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D/L Arc 魔転生 ―召命を越える月虹― D_ / Luna Another world Reincarnation Calling …en Ciel  作者: 桜月 椛(サラ もみじ)
第2章 カーテン・フォール編

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120[2-54].ヘディの過去《吸血鬼集団【ヴァンパイアーズ】》

今回も長いです。7900字あります。





 病室に、張りつめた静けさが戻る。

 しばらくして、ディアが小さく息を吸った。


「……兄さんを救ってくださったのは、シ・エル最天使長だったのですね。ありがとうございます」


 その言葉に、ユーサはシ・エルの方を見た。


(……ずっと見ていたんじゃないのか? 何を企んでいたんだ)


 そう口にしかけて、ユーサは結局やめた。

 今すぐ確かめるべきことでもない気がして、ここでディアの気持ちに水を差すようなことはしたくなかったからだ。


 ディアは胸元で手を握りしめたまま、震える声を続ける。


「けど……今、その力を兄さんが持ってるってことは……リオン叔父さん、は……」


 その先を言い切れず、唇が震える。

 苦しげに顔を伏せるディアを見て、ヘディはすぐに言葉を返せなかった。


 そんな空気を切るように、シ・エルが穏やかに口を開く。


「続きを話したらどうだい。君があれから、どう生き延びたのか――余も詳しく聞きたい」


 ヘディはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。


「……そうだな」


 そして、病室の誰とも目を合わせないまま、ぽつりと続ける。


「オレは先ず、シ・エルの言われた通り……里を降りて、リオンが治める王都の城下町に向かった」




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 里を離れ、雪道を抜け、ようやく辿り着いた王都の城下町は、ヘディが知っている世界とは何もかもが違っていた。


