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嘘つきは真実を灼く ~七つの聖火と嘘喰いの孤児~  作者: 蒼月よる


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優しい嘘

 旅路で出会った商人の隊商に混じって、一日を過ごした。


 隊商は十数人の商人と護衛で構成されていた。荷を積んだ驢馬が列をなし、蹄が砂の道を叩く規則正しい音が耳に心地よい。巡礼路を行く旅人は少なくなく、三人が紛れ込んでも目立たない。隊商の先頭を行く商人頭は日に焼けた顔に白い歯を見せ、陽気に歌を口ずさんでいた。後ろに続く若い商人たちが合いの手を入れ、護衛の傭兵が退屈そうに欠伸をしている。乾いた風が砂塵を巻き上げ、荷の上にかけた布が風にはためく。香辛料と革と汗の匂いが入り混じり、隊商全体が移動する市場のような賑わいと猥雑さを持っていた。人の気配に囲まれるのは久しぶりだった。荒野と野営地ばかりの旅では忘れかけていた、人間の温度と嘘の密度。キアンは真実視の制御を実践する機会を得た。


 商人たちの嘘が視える。値段の誤魔化し──「原価ぎりぎりだよ」と言いながら三倍の利鞘を乗せている赤。品質の誇張──「最上級の絹だ」と謳う声の周囲に纏わりつく淡い赤。商売敵への悪口──「あいつの品は混ぜ物だらけだ」と囁く声が赤く灼ける。護衛の傭兵が「怖いものなどない」と胸を張る声も赤い。嘘だ。夜盗への恐怖を虚勢で覆っている。すべてが赤い色彩の洪水だった。だが修練の成果で「保留」の技術が少しだけ機能した。視えている。だが暴かない。白い炎を意識の芯に据え、赤い色彩を一つずつ箱に入れ、蓋を閉じる。声にしない。呼吸を整える。箱の中身が膨れ上がって蓋を押し上げようとする圧力を、意志で押さえつける。


 辛かった。これだけの嘘を同時に浴び続けると、頭の芯がじんと痺れ、こめかみの奥が脈打つように痛む。視界の端が赤く染まり、意識の表層を嘘の色彩が洗い続ける。だが暴走はしていなかった。市場で暴走した日を思い出す。あの日は嘘の色彩が奔流のように押し寄せ、制御が吹き飛んだ。口が勝手に動き、真実が溢れ出し、人々の怒りを買った。今は違う。辛いが、耐えられる。箱の蓋は閉じたままだ。焦点化の技術で商人頭の声だけに注意を絞り、他の嘘を背景に退かせる。すべてを同時に処理しようとしない。一つずつ。一つずつ箱に入れる。小さな進歩だった。アナヒドが時折心配そうに振り返る視線を感じたが、キアンは小さく頷いて見せた。喉は灼けなかった。大丈夫だ、とは言わなかった。ただ頷いただけだ。


 隊商の中に、母親と子どもがいた。


 子どもは五つか六つだろう。毛布に包まれ、母親の腕の中で浅い呼吸を繰り返している。顔色が悪い。頬がこけ、唇が乾いて割れ、瞼の下に青黒い影が落ちている。時折咳き込むと、小さな身体全体が震え、母親の腕が反射的にきつく抱きしめる。母親の顔は疲弊していた。目の下に深い隈があり、唇はひび割れ、頬がこけている。だがその目だけが強い光を宿していた。子を守る獣の目。恐怖と愛情が同じ温度で灼けている。


 母親が子どもの額を撫でながら、穏やかな声で繰り返す。指先は荒れていたが、子どもの額に触れる仕草だけは羽根のように柔らかかった。


「大丈夫よ。すぐ治るわ。次の町に着けば、良い薬師がいるから。すぐ元気になるわ」


 キアンの目にはそれが赤く灼けて視えた。嘘だ。子どもは重病で、母親はわかっている。次の町の薬師に望みをかけてはいるが、治る保証はないことも知っている。子どもの呼吸が浅いことも、熱が下がらないことも、日ごとに体力が落ちていることも──すべて知った上で、「大丈夫よ」と言っている。声の震えを押し殺して、微笑みの形を唇に刻んで。


