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嘘つきは真実を灼く ~七つの聖火と嘘喰いの孤児~  作者: 蒼月よる


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砂塵の朝

 砂塵の匂いで目が覚めた。


 乾いた空気が鼻腔の奥を擦り、微かな砂の粒が唇の端に張りついている。キアンは外套の襟に顔を埋めたまま、まだ薄暗い空を仰いだ。朝靄が地平線を白く染め、荒野の砂が微かに金色に光っている。空気は冷たく乾いていた。砂漠の夜の冷気がまだ大地に染み込んでおり、指先がかじかむ。遠くで風が低く唸り、砂粒が頬を掠めた。砂漠の朝は静かだ。人の嘘がない。嘘の色がない。ただ乾いた大地と、白み始めた空があるだけだった。


 旅が始まって幾日が過ぎたか、もう正確には数えていない。火の神殿を発ち、最初の聖火が消えた街を抜け、第二の聖火消滅の衝撃を受け、そして今──三人は次の聖火の街を目指して街道を歩いている。旅が日常化していた。朝起きて、歩き、食事を取り、歩き、夜営をする。その繰り返しの中で、三人の間に言葉にしない空気が出来上がりつつあった。誰がどの位置を歩くか。誰が先に水を飲むか。誰が焚き火の番をするか。言葉で決めたわけではない。自然にそうなった。


 アナヒドが水瓶から水を注ぎ、火の跡に残った灰を片づけている。長い黒髪の三つ編みが背中で揺れ、褐色の肌が朝の光に微かに輝いた。銀の水瓶──エワル(聖水器)を両手で丁寧に扱う所作が流れるように優美で、巫女としての訓練が身体に染み込んでいるのがわかる。水を注ぐときの手首の角度、蓋を閉めるときの指の動き、すべてに無駄がない。キアンは彼女の歩調に合わせて歩くようになっていた。無意識のうちに。アナヒドの足が遅くなればキアンも遅くなり、速くなればキアンも速くなる。本人はそれを認めるつもりはなかった。


「今日も暑くなりそうだな」


 軽口のつもりだった。嘘ではない。実際に砂漠の昼は灼熱だ。東の空から昇り始めた太陽が、すでに砂の表面を白く焼いている。喉が灼けないことを確認して、キアンは小さく息をついた。最近は言葉を選ぶ癖がついている。何気ない一言でも嘘が混じれば喉を焼かれる。日常会話が地雷原になった。かつては軽口と皮肉を武器に孤児院を生き延びてきたというのに、今ではひと言ひと言が命懸けだ。


「そうですね。水は足りていますか」


 アナヒドが振り返る。深い青の瞳がキアンを映し、その穏やかさの奥に微かな疲労の影が見えた。夜通し風の音が止まなかったから、眠りが浅かったのだろう。キアンの真実視(アシャ・サイト)は、彼女の言葉に嘘の色を見つけなかった。白い光だけが浮かんでいる。水の心配は本心からのものだ。旅人にとって水は命であり、砂漠では冗談にならない。


 アタルが先を歩いていた。白髪の老人は背筋をまっすぐに伸ばし、砂漠の風に白衣の裾を揺らしている。小柄な身体に似合わぬ力強い足取りで、キアンたちを導くように街道を進んでいく。日に灼けた褐色の肌に刻まれた皺が深く、手は職人のように節くれ立っている。だが体温が常人より高いことを、キアンは知っていた。一度、夜営で肩が触れたとき、老人の身体から異様な温もりが伝わった。焚き火の傍にいるような。周囲の空気がわずかに揺らぐ。陽炎のように。


 遠くに陽炎が揺れ、街道の先にぼんやりと構造物の輪郭が浮かんでいた。次のヴァラだ。まだ遠い。砂漠の距離感は当てにならない。見えているものが実際にどれほど離れているか、砂漠に慣れた者でなければ判断を誤る。


 街道に出ると、アタルが足を止めた。


「キアン」


 短い呼びかけ。老人が振り返り、赤みがかった茶色の瞳でキアンを見据える。焚き火の残り火のような穏やかな光。この老人の目には、人間の寿命では測れない深さがある。底が見えない。見ようとすればするほど遠ざかる、途方もない奥行き。


「今日から新しい修練を始める」


「修練?」


「視ることを選べ」


 キアンは眉をひそめた。これまで真実視(アシャ・サイト)は勝手に発動していた。人の言葉が嘘か真実か、灼ける色彩として否応なく視界に浮かぶ。制御などできたことがない。風が吹けば砂が舞うように、人が嘘をつけば色が視える。受動的な知覚。それが真実視の本質だと思っていた。