 人の熱気。

 途切れない喧騒。

 石造りの建物が並び、馬車の音と、人々の怒鳴り声と、商人の呼び込みが、あちこちでぶつかり合っている。


 だが、その活気の中で、ヘディの耳に一番深く刺さったのは、広場で繰り返されるひとつの“物語”だった。


「偉大なる新王リオン陛下は、吸血鬼に惑わされた先王レオン陛下を救おうとなさったのだ!」

「王家の正しき意志と力は、いまリオン陛下へ継承された!」

「元凶は、魔族の女――あの吸血鬼の里にあったのだ!」


 人々はそう信じ、そう語っていた。


 ヘディは、人混みの中で立ち尽くした。


「なんだよ……これ……」


 聞かされる言葉の一つ一つが、喉に焼けた鉄を押し込まれるみたいだった。


 レオンは、王家の責務から逃げた愚王ではなかった。

 吸血鬼に惑わされ、王都を混乱へ導いた被害者。

 それを救おうとした勇敢な弟が、今の王――。


 しかも、全ての元凶は、吸血鬼の女。

 すなわち、ヘディとディアの母親のように語られていた。


 更に、吸血鬼の里の魔族は、教会の異端者狩りと相打ちになるほどの脅威だったとも吹聴されている。

 それはつまり、吸血鬼という存在そのものが、王都ではより一層、恐怖の対象として塗り固められているということだった。


「……リオンのやつ。ふざけやがって」


 ヘディは小さく吐き捨てた。


 分かっていた。

 あの男が、自分に都合の悪い真実をそのまま残すはずがないことくらい。


 それでも、胸の奥では復讐心が煮えたぎっていた。

 今すぐ王城へ向かって、喉元に噛みついてでも殺してやりたい。


 だが、足は動かなかった。

 いや、正確には――動かせなかった。


「殺してやりたい……けど、その前に、腹が減った……」


 身体がまだうまく言うことを聞かない。

 内側では、鈍い重みと、焼けるような痛みと、ひどい倦怠感が絶え間なく混ざり合っている。

 シ・エルにもらった救援物資の軽食は、とっくに食べ終えていた。

 まともな食事にありつけないまま、何日も経っていた。


「先ずは、飯を食いに……シ・エルからもらった金は、使えるのか?」


 ふらつきながらも、ヘディは街中を歩いた。


 今はまだ、殺しに行けない。

 それだけは、悔しいほど分かっていた。


 その時だった。


「――っ」


 人混みの中で肩がぶつかった。

 踏ん張る前に足元がもつれ、そのまま石畳に転倒する。


「大丈夫ですか?」


 誰かが手を差し伸べた。

 ヘディが顔を上げた、その拍子だった。


 ずれた伊達メガネが、するりと外れた。


 赤い瞳が、露わになる。


「――ヒッ!!」

「赤目!!?」

「吸血鬼だ!!」


 その一声で、空気が変わった。


 ざわめきが、悲鳴に変わる。

 人が距離を取り、誰かが物を投げ、別の誰かが叫ぶ。


「衛兵を呼べ!」

「賞金だ! 吸血鬼狩りを呼べ!」

「逃がすな!!」


「っ……!」


 ヘディは咄嗟にメガネを掴み、立ち上がって駆け出した。


 石畳を蹴る。

 肺が焼ける。

 視界が揺れる。


 それでも止まれば終わると、本能だけが叫んでいた。


 その日は、なんとか逃げ切れた。


 だが、それで終わりではなかった。


 次の日も。

 その次の日も。

 似たようなことは何度も起きた。


 少しでも人目を引けば、目の色を怪しまれる。

 隠しきれずに見られれば、悲鳴が上がる。

 逃げ遅れれば、吸血鬼狩りや賞金目当てのならず者が群がってくる。


「いたぞ!! 赤目の吸血鬼!!」

「捕まえろ!!」

「殺せば金になる!!」


 その声を、ヘディは嫌というほど聞いた。


 地上へ出ようとすれば襲われる。

 地下へ潜って休もうとしても、賞金欲しさの連中が嗅ぎつけてくる。

 病魔が治ることもなく、寝る時間も、食う時間も、まともに確保できない。


 安心できる普通の暮らしなど、どこにもなかった。


(……ここは、ボクがいていい場所じゃない)


