121[2-55].ヘディの過去《ボクの大事な思い出【メモリーズ】》
今回は4400文字ぐらいです。……長いので二つに分けました。
地下街の夜は、珍しく騒がしかった。
酒の匂い。
血を煮た料理の匂い。
古びた楽器が鳴らす不揃いな音。
誰かの笑い声と、誰かの歌声が、低い天井の下で混ざり合っている。
リオン暗殺計画が、いよいよ現実のものとして動き出す。
その決行を前にして、吸血鬼集団の仲間達は、まるで自分のことのように浮き立っていた。
「これで、ようやくだ……」
「リオンの野郎に、思い知らせてやれる」
「真実を王都中に流してやるんだ」
「本来の継承者が誰か、奴らに教えてやる」
ヘディにとっての復讐は、もはやヘディ一人のものではなくなっていた。
残虐な王リオンへの復讐。
吸血鬼の汚名を晴らすこと。
先王レオンの血を継ぐ本来の継承者が、ヘディであること。
それらを、仲間達は本気で望んでいた。
まるで自分のことのように、ヘディの怒りを、自分達の怒りとして抱えていた。
「キャー! ヘディ様!」
「ヘディ様! 私、必ずお役に立ちますわ!」
「あんた、何抜け駆けしてんのよ! ……ヘディ様、私、実は薬の知識がありまして……」
女達が群がる。
その熱気に押されながらも、ヘディは拒まず、だが深入りもせず、上手く受け流していた。
「あぁ、ありがとう。助かるよ。気持ちだけでも嬉しいよ」
優しく笑う。
相手を傷つけないように言葉を選ぶ。
だが、そのどれもが表面だけだった。
ヘディの中で、本当の意味で誰かに心を開く顔は、どこにもなかった。
それに気づいていたのは、一人だけだった。
「ヘディ。なんで彼女を作らないんだ?」
ザックが、酒の入った杯を揺らしながら笑う。
「女に興味がないのか? まぁ、お前が王族なら引く手数多だからなぁ。モテる男は余裕だね」
「茶化すなよ、ザック」
ヘディは肩を竦めるように鼻で笑った。
「……そんな気は一切ないよ。ボクは……幸せになるつもりはない」
その言葉に、ザックの笑みが少しだけ薄れた。
「妹さんが見つかるまでは……とかか?」
「それもある。けど、それだけじゃない」
ヘディは宴の喧騒から少しだけ目を逸らした。
「ボクがやっていることは……結局は復讐だ。しかも、原因はどうあれ、同じ血を分けた叔父を殺すつもりでいる」
遠くを見るような目だった。
「そんな奴が……誰かと恋愛したり、幸せになったりして良いはずがない」
ザックはしばらく黙っていたが、やがて困ったように笑った。
「考えすぎだよ。そういうところは真面目だよな」
「……そうか?」
「あぁ。王家のいざこざの歴史なんざ、むしろ家族同士で殺し合ってる方が多いんじゃねぇのか?」
ザックが肩を揺らして笑う。
「優しすぎるぜ、ヘディは」
「……そうなのか?」
「そうだよ。深く考えてないで、ヘディもどうだ?」
ザックは宴の中心を顎で示した。
「「「フッフッフ〜!!」」」
宴の中心で、大人数が楽器を奏で、不揃いながらも歌を合唱する。
「……なんだアレ?」
「知らないのか? 巷で流行っているらしい音楽を、オレ達風にアレンジしたんだ」
「アレンジ? ……そういえば、この前そんな情報をボクが持ってきたな」
「あぁ。世間じゃ“快楽、薬、音楽”って流行ってるやつだ」
「……でも、みんな、違う言葉を叫んでるぞ?」
ザックはからからと笑った。
「あはは。オレ達は吸血鬼だからな。“快楽、血、音楽”って感じになったのかな?」
楽しそうに楽器を鳴らし、歌い、笑い、酒や獣から取った血を飲む仲間達。
そこに踏み込まず、一線引いたところから見ているヘディ。
「ヘディもどうだ? ずっと見てないでさ。……たまには、一緒に楽しく騒ごうぜ」
「そうだな……。けど……」
ザックは、そんな親友をその輪の中へ引き込みたいかのように、わざと軽口を叩いていた。
だが、ヘディの目は、その灯に向いていなかった。
「ボクは……その資格がないんだ」
「……資格? 何を言ってんだ?」
「ザックに言ったことがあったよな? 神の……試練の話」
ヘディは低く呟いた。
「ずっと疼くんだ……、ボクの中にいる悪魔が……」
ザックの顔から、笑みが消える。
「早く、リオンを……殺せ。父さんから奪った力を、奴に使わせるな。……って」
ヘディの目に、怒りの炎が揺らめいた。
それはいつもの赤とは違う、もっと濁った、焼けつくような色だった。
「そんな試練なんて知ったことか。早く、リオンに……復讐を……って」
ザックは黙ってヘディを見つめていた。
ヘディは、ザックにだけは打ち明けていた。
悪魔と天使の試練のことを。
自分が神に選ばれ、そのどちらに傾くかを問われていることを。
「ヘディ……。お前は、それで良いのかよ?」
「あぁ」
ヘディは迷わなかった。
「これだけの仲間がいる。ザックのおかげで皆がいる。力もつけた。情報網もある。シ・エルから情報を聞き出さなくても、いずれディアは見つけられると思ってる」
そこまで言って、ヘディは少しだけ口元を歪めた。
「あんな奴の言うことを信用していたボクが、間違っていた。もう、シ・エルを頼る必要も無い」