 だがこの嘘は──温かかった。


 赤い色彩の中に、微かな温もりがある。灼ける赤ではなく、温かい赤。商人の嘘は乾いた赤だった。傭兵の虚勢は硬い赤だった。だが母親の嘘は──夕焼けのような、柔らかい赤。人を傷つけるための嘘ではない。子どもを守るための嘘。恐怖を和らげるための嘘。子どもが怯えないように。子どもが母親の腕の中で安心して眠れるように。母親の嘘は、愛と恐怖を練り合わせたものだった。優しい嘘。キアンが生まれて初めて見る、温かい赤。


 キアンは初めて「暴いてはいけない嘘」の存在を意識した。


 すべての嘘が等しく悪いわけではない。この母親の嘘は──暴けば子どもの希望が砕ける。「大丈夫じゃないよ」と真実を突きつけることに、何の意味がある。暴かなければ、子どもは母親の温もりの中で眠れる。嘘に包まれて、怯えずに済む。真実はときに暴力だ。嘘はときに慈悲だ。


 嘘つきとしての自分は、あの母親の嘘を理解できる。嘘で人を守ることの意味を、誰よりも知っている。孤児院で年下の子に粥を渡した日のことを思い出した。「もう食べた」と嘘をついて、空っぽの腹を抱えて眠った夜。あの子は泣かずに済んだ。あの嘘も温かい赤だったのだろうか。嘘つきの自分は、あの母親と同じ側にいたのだ。嘘で人を守る側に。だが真実視を持つ自分は、あの嘘が嘘であることを知っている。知っていて黙る。保留する。箱に入れて蓋を閉じる。だが今回の保留は、修練の成果ではなかった。ただ──暴きたくなかったのだ。あの温かい赤を壊したくなかった。


 夜、野営地でアタルに問うた。焚き火の炎が揺れ、砂漠の夜風が冷たい。星が無数に広がり、乾いた空気に焚き火の煙が真っ直ぐに昇っていく。アタルの手のひらの上で、いつものように薪も火打ち石も使わずに生まれた炎が穏やかに燃えている。


「嘘が全部悪いなら、あの母親の嘘も悪いのか」


 アタルは焚き火の炎を見つめたまま、「おまえはどう思う?」と返した。色がない。いつもの透明な声。答えではなく問いを返す。


 キアンは答えられなかった。


 嘘で生きてきた自分と、嘘を暴く力。「優しい嘘」の存在が、両方の自分を揺さぶっている。嘘つきとしての自分は、あの母親の嘘を肯定したい。真実視を持つ自分は、嘘は嘘だと断じたい。どちらの自分が正しいのか。どちらも正しいのか。善悪二元論の世界で育ったはずなのに、嘘と真実の間にも灰色がある。


 翌朝、隊商と別れた。母親がキアンに微笑みかけた。子どもを抱いた腕が、ほんの少しだけ震えていた。子どもはまだ眠っている。浅い呼吸。薄い瞼。小さな鼻の頭に、朝露が光っていた。


 キアンは何も言えなかった。嘘も本当も。言葉が喉の奥で灰になり、口をついて出ない。母親の瞳に涙が光っていた。それでも微笑んでいる。子どもを抱く腕の震えは止まらないが、微笑みだけは崩さない。あの微笑みもまた、温かい赤なのだろう。子どものために。自分のために。嘘で作った微笑みが、それでも確かに誰かを守っている。ただ手を振り返した。嗄れた声では何も言えないが、手なら振れる。手を振ることに嘘は含まれない。母親の微笑みが遠ざかり、隊商の砂埃が風に流されていく。手を下ろした後も、温かい赤の残像がしばらく視界の隅に留まっていた。


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