95[2-29].ジルの通夜
長いので分けましたが、それでもちょっと長いです。
「……本日は、足を運んでくださり、ありがとうございます。
デイ神社、次席のキルカでございます」
悪魔との交戦が終わった、その日の夜。
ザキヤミのデイ神社では、ジル・D・レイの通夜が執り行われていた。
エル教会が各都市を押さえ込む時代。
それでも、デイ神社の通夜の場には人が途切れなかった。
戦場だった空気の名残が、まだ神社の隙間に残り、魔力と血の微かな匂いを洗い流せないままの夜。
「今夜はジル・D・レイの通夜。
皆さまの手向けの言葉を、一人ずつ、確かに受け取ります。
泣いても良い。黙って手を合わせても良い。
一言だけでも、ジルは喜びます」
喪主を務めていたのは、キルカ。
デイ神社で、ジルの次に立場がある老女。
背は小さいが、年齢に見合わぬ真っ直ぐな背筋。そこに立つだけで場が締まる凛々しさ。
伴侶のような距離でも、仕事の関係上でもない。もっと古く、重い信頼がその背中に宿る。
けれど。
ジルがいない現実が受け入れられない顔つきが、彼女とジルの関係を物語っていた。
「ジル・D・レイは、宮司として生きました。
各都市の神社内での祭祀や儀式を統括し、
神社の運営にかかわる神職や巫女の指導及び管理を担ってまいりました」
デイ神社の代表宮司。
そして、各都市にあるデイ神社の総括だったジル。
「ですが……ジルは、宮司としての立場よりも。
この街の暮らしだけではなく、一人でも多くの人が豊かな感性を持てるために、
行き場を無くした若者達を支えるため、一人の人間として努めてきました」
市民にとってジルは、神社の人間というよりも、暮らしの背骨だった。
名を呼ぶだけで、笑顔が返ってくると思える人。
困りごとを言えば、怒鳴らずに受け止め、必要な教えを差し出す人。
「そして、旅たったとしても、皆さまが彼の生きた証になります。
どうか、急がず。あなた方のやり方で、彼を見送ってあげてください」
通夜の場は静かだった。
静かであるほど、泣き声が目立った。祈りの声が、ひそひそと重なる。
誰かが故人の名を呼び、耐えきれずに嗚咽を漏らす。それが次の誰かの涙を引き出す。
「……遠くの者たちも、今夜は、ここにおります」
キルカの隣で、ギアドが一歩引いて動いていた。
喪主の言葉を現場の段取りに変える役目。列を途切れさせない役目。
そしてもう一つ。来られない者たちを、この場へ繋ぐ役目。
「モトマク産の機械と、ギアドの秘術道具を介して、弔いの言葉が届いております」
少しだけキルカの声が震える。
祭壇の脇に、モトマク産の小さな機械が置かれ、その横にはギアドの秘術道具。
偽造や呪いを弾き、署名の秘力紋だけを照合して、本人の言葉と想いを文字起こしにする道具。
そして、映像が各都市のデイ神社で見ることができるホログラム。
「電報と……配信か……」
ユーサは、前世の記憶をなぞるように胸の内で呟いた。
葬儀の時のお悔やみの言葉を知らせる電報。
そして、電気やネットを通さず、異世界ならではのやり方で、世界中に現地を配信していた。
距離を、モトマク産の機械とギアドの秘術道具が埋めていく。
ギアドの道具が淡く鳴った。認証が通った合図。
通夜の静けさの中。
紙が一枚、すっと空気の縫い目から滑り出るみたいに現れた。
印刷ではなく、思いの込められた転送。
ギアドの手に触れ、かすかな音を立てて止まる。
次の一枚。また次の一枚。途切れない想いが流れていく。
「遠方で来られないのではない。遠方だからこそ来られない。
そのため、来られぬ者の心が、紙になって届いていております。
ジルが育てた才能達は、ここに集まっております」
《デイ神社代表宮司 ジル・D・レイ殿へ》
《ご逝去の報に接し――》
そのたび、参列者の誰かが息を呑み、誰かが目元を押さえる。
来られなかったはずの人が、今夜もここにいると分かるから。
名前は、多すぎて追えない。
ユーサも追いながら途中で諦めたが、肩書きと、文面の温度だけで分かる。
「ジルの手元離れた才能達は、各都市で各自が夢を叶え、活躍しております。
ジルの思想を受け継ぐ者、時には思想が変わり立場が変わった者。
しかし、彼らの中に眠る生きる根源は、ジルが救い上げてきたと、私は側でずっと見てきたつもりでございます」
遠方の都市のデイ神社の関係者。
都を離れられない管理者。
負傷者を抱え、移動が許されない医療機関。
立場上で動けない者。
商会の重鎮。政治家。貴族。
そして、エル教会の関係者の名まで混じっていた。
「皆、事情の違いだけで、心の向きは同じであります。
今夜だけは、立場や派閥より先に、人としての別れを、皆、優先してくれております」
敵味方の枠なんて関係ない、とでも言うように、短い文が届く。
《あなたに救われました》
《あの時、あなたの言葉で生き延びました》