 そう理解するのに、長い時間は要らなかった。


 表の街では生きられない。

 なら、表を捨てるしかない。


 ヘディが次に足を向けたのは、一般市民が暮らす地上の街ではなく、ならず者共が巣食う地下街だった。


 腐った水の臭い。

 酒と血と薬の混じった空気。

 薄暗い灯りの中で、まともな人間なら目を逸らすような連中が、堂々と生きている場所。


 だが、そこでは少なくとも、“綺麗ごと”で石を投げてくる者は地上より少なかった。

 そして、天敵である擬似太陽の光も届かない。


「地下街に、光が届かないなら……ボクは、ここで生きるしかないか…」


 そこでヘディは、生き方を決めた。


 表では生きられないなら、裏で生きる。

 力が足りないなら、頭を使う。

 堂々と名乗れないなら、嘘をついてでも生き延びる。


 情報屋。


 それが、その時のヘディに残された現実的な道だった。


「あんた、情報屋を名乗るなら名を名乗れよ。名無しじゃあ誰もあんたに情報は渡せないぜ」

「名前……。名は……ヘディ。……ヘディ・ウェル」


 トレゾールの名を名乗るわけにはいかなかった。

 王家の名では目立ち過ぎる。

 そして、ヘディにとってその名は、里と家族と、過去と一緒に血塗れの雪原へ置いてきた名前だった。


 それからヘディは、嘘をついて生きていくことを決意した。


 その時、ふと脳裏に浮かんだのは、幼い頃にディアから聞かされた話だった。


 『オオカミ少年』


 ――「兄さん。このお話はね。嘘をつき過ぎると大変なことになるんだよ。ってお話なの」


 嘘をつきすぎたせいで、最後には誰にも信じてもらえなくなり、羊飼いの羊が狼に食われた――そんな、ありふれた教訓話ではない。

 だが、ディアが本当に聞かせたかったのは、その先だった。


 嘘をつきすぎた少年は、最後には狼に食い殺される。

 嘘つきには、悲惨な末路が待っているのだと。


 その話を聞いた子供の頃のヘディは、笑っていた。


「嘘つきには相応しい末路だ」


 無敵の太陽になる自分が、そんなみっともない真似をするわけがない。

 嘘で生き延びるくらいなら、正しく強く在りたい。

 あの頃の自分は、本気でそう信じていた。


 だが今は違う。


「……ディアに、今のボクを見せたら……怒るかな」


 ヘディは、自嘲するように口元を歪めた。


 それからの日々は、安息とは程遠かった。


 情報屋として動きながら金を稼ごうとしても、毎日が命懸けだった。


 地上へ情報を拾いに上がれば、賞金欲しさにたむろする吸血鬼狩りに見つかる。

 応戦して逃げる。

 地下へ戻れば、今度は地下街まで潜り込んできた賞金狩りに追われる。


 その繰り返しだった。


「いたぞ!! 赤目の吸血鬼!!」


 怒号が迫る。

 だが次の瞬間、ヘディが視線を合わせた者は、揃って足を止めた。


「……あれ? 俺は、……俺達は、何をしてたんだっけ……?」


 皮肉なことに、追い詰められるほど、ヘディの幻惑術は冴えていった。

 父レオンから継承させてもらった【ブルーリー・アイズ】は、聞き出し、誤魔化し、姿をくらますための力として、確かにヘディを支えていた。


 それでも、命を狙われる日々が消えるわけではなかった。


 寝ていても気が休まらない。

 病魔も治らず、進行が進むだけ。

 まともに横になれる夜すら少ない。

 やっと隠れ場所を見つけたと思えば、次の日にはそこを捨てなければならない。


 普通に食べることも、普通に眠ることも、普通に生きることもできなかった。


 ただ逃げる。

 ただ隠れる。

 ただ生き残る。


 そんな日々の中で、ヘディは確実にすり減っていった。


 だが、そんなある時だった。


 タイオーの地下深く。

 人目から隠れるように、さらに薄暗い通路へ足を踏み入れた時だった。


「――っ!」


 奥の方から、短い悲鳴が聞こえた。


 ヘディは反射的に顔を上げる。


 鈍い音。

 何かが壁へ叩きつけられる音。

 それから、低く濁った、獣みたいな唸り声。


 気づけば、ヘディは走っていた。


 辿り着いた先で見たのは、数人の吸血鬼たちが、下級悪魔に追い詰められている光景だった。


 細い腕。

 怯えた顔。

 庇うように前へ出る者。

 それを嘲るように囲む、醜い悪魔たち。


 その瞬間、ヘディの脳裏に、故郷の光景が焼き付いた。


 白い雪。

 血の匂い。

 異端者狩りの狂気。

 苦しみながら殺される里の住人。

 自分を守るために死んだ父と母。