ヘディの声は低く、静かで、そのくせ熱を持っていた。
「もう……あの頃のボクじゃない。ボクは……一人でもリオンを殺しに行ける」
ザックは何も言わなかった。
ただ、目の前の親友が、自分でも気づかないまま危うい場所へ踏み込んでいることだけは、はっきり分かっていた。
「悪魔になっても、悪魔に飲み込まれたりしない」
ヘディは、真っ直ぐザックを見た。
「ザック。ボクには君が必要なんだ。最後まで協力してくれるよな?」
その迫力に、ザックはほんの一瞬だけ言葉を失った。
恐れと、悲しみが同時に胸を刺す。
だが、ヘディはそれに気づかない。
「……あぁ。仲間だからな」
「……ザック? 何か不満か?」
「いや。不満なんてないさ。短い人生で、誰かに必要とされるなんて、……むしろ光栄なくらいだ」
ヘディは心配そうにザックを見るが、ザックは微笑みながら答えた。
「ましてや、ヘディ。お前に必要とされていることは、オレの人生を誇りに思う」
「ザック……。ありがとう。そう言ってもらえると、ボクも嬉しいよ」
言葉と同時に、もう一度お互いがグラスを乾杯する。
そのまま時間が流れ、宴も少しずつお開きの空気を帯びていく。
酒に酔って眠り込む者。
最後まで歌い続ける者。
壁にもたれて笑い合う者。
そんな中で、ザックがぽつりと言った。
「ヘディ。決行は、明後日になる」
「あぁ」
「ここはオレに任せて、明日は、いつも通り墓参りに故郷へ行ってきて良いぞ」
ヘディは少しだけ目を細めた。
「……そうさせてもらうよ。いつも悪いな、ザック」
「あぁ。明日は時間がある。それと……墓参りの帰りに、温泉へ行ってこい。タイオーじゃ有名なところらしい」
ザックは、ヘディに王都から離れた有名な温泉の無料回数券を渡した。
「あぁ。ありがとう。助かるよ」
ヘディが定期的に吸血鬼の里へ戻り、両親の墓へ祈りを捧げていることを知るのは、ザックだけだった。
「ザック」
立ち上がり際、ヘディがふと足を止める。
「君に出会えて良かった。ありがとう」
ザックは一瞬だけ目を見開き、それから苦く笑った。
「……あぁ。オレもだよ、ヘディ。家族を大事に思う、そんなお前がオレは好きだよ」
「なんだよ唐突に」
ヘディは苦笑する。
「じゃあな。また明後日、決行の日に」
「あぁ」
ヘディが背を向け、歩き出す。
その数秒後、ザックは誰にも聞こえないくらいの小さな声で呟いた。
「……あぁ。またな、ヘディ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
次の日。
ヘディは、吸血鬼の里に自分が立てた両親の墓の前で、静かに祈りを捧げていた。
「父さん……。母さん……。明日の夜、仇を討ちに行くよ。見守っておいてくれ」
目を閉じる。
冷たい空気が頬を撫でる。
王都から遠く離れた故郷。
もう何も残っていないはずの場所。
それでもここには、自分の始まりと終わりが埋まっている気がした。
「……そろそろ、行くか」
ヘディは墓から離れようとして、ふと空を見上げた。
雪が降っていた。
「雪……か……」
擬似太陽が空を照らしているのに、溶けずに降り続けるタイオーの雪。
脳裏に、母の声が蘇る。
――「なんで雪は溶けずに降るの?」
――「タイオーの雪はね、神様からの贈り物なの。だから、祝福を授けてくれる花……って言われてるのよ」
「雪は……空から降る、祝福の花」
そう言いながら、母が雪の結晶を掌に乗せて見せてくれた。
ヘディはしばらく、その場から動けなかった。
故郷を見渡す。
もう何もない場所。
「……この辺に、ボク達の家があって……」
だが、自分の目にはまだ残っている。
「……ここら辺を、ディアと駆け回っていたな」
ただ一人、故郷を歩く。
どこに何があったのか。
どこで笑って、どこで転んで、どこで怒られて、どこで眠ったのか。
駆け回る記憶。
幼かった頃の住まい。
遊び場。
家族の笑い声。
思い出に浸るうち、時間は想像以上に過ぎていった。
「……長居し過ぎたな。そろそろ戻るか」
墓の前に立ち、ヘディは小さく息を吐く。
「……行ってくるよ。父さん、母さん」
そう言って、里を後にしようとした、その瞬間だった。
大爆発。
地震。
足元が激しく揺れた。
ヘディは身動きが取れず、その場に倒れ込む。
「――っ!? なんだ!!?」
王都の方角から、暴風と熱風が叩きつけてきた。
雪原の大地が、一瞬で光に包まれる。
溶ける。
焼ける。
世界そのものが白く裂けるような感覚。
そして、光が消えた次の瞬間。
ヘディは、言葉を失った。
「……こ、れは……まさか……」
ヘディは音のした方へ駆け、山里の高みから王都を見た。
「なんで……、どう……して……」
そこにあったはずの王都が――消えていた。
ヘディは、この風景を知っていた。
【神の奇跡:全てを焼き尽くすイカれた太陽】
父から奪われた、あの神の奇跡によって。
王都が、消滅していた。
それはまるで、ヘディの大事な思い出まで、白く焼き消してしまったかのようだった。