《あなたが見つけた才能の種が、今、街を支えています》
《誰にも見えないところで、私達を今も守ってくれています》
《今は行けないけど、必ず、手を合わせに行きます》
誰かが「ジル様」、「先生」、「宮司殿」と呼ぶ。
呼び方が違うだけで、救われた気持ちは同じだった。
「世界中のあちこちで、彼の教えを受けた者が、今も生き続けている。
助けられた者が誰かを助ける側に回り、芽を植えられた者が別の芽を守っている」
キルカは参列者に向け、声を抑えながら告げる。
「各都市の方々には、後日、別でお別れの機会を設けます。
……今夜は、ザキヤミ市民の皆さんのお別れを優先させてください」
言い終える声が、わずかに震えた。
キルカ自身、喉の奥に詰まるものを押し戻しながら進めているのが分かる。
市民は列を作り、故人に向かって頭を下げた。
礼を言う者がいた。ただ名前を呼ぶ者もいた。
何も言えずに、手を合わせるだけの者もいた。
ジルが生きていた証拠が残っているみたいだった。
「……ジルさんが言っていた『沢山の才能』というのは、こういうことか」
才能の種は、通夜の場にも、遠い都市にも、静かに根を張っていた。
今夜集まっているのは市民だけではない。
ジルが育てた『続きを生きている人間』が、ここに集まっている。
「……こんな、ことになるなんて……」
ユーサは、誰にも聞こえない声で呟いた。
ユーサの胸の奥に、今朝の爆風が蘇る。
いったんは落ち着いたはずの心臓が、また鈍く鳴り始めた。
あの爆風の温度。血の匂い。腕の中で消えていったジルの重さ。
思い出しただけで、胸の奥が軋んだ。
祭壇の方を見て、ユーサは息を飲んだ。
布の向こうに、返事をしない人がいる。
視界の端で、ケイが手を握り締めたまま動けずにいる。苦しい顔だった。
ディアのまつ毛の裏が赤く、目元が静かに痛んでいる。
各ギルドの長達の並びの中にトム。医療機関の重鎮達の中にナザ。
多くの者が、目に涙を浮かべていた。
――ジルさん。
ユーサの胸の奥がまた鳴る。
神秘術で、ジャンヌのいる場所に、ジルは辿り着けただろうか。
苦しまないで済んだだろうか。辿り着けた保証は、どこにもない。
――ちゃんと辿り着けましたか?
言葉にできない問いが、喉の奥で引っかかったまま消えない。
祭壇の脇。デイ教の象徴。
救世主の像が、薄明かりの中で影を落としている。
ジャンヌに似ているようで、似ていない偶像。
それでも今のユーサには、どうしても「あの声」だけが重なる。
死後の世界エデン。
そこで聞いた忠告が、遅れて心臓を刺す。
――「そして、最後に忠告をひとつ。
走らなくても良いが、早く行動に移して、急ごう。
ユーサ。君だけ時間がないわけではない。
時間は平等だ。
もし、君が【復活】しても、大事な人がいなくなったら、
後悔するのは君だということを、忘れないことだよ。」
彼女の言う通りになった。こういう意味だった。
分かりたくないほど、分かってしまった。
ユーサは、誰に向けるでもない声が、こぼれ落ちた。
「僕が……復活するのが、遅かったって事ですか……神様……」
『どうすれば良かったのか?』という嘆きが、ユーサの中で騒ぐ。
問いかけは像に向かう。答えが返らないことは、分かっている。
それでも、言わずにいられなかった。子供が親にぶつけるみたいな、ずるい問い。
返事のないまま。ユーサの言葉だけが、通夜の空気にほどけていった。
「……僕は」
その瞬間、ユーサは自分の声に驚いた。
責める声ではない。神に縋る声だった。
典安からユーサになった頃。
答えが返ってこない異世界で、ユーサは自分で悩み、腹を括って動いてきた。
誰の許可も取れないまま、間違える痛みも、失う後悔も、自分のものとして飲み込んで。
前世の過ちを繰り返さないように、自分で答えを出して第二の人生を生きてきた。
けれど、一度死んで、死後の世界エデンで、ジャンヌに会った。
そこで「生き返る」という選択を、本来ならありえない神秘として与えられた。
与えられた代わりに、【召命】という鎖も渡された。
限定的に命を握られている。それだけが原因ではない。
ユーサの心のどこかが、もう理解してしまっていた。
家族や仲間とは違う場所で、ジャンヌが信頼できる存在として座ってしまっていることを。
ふざけた事も言うが、自分を導く言葉をくれる頼もしさ。
裏切らないと信じてしまう相手。そして、自称ではなく、本当の神なのだという実感。
だからこそ、甘えが出た。
自分の力で答えを出してきたはずの男が、答えを知っているかのような神に向けてしまう甘え。
無宗教だった男は、宗教の存在を否定できなくなっていた。
ユーサは像を見つめたまま、喉の奥で言葉を転がした。
声にならないのに、胸の中では確かに叫んでいる。
――こうなることも、気づいていたんですか?
