119[2-53].ヘディの過去《悪魔と天使 神秘的な試練》ミステリアス
今回も長いです。約7000文字あります。やっと次から、話の肝になっていきます。
「……仲間になる条件は?」
「まずは、君が無事に天使になる事。……その上で」
シ・エルは、すぐには答えなかった。
焚き火の向こうで、じっとヘディを見つめる。
そして、待っていたと言わんばかりに口元を歪めた。
「君の父君が持っていた【イッツ・ジ・エンド】を、君が取り戻す事」
シ・エルの言葉に、ヘディは驚いた。
「ただ、神の奇跡も、神秘術も、殺して奪うことはできない」
さらりと告げる。
「もしヘディが、父君の弟から神の奇跡を奪うのであれば、継承させてもらえるほどに《親密な関係になる》ことが必須条件になる」
ヘディの表情が固まった。
「……自分の家族と故郷を壊した男と、どうやってそんな関係になれるんだよ」
怒りが滲む。
意味は理解できる。
だが、感情がそれを許さない。
「その通りだね。だからこそ、理想は継承。及第点は、誰にも渡させずに終わらせることだよ」
シ・エルは目を細める。
「……終わらせる?」
「そう。つまり、父君の弟で【イッツ・ジ・エンド】を終わらせ、誰にも継承させない」
ヘディの喉が鳴る。
「もし、継承できずにリオンを殺したら……【イッツ・ジ・エンド】はどうなるんだ?」
「誰にも継承されないまま神の奇跡を持つ者が死んだ場合、力は神に還る――という説がある」
「……説? 説、ってなんだよ」
ヘディが睨む。
シ・エルは少し笑った。
「それは、神のみぞ知る……ってやつだよ。現に、誰にも継承されないまま消えたはずの神の奇跡が、何の接点もない無関係な天使に、百年後ふいに現れたという報告もある」
ヘディは顔をしかめた。
「じゃあ、リオンを殺しても駄目じゃないか。いつ、どこで【イッツ・ジ・エンド】を唱えられる者が現れるか分からなくなる。
……けど、リオンみたいな非道な奴が唱えて世界破滅に向かうよりはマシ。……ってことか」
「賢いね。そういうこと」
シ・エルは静かに頷いた。
「しかも、君自身が復讐心のままに父君の弟を殺せば、その時点で悪魔に傾く危険がある」
その言葉に、ヘディの肩が強張った。
「復讐をするのは自由だけど、お勧めはしない」
「……じゃあ、どうしろって言うんだよ」
「それは君が考えて行動して欲しい」
シ・エルはあっさり言った。
「自分に、もしくは誰かに継承させる関係になるのか。
自分で、または誰かに手を下させるのか。
そこまで含めて、君が選ばないといけない」
そこで、少しだけ真顔になる。
「君が考えて行動して、結果を出して欲しい。
余は答えを教えることはできない。与えられるのは、きっかけだけだよ」
シ・エルは楽しげに笑う。
「これは……君の物語なんだから」
ヘディは理解しながらも、納得できない怒りを露わにした。
「いわゆる、お手並み拝見ってヤツかよ」
「そういうことになるね」
シ・エルは、喉の奥でくすりと笑った。
「それと、ひとつだけ言っておこう」
ヘディが睨む。
「……何だよ」
「余の勘なんだけどね。……君は、このままだと悪魔側に傾いて、悲惨な末路を迎えかねない」
ヘディの表情が固まる。
「何だよそれ。あんたにボクの何がわかるんだよ」
「そうだね。でも、余の勘はよく当たるんだ」
シ・エルは、どこか楽しそうに笑った。
「だから、敢えて言っておくよ。気をつけた方がいい」
ヘディの眉が寄る。
「悪魔に支配されそうになると、君だけじゃなくて、周りも不幸になる」
焚き火の音だけが、静かに響いた。
「実は誰の心の中にも、【悪魔と天使】が潜んでいる」
シ・エルが、自分の胸へ指先を向けた。
「悪いことを考えた時に“悪魔の囁きが聞こえる”とか、“魔がさす”って言うよね?
