を押さえる。
「焦るな」
老人の声は低く、キアンの耳にだけ届いた。囁きに近い声量だが、風に紛れない明瞭さがあった。
「視たものをどう使うか、考えろ」
キアンは唇を噛んだ。考えろ。嘘を暴くだけなら簡単だ。「おまえは嘘をついている」と指摘すれば、男は動揺するだろう。だがそれで子どもの居場所が出てくるとは限らない。追い詰めれば口を閉ざすかもしれない。逃げるかもしれない。嘘を暴くことと、真実を引き出すことは、同じではない。
嘘つきの知恵が動いた。
かつて孤児院で身につけた技術。嘘を見抜き、嘘で応じ、相手の本音を引き出す。正面からぶつかるのではなく、相手が自ら話したくなる状況を作る。キアンは嘘つきだ。嘘の構造を誰よりも知っている。
キアンは男に直接向かうのではなく、別の村人に話しかけた。子どもの遊び場所、村の外れにある建物、普段の行動範囲。真実視で嘘と真実を選り分けながら、情報を組み立てていく。村人たちの証言を繋ぎ合わせ、子どもが向かった方向を絞り込む。村の東に古い建物があること。子どもがそこに興味を持っていたこと。
やがてキアンは男のそばに戻り、何気ない口調で言った。
「村の外れに古い倉庫があるらしいな。あのあたりは子どもが迷い込みやすいんじゃないか」
男の表情が変わった。目が一瞬だけ泳ぎ、腕を組む力が強くなった。壁に押し付けた肩甲骨が微かに緊張している。真実視に新しい色が浮かぶ──動揺の灰色。キアンの言葉が核心に近いことを、男の身体が証明していた。
「あの倉庫は……誰も使ってない」
黒い染み。嘘だ。使っている。男の声が微かに上ずり、視線が一瞬だけ東の方角に向かった。
キアンは嘘つきの技術を使った。相手の嘘の構造を理解し、逃げ道を用意しながら本音を引き出す。追い詰めるのではなく、告白しやすい空気を作る。声のトーンを落とし、他の村人に聞こえない距離で話す。
「子どもの命がかかっている。倉庫のことは誰にも言わない」
喉が灼けなかった。「誰にも言わない」は嘘ではない。子どもを見つけるために倉庫の場所を知る必要があるだけで、男の秘密を暴く気はない。嘘をつかずに、相手に安心を与える。真実だけで構成された交渉術。
男の肩から力が抜けた。腕組みが解け、壁から背中が離れた。
「……倉庫は村の外、荒野の端にある。あそこに──子どもが迷い込んだのを見た。だが倉庫には……俺の、その……」
男が言いよどんだ。キアンの真実視が視る。灰色の曇り──罪悪感。男は倉庫に盗品を隠していた。近隣の街から盗んできた物資を貯蔵する場所だった。子どもが迷い込んだのを知っていたが、倉庫の存在を知られたくなくて黙っていた。子どもの命と自分の秘密を天秤にかけて、秘密を選んだ。その選択の重さが、灰色の罪悪感として男の周囲に漂っていた。
「わかった。倉庫の中身については聞かない」
キアンは短く言い、踵を返した。
アタルが静かに近づいてきた。老人の赤みがかった瞳がキアンを見つめ、微かに──本当に微かにだが──頷いた。言葉はなかった。だが頷きの中に、キアンの判断への肯定が含まれていた。嘘を暴くのではなく、嘘の構造を理解し、真実を引き出す。力の使い方として、それは正しい方向だった。
アナヒドが母親のそばにいた。泣き崩れる女の手を両手で握り、穏やかな声で何かを囁いている。銀の水瓶が腰に揺れ、水の力が微かに漏れ出して母親の肩を鎮めているのがわかった。アナヒドの力は治癒だけでなく、心を静める力でもある。
倉庫の場所はわかった。だがそこは村の外──聖火の光が届かない荒野の端だ。穢れの領域に足を踏み入れなければならない。キアンは空を見上げた。太陽はまだ高いが、砂漠の日は早く暮れる。急がなければならなかった。アタルが白衣の裾を翻して立ち上がり、アナヒドが銀の水瓶の蓋を確認した。三人の視線が一つの方角に向いた。村の東。荒野の端。聖火の光が届かない場所へ。




