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嘘つきは真実を灼く ~七つの聖火と嘘喰いの孤児~  作者: 蒼月よる


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灰色の旅路

 巡礼路の分岐点に到達した。


 道が二つに分かれている。一方は小さな集落を経由する細い旅路で、砂に埋もれかけた轍が茨の茂みの間を縫っている。もう一方はより大きな都市へ向かう本道で、石畳が敷かれ、道標に刻まれたアヴェスター文字が行き先を示していた。本道の先、遠くの地平線に都市の尖塔が霞んで見えた。陽炎に揺れる尖塔の先端が、午後の陽射しを受けて金色に光っている。聖火殿の尖塔だ。大きい。出身神殿の何倍もある。都市の輪郭が砂漠の陽炎の中に浮かび上がり、城壁の影が地平線に横たわっている。


 アタルが「あの都市には聖火殿がある。聖火はまだ燃えておるが……」と言葉を濁した。杖を止め、遠くの尖塔を見つめる老人の横顔に、いつもの穏やかさとは違う硬さがあった。言い淀んだ。言葉を選んでいる。あるいは──言うべきか言わざるべきか、迷っている。


 キアンの真実視が、アタルの言葉に微かな色の揺らぎを視た。


 初めてではない。分岐路で一度、視たことがある。だが今回の揺らぎは以前より濃かった。これまでアタルの言葉には一切の色がなかった。赤も白もない空白。真実視の網をすり抜ける透明な存在。人間の嘘も真実も等しく色を纏うのに、この老人の言葉だけが色を持たない。それ自体が異常だった。だが今──ほんの一瞬、色の揺らぎが走った。灰色に近い、不確かな色。赤とも白とも言えない、二つの色が混じり合ったような曖昧な色彩。以前にも増して濃い。嘘ではないが、何かを隠している。「聖火はまだ燃えておる」は真実だろう。だが「が……」の先に何かがある。語られなかった言葉。切り落とされた真実の断片。沈黙の中に隠された情報。アタルは何を知っている。あの都市について何を知っている。聖火について何を知っている。


「あんた……今、何か隠さなかったか」


 キアンの嗄れた声が問うた。直接的な問い。以前の自分なら、嘘つきの技術で迂回して情報を引き出しただろう。だが今は嘘をつけない。遠回しな問いは虚偽を含むかもしれない。だから直球で聞く。嗄れた声でも、直球なら灼けない。


 アタルは微笑んだ。焚き火に照らされた顔に、いつもの穏やかさが戻る。「年寄りの癖じゃ。気にするな」


 色が視えない。いつもの空白。だが今度は、空白の向こうに何かがある気がした。以前は空白を「色がない」と解釈していた。だが今は違う認識が芽生えている。色がないのではなく、色が見えないだけかもしれない。壁の向こうに何かが隠れている。壁が厚すぎて、第一段階の真実視では透かせない。嘘つきの直感が囁いている。この老人は嘘をついている。嘘の種類が、人間のそれとは違うだけだ。


 分岐点の休憩地で、修練の成果を確認した。道標の影に腰を下ろし、水袋から水を飲む。水が喉を通る感触を意識する。灼熱感がない。嘘をついていないからだ。水を飲む。呼吸をする。歩く。これらの行為に嘘は含まれない。嘘を含まない行為だけが、痛みなく行える。乾いた風が砂粒を運び、唇が渇く。遠くの都市の尖塔が午後の光の中で揺れている。アナヒドが銀壺を腰から外し、水を少しだけ口に含んだ。銀壺の蓋を閉じるとき、中の水位をちらりと確認する仕草が見えた。無意識の動作だろう。だがキアンの目はそれを捉えていた。水位の確認。水が減っていることへの無意識の警戒。


 この旅を通じて、キアンは真実視の強度をわずかに制御できるようになっていた。「焦点化」で注意を向けた対象だけに真実視を集中させる技術。特定の人物の嘘だけを視て、他の情報を背景に退かせる。「保留」で視えた嘘を暴かずに保持する技術。視えた嘘を箱に入れ、蓋を閉じ、声にしない。完全な制御には程遠いが、暴走の頻度は劇的に減った。市場の雑踏でも──多少の辛さはあるが──暴走せずに歩ける。嘘の色彩の洪水に溺れずに、表面に浮いていられる。大きな進歩だった。


 アタルが「よし」と小さく頷いた。その一語に、長い旅路の修練の成果が凝縮されている。師弟の間に、静かな達成感が流れた。アタルの「よし」には色がない。嘘でも真実でもない。ただの──承認だった。言葉以上の重みを持つ承認。


 三人が揃って分岐路に立った。道標の石碑が午後の陽射しに焼かれ、刻まれた文字の影が地面に落ちている。風が砂を巻き上げ、三人の衣の裾を翻した。それぞれが秘密と傷を抱えている。キアンは真実視の代償と嗄れゆく声。声が嗄れるたびに言葉が減り、言葉が減るたびに孤独が深まる。アナヒドはアナーヒターとの接続の揺らぎと減りゆく聖水。巫女としてのアイデンティティが静かに削れている。それを知っていて、黙っている。アタルは──何を抱えているのか、まだわからない。だが何かを抱えていることは確かだ。色の揺らぎが、それを告げている。三人が三人とも、互いの秘密を知りかけていて、知り切っていない。旅は人の境界を溶かす。共に歩き、共に食べ、共に眠る日々が、秘密の壁を薄くしていく。


「……行くしかないだろ」


 キアンが嗄れた声で言った。その声は以前の三分の一ほどの音量しかない。だが言葉の芯には力があった。喉は灼けなかった。嘘ではなかった。行くしかない。それがキアンの覚悟だった。戻る場所はない。出身神殿には聖火が消えた。追放された都市にも戻れない。前に進むしかない。その事実が嘘を含まないことが、唯一の救いだった。


 三人が都市へ向かって歩き出した。砂の道に三人の足跡が並ぶ。キアンの足跡は軽く浅い。痩せた体重が砂に残す痕跡は薄く、風が吹けばすぐに消えるだろう。アナヒドの足跡はまっすぐで均等だ。巫女の所作は歩行にも表れる。アタルの足跡は杖の穴と交互に並び、三拍子のリズムを刻んでいた。遠くに神殿の尖塔が見える。午後の陽射しが斜めに差し込み、尖塔の影が長く伸びて街道に落ちていた。


 キアンの真実視が──都市の方角に、大量の嘘の色彩を感じ取った。距離があるにもかかわらず、色彩のうねりが視界の端で揺れている。赤い靄のような色彩が、都市全体を覆っていた。人が多い場所には嘘が多い。それは旅の中で学んだことだ。だが都市が纏う赤の密度は、これまでに見たどの集落よりも濃かった。


 あの都市は、嘘で満ちている。キアンは目を細めた。覚悟はしている。修練の成果もある。焦点化と保留の技術で、都市の喧噪にも耐えられるはずだ──はずだ。だが覚悟と耐性は別物だ。嗄れた声で「行くしかない」と言った自分の言葉が、まだ耳の奥で響いていた。行くしかない。嘘ではない。だがその先に何が待っているかは──わからない。わからないことは嘘ではないから、喉は灼けない。わからないまま、歩く。三人の足音が砂の道に重なり、都市の尖塔が一歩ごとに近づいてくる。赤い靄がゆっくりと視界を侵食し始めていた。新しい段階が──始まろうとしている。


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