反対に、思いとどまる時には“天使が導いた”とか、“良心が咎める”とも言う」
ヘディは黙って聞いていた。
「つまり、人の中には最初から両方の芽があるってことさ」
焚き火が、ぱちりと鳴る。
「そして、その【悪魔と天使】《デビル・オア・エンジェル》が、比喩じゃなく本当に具現化するのが……この天使への試練だ」
ヘディの眉が、ぴくりと動く。
シ・エルは、その反応を見て口元を緩めた。
「だから、この神様からの試練は【神秘的な試練】《ミステリアス》とも呼ばれているんだよ」
「……神秘的、ね」
「そう。綺麗な呼び方をしてるだけで、実際は生々しい。だから余は、君が悪魔側に傾かないよう気をつけろと言ってるんだよ」
ヘディは、無意識に腕輪の石を握り締めていた。
天使になるか。
悪魔になるか。
それはもう、比喩ではなく、自分の身に起きている現実。
「……脅してるのか?」
「まさか。忠告だよ。余は、君がそうならないように、と思ってるからね」
シ・エルは、焚き火越しに静かに目を細めた。
焚き火が、ぱちりと音を立てた。
その時、不意にヘディの喉の奥が焼けついた。
「っ……げほっ、げほっ!」
咳き込んだ拍子に、口元へ赤が散った。
握った指先に、血がべったりと滲む。
腹の奥がずしりと重く沈む。
焚き火の熱とは別の寒気が、背骨を這い上がった。
「……またかよ。……何だよ、これ……っ」
呼吸が浅くなる。
視界が少しだけ揺れた。
シ・エルは、乱れた呼吸と血の色を見て、静かに言った。
「……やっぱりね。君の身体は、そのままだと長くは持たない」
「……何?」
「試練や復讐、妹探しの前に燃え尽きる……いや、君の場合は枯れて朽ち果てる、と言った方が合ってるね」
シ・エルは、少しだけ首を傾げた。
「君は“太陽”になりたいんだろう? でもその身体のままじゃ、誰かを照らす前に、自分の方が先に枯れる」
ヘディの喉が詰まった。
「黒ローブの液体と、今の不完全な契約。そのせいで君の身体は壊れたまま無理やり繋がっている。
放っておけば、遠くないうちに朽ちるだろうね」
焚き火の向こうで、シ・エルは静かに笑う。
「だからこそ、生き延びる方法を見つける必要がある」
「生き延びる方法を見つける……」
シ・エルは頷く。
「うん。今の君は、復讐にだけ時間を割けば、その途中で朽ちる。
だからまず、今の君に必要なのは、復讐の完成じゃない。
復讐を選べるところまで、生き延びることだよ」
シ・エルは穏やかに続ける。
「何度も言うけど、君は太陽になりたいのであって、燃え尽きたい訳じゃないんだろう?」
焚き火の向こうで、シ・エルは静かに口元を緩めた。
「だから先に覚えるべきは、復讐者の戦い方じゃない。死なない生き方だ」
「死なない……生き方……。そんなのどうやって……」
「ふふふ。そこから先は、君が考えて掴むところだよ。ただ、考えるべき順番なら教えられる」
ヘディがシ・エルの言葉で考えこむ。
焚き火が、ぱちりと鳴る。
「今の君が、生きてく為に必要なのは?」
「衣食住……を得る為に、仕事を見つける。そして、病魔を治す術を探す」
シ・エルが静かに頷く。
「そう。そして、そのためには、今の君が生き延びたいなら、先ずは人の中で紛れて生きる術を覚えた方がいい。
何者でもないまま、何の情報もないまま復讐に向かえば、何もできずに終わるだけだ」
ヘディは黙った。
その言葉が、痛いほど正しいことは嫌でもわかった。
今の自分には、力もない。
金もない。
行く場所すら、ない。
「……それで、惨めに生き延びろってのかよ」
「合っているようで、少し違う。足場を作れって、言った方がわかりやすいかな?」
シ・エルは、わずかに目を細めた。
ヘディの赤い瞳が、わずかに揺れる。
焚き火の熱が、頬を撫でる。
「ひとりで復讐だけを抱えていると、人は簡単に悪魔側へ傾く。けれど、生きる理由が増えれば、その分だけ踏みとどまれる」
「……つまり、仲間が必要だと?」
ヘディが低く返すと、シ・エルは軽く頷いた。
「悪魔に傾けば君だけじゃない。周りも不幸になる、と余は言っただろう?