「受け身で視えるのではなく、おまえ自身が視ようとして視る。能動的な発動じゃ」


 アタルの言葉に嘘の色はない。白く澄んでいる。この老人の言葉はいつもそうだった。嘘を含まない言葉を発する人間は珍しい。大人は誰もが何かしらの嘘を混ぜる。誇張、省略、言い換え、曖昧化──言葉を発するたびに嘘の粒が紛れ込む。だがアタルの言葉には、それがない。


 キアンは目を細め、意識を集中した。砂漠の空気に含まれる何かを掴もうとするように、意識の焦点を絞る。目の奥に力を込める。視ようとする。見るのではなく、視る。普段は勝手に作動する知覚を、自分の意志で起動させようとする。額に汗が浮かんだ。力を入れすぎて、こめかみが脈打つように痛む。


 一瞬、視界が変わった。


 街道を歩く遠い旅人の姿が色を帯びる。灰色の曇り──疲労を隠す小さな嘘。「まだ歩ける」と自分に言い聞かせている自己欺瞞の色。見知らぬ誰かの、些細な嘘が、遠い距離を越えて視えた。


 意図的に。自分の意志で。


 だが止まらなかった。色が広がり、視界を侵食する。旅人の内面だけでなく、周囲の空気そのものが色づいていく。蜘蛛の巣のように色が広がり、止められない。キアンは額を押さえ、目を閉じた。閉じても残像が消えない。色彩の網が瞼の裏にこびりつき、じわじわとこめかみを締め付ける。


「焦るな」


 アタルの声が遠くから聞こえた。穏やかだが揺るぎない。砂漠の風に紛れず、確かにキアンの耳に届く。


「止める力は、視る力より難しい。じっくりやるがいい」


 キアンは荒い息をつき、目を開けた。色は薄れていたが、完全には消えていなかった。視界の端にうっすらと残る灰色が、じわりと退いていく。退くのに時間がかかる。意志で起動した力を、意志で停止させることができない。蛇口を開いたはいいが、閉め方がわからない。


 街道の先から旅商人の隊列が近づいてきた。駱駝に荷を積み、砂塵を巻き上げながら進んでくる。革の鞍が軋み、積荷を覆う布が風にはためく。商人たちの声が風に乗って届く。値切りの声、笑い声、荷を確認する怒鳴り声。乾いた空気に活気が混じる。駱駝の蹄が砂を蹴り、独特の匂い──家畜の体臭と香辛料と革の匂いが混然一体となって鼻を突いた。


 キアンの真実視が不意に反応した。


 商人たちの言葉が色を帯びる。「最高級の絹だ」──黒い染み。品質を誇張する嘘。「この値段では赤字だ」──濃い灰色。利幅は十分にある。「おや、お客さん目が高い」──薄い灰色。愛想の下に疲労が透ける。


 嘘が渦巻いていた。交渉の一言一言に、大小の嘘が混じっている。日常会話の半分以上が灰色と黒に染まっている。色が重なり合い、商人たちの周囲に灰色の霧のようなものを形成していた。


 だが商人たちは楽しそうだった。笑い声を上げ、冗談を飛ばし、値切り合いを一種の遊戯のように愉しんでいる。嘘は彼らの生活の一部だった。悪意ではない。取引を滑らかにする潤滑剤。嘘がなければ商売は成り立たないし、嘘があるから人は笑える。値引きの駆け引きは嘘の応酬であると同時に、信頼の確認でもある。


 キアンは隊列をやり過ごしながら、奇妙な感覚に囚われた。


 嘘は悪だと教わってきた。真理(アシャ)の教えでは嘘は穢れであり、虚偽は罪だ。だがこの商人たちの嘘に、悪意はない。生活を回すための小さな歯車のようなものだ。悪意なき嘘は、嘘なのか。善悪二元論で裁けば、嘘は嘘だ。だが裁くことと理解することは、同じではないような気がした。


「嘘が多いな」


 キアンが呟くと、アタルが穏やかに応えた。


「人が集まれば嘘も集まる。それが世界じゃ」


 その言葉にも嘘の色はなかった。


 街道を進む。陽が高くなるにつれ、砂漠の熱気が肌を焼いた。汗が額を伝い、乾いた空気に吸い込まれて消える。足元の砂が陽射しを照り返し、下からも熱が這い上がってくる。遠くの陽炎が揺れ、次のヴァラの輪郭が少しずつ明瞭になっていく。城壁の輪郭、塔の先端、そして──旗。


 城壁の上に旗が見えた。聖火を象った紋章の旗だ。だが布は風に千切れ、端がほつれて垂れ下がっている。破れた旗が、乾いた空の下でだらりとはためいていた。


 聖火の紋章が破れている。信仰の象徴が損なわれている。キアンの真実視は反応しなかった。旗は物だ。嘘をつかない。だが破れた旗が語る意味は、真実視がなくても読み取れた。


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