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嘘つきは真実を灼く ~七つの聖火と嘘喰いの孤児~  作者: 蒼月よる


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献身の火

 翌朝、街の聖火が揺らいだ。


 火壇の炎が不規則に明滅し、煙の柱が途切れ途切れになった。朝の光が差し込む広場で、マギたちが白衣の裾を翻して走り回り、祈祷句を唱えながら香を焚いている。白檀の煙が幾筋も立ち昇り、火壇の周囲を白い霧のように覆った。祈祷句の旋律が途切れ、また始まり、また途切れる。焦りがリズムを乱していた。住民たちが一人、また一人と広場に集まり始め、不安の気配が空気を重くしていく。子どもが母親の手を引き、「聖火がおかしい」と指差していた。母親が子どもの手を強く握り直し、何も言わずに火壇を見つめている。


 キアンは宿の窓から火壇を見つめた。真実視が勝手に発動し、マギたちの声が色を帯びる。「大丈夫だ、すぐに安定する」──灰色。マギ自身にも原因がわからない。不安を隠す嘘が、白衣の下から滲み出ていた。声は落ち着いているが、手が震えている。祈祷句を唱える口元は確かだが、目が泳いでいる。額に浮かんだ汗を拭う暇もなく、次の祈祷句に移る。マギたちの嘘は職業的なものだった。不安を見せれば信者がさらに動揺する。だから嘘をつく。つかなければならない。信仰を預かる者の義務として。


 アタルが窓の向こうの火壇を遠くから見つめ、一言だけ呟いた。


「来るか」


 驚きの色はなかった。予期していたかのような、静かな声だった。焚き火の前で薪が崩れる瞬間を待つ者の、あの静かな確信。窓の光が老人の白髪を照らし、皺の深い顔に影を刻んでいた。


 キアンはアタルの横顔を見た。赤みがかった茶色の瞳が火壇の方角を見据え、焦りでも恐怖でもない、もっと深い──諦念に似た感情を湛えている。この老人は知りすぎている。聖火の振る舞い、消滅の兆候、その意味。すべてを理解したうえで、何かを待っている。キアンの中で違和感が膨れたが、追及する暇はなかった。


 それは遠くから来た。


 衝撃波というよりも、世界の骨格が軋む音だった。物理的な震動ではない。建物が揺れたわけでも、地面が割れたわけでもない。空気の質が変わった。光の色が一瞬だけ褪せ、太陽の輝きが薄い幕を被ったように曇った。キアンの皮膚の内側を何かが貫いた。骨の髄を氷の針が走り抜けたような感覚。目に見えない波が全身を通過し、体内の何かが共鳴した。歯の奥が痺れ、爪の先が冷たくなり、胸の中心で何かがきしんだ。


 第三の聖火が消えた。


 献身の火──遠方の大神殿にある七つの聖火のひとつが、今この瞬間に消滅した。その波紋がアシャヴァン全土を走り、このヴァラの小さな聖火も大きく揺らいだ。火壇の炎が一瞬だけ半分の高さに縮み、広場の住民たちが悲鳴を上げた。老人が膝を折り、女が子どもを胸に抱きしめ、男が拳を壁に叩きつけた。


 キアンの真実視が暴走した。


 制御も何もなかった。視界が色の洪水に呑まれた。街中の人間の嘘が一斉に色として溢れ出す。商人の虚偽が黒く弾け、母親の心配を隠す嘘が濃い灰色に膨張し、子どもの小さな嘘が薄桃色に散り、老人の「大丈夫」が灰白色に揺れ、マギの「一時的な試練」が真っ黒に焼けている──すべてが赤と黒と灰色の奔流となってキアンの目を灼いた。色が重なり、混じり、溶け合い、もはや個々の嘘を区別できない。


 膝をついた。


 石畳が冷たい。その冷たさだけが、かろうじて現実と自分を繋いでいた。視界が色の渦に呑まれ、自分と他者の境界が揺らぐ。どこまでがキアンの知覚で、どこからが他人の嘘なのか。色が溶け合い、混じり合い、意味を成さない暴風になる。頭蓋の内側で何かが叫んでいる。止めろ。止めてくれ。だが止め方がわからない。開けた蛇口を閉められない。


「キアン!」


 アナヒドの声が色の嵐の向こうから聞こえた。駆け寄る足音。石畳を蹴る音が二つ、三つ。膝をつくキアンの肩に手が触れ、冷たい水の感覚が皮膚を通じて流れ込んできた。共感力による精神の安定化。アナヒドの力が、色の洪水を押し返そうとしている。冷たく澄んだ水流が、灼けた神経を鎮めるように全身を巡る。洪水を堰き止めるのではなく、嵐の中に静かな水面を作る。彼女の手の冷たさが肩から胸に広がり、暴走する色彩を少しずつ薄めていった。


 完全には止められなかった。だが波が少し弱まり、キアンは荒い呼吸を取り戻した。こめかみが脈打ち、目の奥が灼けるように痛んだが、自分がどこにいるかはわかる。


 火壇の前に人が集まっていた。聖火消滅の知らせは既に街に広がり、住民たちの間に動揺が走っている。窓の外に目をやると、女たちが声を上げ、男たちが険しい顔で火壇を見つめている。子どもたちが母親の衣の裾を握り、何が起きたのかわからない恐怖に泣いている。泣き声と怒鳴り声と祈りの声が混じり合い、広場は騒然としていた。火壇の煙が乱れ、風に千切れて四方に散っていく。


 マギが火壇の前に立ち、両手を広げた。群衆の視線が一斉に集まる。マギの声が、広場の喧騒を切り裂いた。


「落ち着いてください。これは一時的な試練です。善神はわれらを見捨てません。聖火は必ず戻ります」


 キアンの真実視が、その言葉を視た。


 黒い染みだった。真っ黒に近い灰色。マギ自身も理由がわからず、聖火が戻る確証もない。だが人々の前に立つ者として、嘘をつかなければならない。嘘をつかなければ群衆は恐慌に陥る。マギの嘘は悪意ではなく、立場が強いる必然だった。彼はこの嘘をつくために、ここに立っている。嘘をつくことが、この瞬間における彼の義務だった。そしてその義務の重さが、黒い染みをさらに濃くしていた。


 三つ目の聖火が消えた。


 偶然ではない。第一の聖火、第二の聖火、そして今、第三の聖火。連鎖している。構造的な崩壊が進んでいる。七つあった聖火のうち三つが消え、残りは四つ。半分を切るまであと一つ。世界を支える柱が、一本ずつ折れていく。その折れる音が、キアンの骨の中に響いている。


 アタルが静かに言った。


「三つ目じゃ。あと四つ」


 老人の声に、キアンが初めて聴く響きが混じっていた。焦り。常に泰然としていたアタルの声が、微かに──だが確かに──震えている。赤みがかった瞳の奥に、焚き火が揺れるような不安定な光があった。アタルの手が膝の上で握られ、節くれ立った指の関節が白くなっていた。


「……時間がない」


 その三文字が、どんな説明よりも事態の深刻さを物語っていた。アタルの口から「時間がない」という言葉が出たこと自体が、これまでの旅の中で最も恐ろしい出来事だった。常に穏やかで、常に泰然として、焦りなど一度も見せなかった老人が──初めて、時間を気にした。


 窓の外で、住民たちの嘆きが続いていた。火壇の煙が薄くなり、空に描く柱が細く頼りなくなっている。香の匂いが薄れ、代わりに乾いた砂の匂いが部屋に流れ込んできた。聖火の街が、聖火を失いつつある。キアンの手のひらに、汗が滲んでいた。冷たい汗だった。


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