表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
嘘つきは真実を灼く ~七つの聖火と嘘喰いの孤児~  作者: 蒼月よる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

46/93

異端の旅人

 巡礼路の関所で、キアンに対する正式な追放令が告げられた。


 関所は巡礼路の要所に設けられた石造りの門で、二人の官吏が通行者の身分を確認していた。アタルが先に通り、アナヒドが巫女の装束を見せて通過した。キアンの番になったとき、官吏の一人が手配書を広げた。


 事務的だった。官吏が書簡を読み上げた。抑揚のない声。感情を排した朗読。手続きとしての追放。


「キアン。元・善思の火神殿所属。火の神殿系すべての施設への立ち入りを禁ずる。宗教的保護を剥奪する。以上」


 印章が押された。控えが渡された。それだけだった。感情はない。手続きだ。追放という言葉の重さに見合わない、軽い事務処理だった。官吏は次の通行者に目を移した。キアンの存在はもう、処理済みの書類と同じだった。


 キアンは控えの書簡を受け取り、畳んで懐に入れた。紙が胸に当たる感触が冷たかった。


 追放が意味するものは重かった。


 宿への宿泊拒否。神殿が運営する宿場は巡礼路の大半を占めており、異端者に部屋を貸す宿は限られる。食料の購入困難。市場の商人の多くは神殿の認可を受けており、追放者との取引を避ける。巡礼路の通行制限。主要な巡礼路は神殿の管轄であり、関所ごとに身分確認がある。


 この世界では宗教的権威が社会的インフラを支配している。道も、宿も、市場も、水場も──すべてが神殿の管理下にある。神殿の庇護を失うことは、社会の外に放り出されることと同義だった。社会的な死。人としての権利の剥奪。異端者とは──人間の枠組みから外された者のことだ。


「前も追い出されたし、慣れたもんだ」


 キアンが嗄れた声で言った。


 喉が灼けた。


 慣れてなどいない。二度目の追放でも痛みは変わらない。一度目は神殿から。二度目は社会全体から。追放の範囲が広がっている。次は何から追い出されるのか。世界からか。


 灼ける痛みを飲み込み、表情を変えなかった。嘘つきの面目躍如だ。痛みを隠すことだけは得意だった。だがアナヒドの共感力は表情を読んでいるのではない。感情そのものを受信している。キアンの痛みが、アナヒドの目に影を落としているのが見えた。


 関所の外に出た。


 巡礼路は続いている。だがキアンにとって、その道はもう巡礼の道ではなかった。異端者には巡礼の資格がない。この道は、ただの道だ。


 アタルが穏やかに、しかし厳粛に言った。


「アナヒド。おまえがこの先もキアンと共にいるなら、巫女の特権を捨てることになるかもしれん」


 巫女の特権。アナーヒターの巫女としての権限は、キアンの追放令とは別の管轄だ。水の女神の巫女は火の神殿系の管轄外であり、アナヒドの身分は依然として有効だった。巫女の装束を見せれば宿も食料も確保できる。だが──異端者と行動を共にする巫女を、いつまで権威が容認するか。共犯と見なされる日は遠くない。


 アタルの警告は正当だった。キアンの真実視がアタルの言葉を判定した。白に近い灰色。真実だが、断定ではない。可能性の提示。アタルはアナヒドを引き留めようとしているのではなく、選択の重さを理解させようとしている。


 アナヒドは迷わなかった。


 迷いがないことが、キアンには信じられなかった。巫女の特権を捨てるということは、アナヒド自身が社会の外に出るということだ。水の女神の加護を失い、巫女としての存在意義を手放すということだ。それほどの代償を、なぜ。


「私は使命で傍にいるのではありません」


 キアンの真実視が──白。嘘ではなかった。


 純粋な白だった。一切の赤みがない。アナヒドの声は穏やかだったが、その穏やかさの底に鋼のような意志があった。使命ではなく、自分の意志。監督者としてではなく、アナヒドという個人として。この少年の傍にいることを選ぶ。


 いつからそうなったのか。


 排斥の後に隣に座った日からか。村で嘘を暴いた夜、「見たくないものを見る」共通点を知ったときからか。荒野の焚き火のそばで「離れるほうがもっと痛い」と告げたあの夜からか。それとも──廃墟の神殿で、嘘つきの祈りを聞いてしまった、あの瞬間からか。


 キアンにはわからなかった。わからなかったが──白だった。それだけは確かだった。


 三人が関所を離れ、巡礼路を歩き始めた。日が高く、影が短い。乾いた風が砂塵を運び、遠くの山脈が陽炎に揺れていた。キアンは追放令の控えが懐で擦れる感触を意識しながら歩いた。紙一枚。たった紙一枚で、人間は社会から切り離される。


 アタルが前を歩き、アナヒドがキアンの隣を歩いた。巫女の装束が砂埃で汚れている。銀壺が腰で揺れ、小さな水音を立てている。アナヒドは前を向いて歩いていたが、ときどきキアンの横顔を窺うように視線を動かした。


 しばらく黙って歩いた後、キアンが口を開いた。


「……なんで残るんだ」


 嗄れた声だった。喉は灼けなかった。本当にわからないから問うている。これは嘘ではない。なぜこの女は、巫女の特権を捨ててまで、異端者の傍にいることを選ぶのか。理由がわからない。キアンの真実視は嘘を暴く力であって、人の心の奥底にある動機を読み取る力ではない。白か赤かはわかる。だがなぜ白なのかは──わからない。


「聞かないでください。答えると、恥ずかしいですから」


 アナヒドが微笑んだ。頬が微かに赤らんでいた。荒野の日差しのせいか、それとも──別の理由か。


 キアンの真実視が、アナヒドの言葉に温かい赤を視た。


 嘘だった。だが──優しい嘘。答えられないのではなく、答えを言葉にするのが恥ずかしいだけだ。本当の理由は、嘘の向こう側に温かく灼けている。赤い色彩が、冷たくない。この旅で初めて視た──温度のある赤だった。恐怖の赤でも、欺瞞の赤でもない。誰かを傷つけるための嘘ではなく、自分の感情を守るための嘘。柔らかい嘘。


 キアンはそれ以上聞かなかった。


 優しい嘘は、暴かなくていい。暴けば壊れるものがある。嘘の裏側にある温かさは、嘘という殻に包まれているからこそ、温かいままでいられる。真実視が教えたのは嘘を視る力だが──嘘を暴かない選択もまた、キアンが学びつつある力だった。


 三人は歩き続けた。巡礼路が荒野に差しかかり、道の両側に低い灌木が点在するだけの景色が広がった。空が広い。雲が少ない。乾いた風が砂を巻き上げ、視界の端を白く霞ませた。


 キアンは嗄れた声で何も言わなかった。だが足は止まらなかった。追放された。社会から切り離された。それでも歩いている。隣にアナヒドがいる。前にアタルがいる。三人の足音が、乾いた巡礼路に刻まれていく。


 異端者と、巫女と、正体不明の老人。


 この旅がどこに向かうのか、キアンにはまだわからなかった。だが──一人ではないことだけは、嘘ではなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