神殿都市
城門をくぐった瞬間、色彩の重圧がのしかかった。
神殿都市。城壁に囲まれた中規模の都市で、中心に巨大な聖火殿が聳え立っている。キアンの出身神殿とは比較にならない規模だった。城門は石造りの巨大なアーチで、門の上部に善悪を示す紋章が彫り込まれている。門番が二人、短槍を手に立っていた。旅人の出入りを監視しているが、追放令の手配書がここまで届いているかは定かではない。キアンは顔を伏せ、アタルの後ろに隠れるようにして門をくぐった。門の下を通り抜けるとき、頭上の石が冷たい影を落とし、一瞬だけ視界が暗くなった。
門を抜けた先に、都市が広がっていた。石畳の街路が放射状に伸び、聖火殿を取り巻くように市場、住居、礼拝所が広がっている。壮麗だった。石造りの建築は精緻な彫刻で飾られ、壁面には善神と悪神の物語が浮き彫りにされている。街路には香の煙が漂い、白檀と乳香の甘い匂いが鼻腔を満たした。祈りの声が石壁に反響し、遠くから祈祷の太鼓の音が低く響いている。人々は整然と行き交い、白い衣の神官が数人ずつの組になって巡回していた。秩序が保たれている。表面上は。
「立派だな」
キアンの嗄れた声が呟いた。喉は灼けなかった。率直な感想だったからだ。出身神殿の薄暗い廊下と煤けた壁とは別世界だ。だが真実視は、壮麗さの下に広がる嘘の色彩を容赦なく視ていた。都市全体が赤い色彩のうねりに覆われている。人が多い。嘘も多い。出身神殿の何十倍もの嘘が、市場の喧噪の中で灼けている。商人の声、買い物客の値切り、露店の呼び込み、神官の祈祷──すべてに赤が混じっている。赤い色彩の密度が、村や街道の比ではなかった。街全体が赤い靄に覆われ、呼吸するたびに嘘の気配を吸い込むような感覚がある。
焦点化で制御を維持した。白を基準にせよ。アタルの教えを反芻する。聖火殿の炎──まだ燃えている聖火の白を探す。あった。遠くの尖塔の頂に、微かに白い光が揺らいでいる。だがその揺らぎは不安定で、以前の聖火よりも弱々しかった。出身神殿の聖火はもっと力強かった。燃え盛る白。ここの聖火は──衰弱した白。白い光が瞬き、かすれ、また灯る。聖火すら、この都市では病んでいるように見えた。
都市は聖火消滅の混乱を「乗り越えた」かのように見えた。人々は穏やかに暮らし、市場は賑わい、礼拝は粛々と行われている。城壁の外から見れば、ここは安定した都市だ。秩序があり、信仰があり、日常がある。だがキアンの目には、その秩序が大量の嘘の上に構築されていることが視える。赤い色彩の層が幾重にも重なり、街全体を覆っている。
神殿が情報を統制していた。聖火消滅の事実を矮小化して伝え、「善悪の秩序は健在だ」という嘘で人々を安心させている。街角の掲示板には「聖火は永遠なり」と書かれた布告が貼られていた。白い紙に黒い墨で書かれた大きな文字。キアンの真実視がそれを赤く灼いた。永遠ではない。衰弱している。布告の横に立つ神官が、通行人に「恐れることはありません。善き行いを続ければ、聖火は我々を守ります」と説いている。その声も赤い。安心は偽りだ。だが安心がなければ秩序は崩壊する。嘘が秩序を支えている。真実が露わになれば混乱が起きる。パニックが起きる。人々は逃げ出し、市場は閉じ、略奪が始まるかもしれない。嘘が都市を保っている。あの村の神官と同じ構造だ。だが規模が違う。あの村では数十人が騙されていた。ここでは数千人だ。嘘の規模が大きくなれば、暴露の衝撃も大きくなる。どちらが善なのか──善悪二元論の世界で、嘘が善に仕える。この矛盾を、キアンの真実視は赤と白の混在として視ていた。
宿に入った。安宿だった。追放令が届いていない宿を選んだため、街の外れの薄暗い路地にある古びた建物だ。壁の漆喰が剥がれ、床板が軋む。だが屋根があり、寝台があり、扉を閉じれば外の嘘の色彩から少しだけ距離が取れた。キアンは窓辺に腰を下ろし、嗄れた息を吐いた。
アタルが穏やかだが真剣な声で言った。老人の声にいつもの余裕がない。声が硬い。この都市について知っている者の──警戒の声だ。
「この都市では目立つな。力を使うな」
「使いたくて使ってるわけじゃない」
「わかっておる。だからこそ気をつけよ」
アタルの口調に、この都市を知っている者の響きがあった。以前来たことがあるような口ぶり。街路の構造を知っている。どこに宿があるか、どこに神殿があるか、どの路地が安全か──すべて知っているかのような足取りだった。だがそれを問い詰める前に、アタルは別の話題に移った。「明日は市場を見て回ろう」と。穏やかな声。色はない。いつもの透明な空白。
宿の窓から神殿の尖塔を見上げた。聖火の光が──微かに揺らいでいるのが見える。夜空を背景にした白い光が、瞬き、かすれ、また灯る。この都市の人々は気づいているのだろうか。聖火が揺らいでいることに。気づいていても、見て見ぬふりをしているのか。それもまた嘘だ。都市全体が嘘で覆われている。嘘で保たれた秩序。嘘で支えられた日常。
この都市の聖火も、衰えている。
キアンは窓枠に肘をつき、尖塔の光を見つめた。揺らぐ白。かすれる白。消えかける白。出身神殿の聖火が消えた夜のことを思い出す。揺らぎもなく透明になって消えた、あの静かな死。ここの聖火はまだ揺らいでいる。揺らいでいるということは、まだ生きている。だが揺らぎは弱まっている。一日ごとに。一刻ごとに。この都市の人々は聖火の揺らぎに気づかないふりをしている。神殿が「聖火は安泰だ」と言い、人々がそれを信じるふりをしている。壮大な嘘の共犯関係が、都市全体を覆っている。
アナヒドが寝台に腰を下ろし、疲弊した表情で銀壺を膝に置いた。長い一日だった。都市の雑踏を歩くだけで、共感力がキアンの苦痛と都市の人々の不安を同時に受信し続けた。その疲弊が顔に出ている。目の下の隈が一段と深くなり、唇の血色が薄い。だがアナヒドはキアンに微笑みかけた。「明日も一緒に歩きましょう」と。白──真実だった。疲弊しているのに、明日も傍にいることを選ぶ。
キアンは窓の外の聖火の揺らぎを見つめながら、嗄れた声で何も言わなかった。言葉が見つからなかったからではない。言葉は見つかっていた。「ありがとう」と。だが「ありがとう」に含まれるかもしれない社交辞令の影に、喉が灼けることを恐れた。本当の感謝なのか、形式的な礼なのか。境界が曖昧だった。だから黙って頷いた。頷くことに嘘は含まれない。
夜が更けていく。窓の外の聖火が、また一瞬かすれた。都市の喧噪が遠くなり、宿の周囲に静寂が広がっていく。だが静寂の中にも──赤い色彩の残響が揺れていた。嘘は眠らない。都市が眠っても、嘘だけは起きている。