 奪われた里。


「……また、かよ」


 胸の奥で、何かが軋んだ。


「また……見てるだけで……終わるかよ!!」


 悪魔の一体が、怯える吸血鬼へ爪を振り下ろそうとした、その瞬間。


 ヘディは持っていた棒を地面に叩きつけ、音を響かせた。

 反響する金属音。

 その音に釣られて、悪魔達が一斉にヘディの方を見た。


「ボクの瞳を、見ろ」


 ヘディの赤い瞳が、鋭く光った。


「――止まれ」


 低く漏れた声と同時に、先頭にいた悪魔が、その場でぴたりと硬直する。


「……Aっ!?」

「A!? AGAAッ!?」


 後ろから突っ込んできた下級悪魔達が、突然止まった仲間の背にぶつかった。


 狭い地下通路の中で、前へ出られず、避けきれず、醜い身体が渋滞みたいに折り重なる。


 幻惑の術が効きやすくなる反面、【ブルーリー・アイズ】は、たった一体にしか効果がない。

 だが、それで十分だった。


 隊列が乱れた、その一瞬。

 ヘディはもう、棒を握って踏み込んでいた。


 先頭の喉を打つ。

 ぶつかってよろめいた二体目の膝を払う。

 三体目が吠える前に、顎を下から跳ね上げる。


 鈍い音が、狭い通路に続けざまに響いた。


 悪魔が倒れる。

 転がる。

 もつれた後続が、まともに前へ出られない。


 ヘディは間合いを外さないまま、棒を横へ払った。

 こめかみ。

 肩口。

 手首。


 骨と肉を叩く感触が、手に残る。


 最後の一体が後退ろうとした時には、もう遅かった。

 ヘディの棒が、その側頭部を正確に叩き抜いていた。


 崩れ落ちる悪魔達が、ゆっくりと灰に変わり、ようやく静寂が落ちる。


 荒い息を吐きながら、ヘディは棒を握ったまま立っていた。


 自分でも少しだけ驚いていた。


 身体はまだ重い。

 病魔も消えていない。

 それでも今の一瞬、自分は確かに動けた。


 守れた。


「……大丈夫か」


 ヘディがそう言うと、助けられた吸血鬼たちは、呆然としたままこちらを見上げ、頷いた。


「助けて……くれたのか?」

「今の……一人で……?」


 その奥から、一人の男がゆっくりと歩いてきた。


 鋭い目つきの男だった。

 だが、その眼差しの奥には、警戒だけではないものがあった。


「……なるほど。最近、地下を騒がせてる“ヘディ・ウェル”ってのは、あんたか」


 ヘディが振り向く。


「……そういうアンタは?」

「オレは、【吸血鬼集団ヴァンパイアーズ】のリーダー。ザック」


 ザックは倒れた悪魔達と、助けられた同胞達を見やってから、静かに続けた。


「オレが駆けつける前に悪魔を退治してくれたこと、感謝する。今のを見た後で、あんたを無関係のまま帰す気にはなれないね」


 ザックの背後で、助けられた吸血鬼達が何度も頷いていた。


「ありがとう。本当に、死ぬかと思った……」

「アンタが来なかったら、私達……。だから、お礼をするよ」


 その声を聞いた時、ヘディの胸の奥に、妙な熱が残った。


 ザックはそんなヘディを見て、短く言った。


「来いよ。話をしよう。少なくとも、ここじゃあんたを歓迎するぜ」


 ヘディは、すぐには答えなかった。


 けれど、差し出されたその言葉は、地上で浴びたどんな罵声よりも、ずっと重く胸に残った。


「……わかった。ありがとう」


 心から言葉を伝えるように、そう言って、ヘディは棒を下ろした。

 誰かに感謝の言葉を言ったのが、いつぶりなのか、自分でもわからなくなるほどの時が、ヘディの中で流れていた。


 そこから、ヘディの人生は一変した。


「辛かったよな」


 ザックが、短くそう言った。


「ここにいる奴らは、みんな似たようなもんだ。里を失って、行き場をなくして、それでも生き延びてる」


 周囲の同胞達も、警戒しながら、けれど完全には突き放さない目でヘディを見ていた。


「……最近、賞金狩り共を何人も撒いてるって噂の奴か」

「地上の情報を拾ってるって話も聞いた」

「もし本当なら……力を貸してほしい」


 同じようにリオンへ恨みを抱く者。

 苦しみながらも、挫けそうになりながらも、互いを支え合って生きている者達。


「これが……シ・エルが言っていた……仲間……?」


 初めてだった。


 里を降りてから、安心できる場所を見つけたのは。

 嘘をつかずに、自分が自分でいられる場所を見つけたのは。

 自分の生き方を、認めてくれたのは。


 ヘディ・ウェルではなく、ただのヘディでいられる場所。


 そこでは、誰も赤い瞳を恐れなかった。

