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嘘つきは真実を灼く ~七つの聖火と嘘喰いの孤児~  作者: 蒼月よる


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追跡者

 街道沿いの小さな町で、行商人が不安げに囁いた。


 痩せた中年の男で、荷馬車に布地と香辛料を積んでいた。すれ違いざまにアタルに声をかけ、周囲を窺うように首を巡らせてから、低い声で告げた。


「異端者を探す神官団がこの辺りを巡回しているよ。気をつけたほうがいい」


 キアンの真実視が──白。真実だった。行商人の声に赤は混じっていない。純粋な警告。善意の情報提供。この男自身が何かを見たか、あるいは確かな筋から聞いたのだろう。行商人の表情にある不安も白かった。嘘のない恐怖。異端審問を恐れているのは、この男自身も同じなのだ。神官団が巡回しているだけで、街道を行き交う者たちは萎縮する。権威の嘘は、周囲の真実を歪める。


 都市での暴露事件の報告が、宗教的権威の上位に届いたのだ。もはや一つの神殿都市の問題ではない。組織的な異端審問として、キアンの追跡が始まっている。あの大礼拝の場で叫んだ言葉が──神官長の腐敗を暴いた真実が──権力の耳に届いた。真実は語られた瞬間から、語った者を追い詰める。


 行商人は去り際にもう一度振り返り、「本当に気をつけてくれよ」と言い残した。白。最後まで真実だった。見ず知らずの旅人に危険を告げる善意。嘘ではない親切。こういう人間もいる。嘘に満ちた世界の中に、白い言葉を発する人間がいる。キアンの真実視は嘘を視る目だが、同時に──真実も視えるのだ。


 三人は町を急いで離れた。町の外れの街道で足を速め、人目を避けるように木陰を選んで歩いた。キアンは顔を伏せていた。嗄れた喉の奥に、苦い味がこびりついている。あの大礼拝で叫んだ言葉が、今になって自分を追い詰めている。真実を語った。正しいことをした。だがその結果がこれだ。追われ、逃げ、声を失いかけている。


 町外れの丘の上で、アタルが足を止めた。老人は杖を突いて街道の先を見据え、冷静に対策を練った。


「街道を避け、荒野を通る迂回路を取ろう」


 荒野。巡礼路から外れた不毛の地。水と食料が限られ、過酷な行軍になる。巡礼路には宿場があり、水場があり、神殿の保護がある。荒野にはそのいずれもない。だが追手を避けるにはこれしかない。巡礼路を歩けば、神官団と遭遇するのは時間の問題だった。


 アナヒドが問うた。


「なぜ逃げなければならないのですか。キアンが語ったのは真実です」


 その声は白かった。純粋な疑問だった。アナヒドにとって、真実は正しいものであり、正しいことを語った者が追われるのは道理に合わない。巫女として育った彼女の世界では、真実は善であり、善は守られるべきものだ。善悪二元論の世界観が、彼女の信仰の骨格を形成している。その骨格が、現実の矛盾に軋んでいた。


 アタルは穏やかに答えた。


「真実を語ったことと、許されることは別じゃ。真実はしばしば、権力にとって最も危険な武器になる。権力は嘘で維持されておるから」


 色のない声。アタルの言葉はいつもそうだ。透明な空白。嘘ではなく、真実とも違う。ただ在る。事実を述べているだけだ。だがその事実は──残酷だった。


 アナヒドは口を閉じた。正しい問いだった。だが正しい答えは、彼女の信仰の基盤を削った。真実を語ることが善であるなら、善を語った者が罰されるこの世界の仕組みは──善悪二元論の枠組みそのものが矛盾を孕んでいることの証左ではないか。アナヒドの表情に、その思考の影が過った。キアンの真実視には、彼女の沈黙の色は見えなかった。アナヒドは嘘をついていないし、真実を語ってもいない。ただ黙っている。沈黙に色はない。


 荒野への入口で、キアンが自嘲的に呟いた。嗄れた声が乾いた風に吹かれ、半分は砂塵に攫われた。


「嘘つきが真実を語って追われるって、笑えるだろ」


 喉が灼けなかった。皮肉にも、これは嘘ではなかった。笑える状況だと本心で思っている。嘘つきだった少年が、真実を語る力を得て、その真実を語ったせいで追われている。喜劇のような構造だ。かつての自分が聞いたら笑うだろう。真実なんて誰の役にも立たないと言っていた自分が──真実を語って、誰の助けにもならなかった。


「笑えません」


 アナヒドが真面目に返した。白──真実。彼女は本当に笑えないと思っている。キアンの自嘲を受け取り、その裏にある痛みを共感力で感じ取って、笑えないと告げた。それは慰めではなかった。事実の表明だった。だからこそ──言葉が届いた。


 三人が荒野に踏み出した。巡礼路を離れることは、宗教的秩序から離れることでもあった。踏み固められた道が途切れ、足元が砂と石に変わる。乾いた風が砂塵を巻き上げ、振り返れば巡礼路が遠ざかっていく。街道の上を白衣の巡礼者たちが蟻のように行き交っているのが見えた。あの道を歩き続ければ、宿場と水と神殿の庇護がある。だがそこには追手もいる。秩序の道に守られることと、秩序の鎖に繋がれることは、表裏一体だった。


 キアンは振り返らなかった。振り返る意味がなかった。あの道に戻れないことは、喉の灼熱が教えている。嘘を灼く力を持つ者に、嘘で維持された秩序の中の居場所はない。出身神殿を追われたときと同じだ。あのときも振り返らなかった。振り返っても、そこにはもう帰る場所がなかった。今も同じだ。ただ──あのときは一人だった。今は三人いる。それだけが、あの夜との違いだった。


 荒野の夜空。星が美しかった。都市の灯りも、巡礼路の篝火もなく、頭上には塵のように細かい星々が降り注いでいる。嘘のない光だ。星は嘘をつかない。星は何も語らない。語らないものには嘘がない。その沈黙が、キアンの目には慰めだった。


 だが南の空に、不穏な赤い光があった。地平線の向こうに、朝焼けとも夕焼けとも違う、くすんだ赤が滲んでいる。真実視を通さなくても見える赤。だが真実視で視ると──その赤は、嘘の色ではなかった。衰弱の色だった。何かが弱り、消えかけている。巨大な炎が最後の力で赤く明滅しているような──。


 アタルが呟いた。老人の声が僅かに震えていた。普段は色のない透明な声が、このときだけ微かに揺らいだ。


「あの方角に──第二の聖火がある」


 赤い光は、衰弱する聖火の最後の輝きだった。


 キアンの出身神殿の聖火が消えたとき、最後の光は赤ではなく透明だった。揺らぎもなく、静かに消えた。だがあの遠い赤は──まだ燃えている。まだ抗っている。消えまいと藻掻いている。その藻掻きが、赤い光として南の空を染めている。


 三千年の炎が、消えようとしている。


 キアンは嗄れた声を飲み込み、南の空を見つめた。追手に追われ、荒野に逃げ込み、声が消えていく自分と──消えゆく聖火が、奇妙に重なって見えた。どちらも抗っている。どちらも消えかけている。どちらも──まだ、消えてはいない。


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