「神様、なぜ僕なんですか? なぜ僕を……」
ーー生き返らせたんですか?
信頼は、いつの間にか依存に近い形へ変わっていた。
ユーサが誰にも聞かれないように、小さく呟いた。
その時だった。
通夜の中心に立つキルカが、ゆっくりと顔を上げた。
参列者の列の終わりが見えてきた頃。涙が乾く前に、次の涙が落ちる頃。
彼女は喪主としての声を、静かに通した。
「最後に、一つだけ。……皆さまに申し上げます」
場のざわめきが、ほんの僅かに引いた。
キルカの声は大きくない。だが、背筋を正させる重みがあった。
「今夜ここへ来られた者、恩を返している。
来なかった者が、恩知らず……という訳ではありません」
言い切った瞬間、キルカの喉がわずかに震えた。
「受け入れられない者もいます。最後の別れを、したくない者もいます」
強く言い切ろうとするほど、強がりが滲む。
それでも彼女は、声を出し続けた。
「……私は、……まだ受け入れられません」
そこで、キルカは一拍だけ言葉を止めた。
止めたぶんだけ、胸の中の何かを押し下げた。
「……乗り越えられません。……忘れられません。
これは、きっと私が死ぬまで、続くでしょう」
その告白は、弱さだけではなかった。
少しだけ俯きながら、喪主の務めを果たしながら。
立場のある者の言葉ではなく、一人の人間として、ジルを思い続ける本心の打ち明け。
「ジルは……神秘術の影響と、己の使命のために、長く生きてきました。
私たちが信じられなくなるほどの長い時間を……です。
そのため……自分よりも先に、この世を去った多くの若者達を見てきました。
彼も、その子達に向けて同じような事を言っておりました」
側で見てきたキルカも同じ痛みを抱えた者として、その場にいる者達へ。
知って欲しいジルの人生を伝え、再び声を上げた。
「だから、今日を『最後の別れ』にする必要はありません。
心が少しでも落ち着いた日に、会いに来てやってください」
キルカは、視線を参列者の方へ、隅から隅まで見たあと、配信の目へ向ける。
まるで、電報を送ることもできなかった者にも、優しく語りかけるように。
「手を合わせるのが怖くて、会いに来れない時は、思い出すだけでもいいのです。
一番大事なのは、
皆さまの中にあるジルの教えを……思い出を……、思い出してあげてください」
そして、キルカは祭壇の方へ視線を向けた。
布の向こうにいるはずの男へ。
「きっと、ジルも喜びます」
参列者の中に、堪えきれない嗚咽が漏れた。
誰もその音を責める者はいない。
キルカは続ける。
「これは、彼を導いたとされる、救世主様の言葉でもあります。
――『受け継ぐとは、背負うことではない。意志を胸に、生き続けること』だと」
その一言が、通夜の空気を変えた。
未来を願う祈りではなく、導きの言葉だった。
「どうか、皆さまの人生の中で、彼を生かしてあげてください」
言い終えたキルカは、ほんの僅かに肩を落とした。
老女の背中に、今夜だけは幼い影が宿って見えた。
ユーサは、その言葉を聞きながら、胸の奥が熱くなるのを感じた。
ユーサの指先は、無意識に左手へ向かった。
【ラーマの指輪】に触れる。
さっきまで迷子になっていたユーサの心に、何かが灯った。
「……それでは、参りましょう」
キルカの言葉が通夜の空気に沈み、彼女は小さく言った。
そして一礼が合図になり、神職たちが無言で動き出し、参列者の視線が棺へ揃っていく。
棺を墓場へ送るための段取りが、静かに始まった。
その時。
小さな足音が、床を急いだ。
通夜の静けさを割るのに、場違いなくらい澄んだ声が飛び込んでくる。
「……パパ! ただいま!! あと……おかえり!!」
マリアだった。
*ちょっと長い説明。
タイムリーにあった、葬儀の件で僕なりの見解もあります。
告別式・葬儀では行けた方が良いとは思いますが、行った人が偉い、とかそういうのは、無いと思っています。
遠くて会えない人もいる。持ち場を離れられない人だって、行きたくても行けない人がいます。
周りの意見や言葉に左右されず、故人のためにできることは、人それぞれだと思います。
大事なのは、その人の事をどう思うか、亡くなった後も自分の人生に故人をどう自分の中で生かすか
自分次第ではないかと思っています。
宗教の関係でご冥福を祈るのは良くない人もいると思いますので、安らかな眠りをお祈りいたします。