 誰もが吸血鬼だからこそ、お互いを助け合っていた。


 そのぬくもりが、どれほど救いだったか。

 ヘディは、後になっても言葉にできなかった。


 そして日々が流れていくにつれ、仲間達は、ただ一緒にいてくれただけの存在ではなくなっていった。


「ヘディの症状に近い病気の薬の情報を見つけた」

「闇医者だけど、紹介しようか?」


 彼らはヘディが欲しがる情報をくれた。

 病魔を抑える術や、治療の糸口を、少しずつ繋いでくれた。


「今のボクに……できる事は……」


 だからこそ、ヘディもまた考えた。

 自分にできることは何か。

 どうすれば、生きるだけじゃなく、この居場所に返せるのか。


 地上と地下街で集めた情報を売り、得た金を回し、必要な薬や物資を探す。

 それが、今の自分にできることだった。


「リオン王に一矢報いようとしてる、あんたの為なら何だってするぜ。何と交換する?」

「ねぇ、地上の情報を集めてるんだろ? 今、上じゃ何が起きてるんだ?」


 自分は、思っていたよりも長く生きられるかもしれない。


 ヘディは、そう思えた瞬間、胸の奥に、これまでとは違う火が灯った。


「ボクが……みんなを守れる存在になる。この地下街で皆の“太陽”になるんだ」


 復讐だけじゃない。

 生きるためでもある。

 そして今度は、仲間を守るために強くならなければならない。


 ヘディは、そう決めた。


 情報屋として、ペンで書いた情報を資金に変える。

 仲間達の暮らしが少しでも良くなるように、各都市に散った同胞との繋がりを作っていく。

 地下で、裏で、名もなき者同士の網を広げていく。


「ヘディは、なんで槍や棒とか長物を武器にしてるんだ? こんな狭い地下街で」

「……さぁ。なんでだろうね。ザックに言われるまで、気にしたこともなかった」


 そして、身体も鍛えた。

 毎日欠かさず、我流ながら槍術を磨いた。


 頭の中に焼き付いていたのは、リオンの槍だった。

 皮肉にも、自分が一番憎みながらも強いと認めていた男の戦い方を、ヘディは見よう見まねで何度もなぞった。


 踏み込み。

 間合い。

 重心。

 突きの速さ。

 殺すための、無駄のない動き。


 最初は真似事に過ぎなかった。

 けれど、それを何度も何度も繰り返すうちに、ヘディの中でそれは自分の技へと変わっていった。


 単なるイメージでは終わらなかった。


「ま、待ってくれ!! 降参だ!!」

「あんた、流派は? え!? 我流でそこまで磨き上げたのか!?」

「情報屋だけじゃなくて、ウチで用心棒として働かないか?」


 吸血鬼狩りをしてくる賞金狩り。

 地下街の武闘派と知られるならず者達。

 荒事専門の用心棒達。


 そうした連中と何度もぶつかり、その度に生き延び、その度に技を研ぎ澄ませていく。

 気づけばヘディは、地下でも地上でも、そう簡単には負けない吸血鬼になっていた。


 敵無し。


 誰かがそう呼んだことがあった。


 その言葉を聞いた時、ヘディは少しだけ笑った。


 まだだ、と。


 まだ、本当に敵無しになったわけじゃない。

 まだ、太陽になれたわけじゃない。

 まだ、守りたいものを全部守れるわけじゃない。


 けれど――。


 雪原で這いずることしかできなかったあの日の自分よりは、確かに前へ進んでいた。


 名を偽り仕事を得た。

 金を得る術を得た。

 戦う力を得た。

 仲間と希望を得た。

 生き延びる術を得た。


 そして、()()()()()()ところまで、自分を持ってきた。


 ヘディは、静かに目を伏せる。


「ボクは……シ・エルの手のひらの上で踊らされていたのかもしれない」


 そう吐き出す声は、どこか苦く、それでいて少しだけ柔らかかった。


「けど……そのおかげで、ボクは生き延びた。仲間もできた。強くもなれた。

 それは、ボクの中にある、唯一の“真実”」


 そして、ゆっくりと顔を上げる。


「だからボクは、真実を流して、リオンを倒す。

 そして……吸血鬼の皆が、これ以上追われなくて済む場所を作る」


 その赤い瞳の奥に宿っていたのは、もう雪原で泣いていた少年の光だけではなかった。


 何度も情報を集め、何度も機を窺い、ようやくその夜が来た。


 そして、リオンが他都市への外交から戻ってくる日時の夜――。


 リオンの暗殺計画が、始まろうとしていた。




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