逆に言えば、君を引き留める誰かがいれば、君はそう簡単には壊れない」
ヘディは、しばらく何も言わなかった。
生きる術。
情報。仕事。
引き留める仲間。
そんなもの、今の自分には何ひとつない。
けれど――何ひとつないまま、ここで死ぬよりはマシだとも思ってしまった。
「そして、君にとって避けて通れない相手は、やっぱり父君の弟だよ」
ヘディの表情が強張る。
「……結局、リオンかよ」
「そう。君は、いずれその男と向き合わなきゃいけない。けれど、今すぐ向かえとは言わない」
シ・エルの声が、少しだけ低くなる。
「今の君があの男に会いに行けば、答えを見つける前に殺される可能性の方が高い」
ヘディは唇を噛んだ。
「だから今は、生き延びる為の土台作りをするんだ。
そこで、選べるところまで、自分を持っていくことだよ」
シ・エルは、焚き火の火を眺めながら言った。
「ようするに……今すぐ復讐に走るな。先ずは、名を隠してでも生き残れってことだろ。
金も、居場所もないままじゃ……確かに、何も始まらない」
「そうだね。先ずは、そこから始めるといい」
シ・エルは、そこで一度言葉を切った。
「――そして最後に、改めて聞こう」
ヘディは、思わず眉を寄せた。
「ヘディ・トレゾール。君は……何になりたい?」
シ・エルは、口風琴を指先でくるりと回した。
「何に……なりたい。……か」
ヘディの喉が、ひゅっと鳴る。
シ・エルの言葉を聞き、ヘディの中で、怯えた心に何かが灯る。
「……そんなこと、ずっと前から決まっている」
擬似太陽を超えて。
誰にも怯えず。
何ひとつ奪わせず。
妹を守れる存在に。
「妹を守れる、……無敵の“太陽”になりたい」
声は掠れていた。
けれど、その言葉だけは驚くほどまっすぐに出た。
今の自分は、雪の上で這いずることしかできない。
父も、母も、故郷も守れなかった。
何ひとつ守れなかった弱い自分が、それでもなお口にするには、あまりにも大きすぎる願いだった。
それでも、ヘディは目を逸らさなかった。
「それが……天使になることが近道なら、なってみせるさ」
拳を握る。
傷だらけの身体が軋む。
けれど、ここで折れるわけにはいかなかった。
「そして、ボクは絶対に復讐も果たす。……でも、悪魔にはならない」
怒りは、消えていない。
憎しみも、まだ胸の奥で煮えたぎっている。
けれど、それに呑まれて終わるのだけは違うと、今はっきりわかった。
「ボクは……無敵の“太陽”になるんだから」
焚き火の向こうで、シ・エルが嬉しそうに笑った。
「あはは。最高だ」
口風琴を指先でくるりと回しながら、目を細める。
「最高に傲慢で、良い答えだよ。ヘディ。……傲慢な天使なんて、最高だ。是非、仲間にしたい」
ヘディは、その言葉に少しだけ眉をひそめた。
「……褒めてるのか、それ」
「もちろん。余が断言する。君には伸び代しか感じない」
シ・エルは穏やかに笑った。
「成長すれば、君は誰よりも敵無しの天使になれる」
その言葉が、焚き火の熱よりも深く、ヘディの胸に残った。
「君が立ち止まった時。心が折れかけた時。その“初心”に振り返る事を忘れないで欲しい」
シ・エルの言葉を聞き、ヘディは顔を引き締めた。
ヘディは、ここからが始まりだと強く思い、立ち上がろうとした。
だが、まだ体の違和感に慣れていないのか、力が入らず、その場によろめいて倒れ込む。
「……何見てんだよ。哀れに思うだろ。……笑えよ」
吐き捨てるように言った。
「何を言っているんだ、君は?」
シ・エルは本気で不思議そうに首を傾げた。
「余は、転んだ人を笑ったりはしない。君は歩こうとしたんだろう?」
その言葉に、ヘディは目を丸くした。
「余はね。倒れないことよりも、起き上がれることが大事だと思っている」
ハーモニカを指でくるりと回しながら、もう片方の手を土星型の鐘に添えて、シ・エルは言った。
「特に君のように、今にも極寒に消え去りそうな若者はね」
「……雪国育ちの吸血鬼が、この程度でくたばるかよ」
ヘディはそう吐き捨てた。
そして、すぐにまた立ち上がった。
足元は頼りない。
身体の内側の違和感も消えていない。
それでも、止まるわけにはいかなかった。
長く居続けた故郷から、ヘディは背を向ける。
これ以上この天使の前にいたくなかった。
けれど、足元はまだ覚束ない。
雪原を下りるだけの体力が、本当に残っているのかも怪しかった。
「あ。ちょっと、待ってもらって良いかな?」
シ・エルが、くすりと笑う。
次の瞬間、彼は土星みたいな輪を持つ奇妙な鐘に手を触れた。
小さく、美しいのに、どこか禍々しい。
「せめて、これくらいはしておこうか」
カラーン。
澄んだ音が鳴る。
その音は耳で聞くというより、身体の内側へ直接落ちてくるみたいだった。
途端に、ヘディの呼吸がほんの少しだけ楽になる。
凍えていた指先に、わずかに感覚が戻る。
「……何をした」
ヘディが睨むと、シ・エルは涼しい顔で肩を揺らした。
「あはは。少しだけ、歩きやすくしただけだよ。今の君は、雪原の途中で倒れてもおかしくないからね」
「……確かに、身体はさっきより動くよ」
けれどヘディは同時に、胸の奥に妙な違和感が残った。
それは、言葉では言い表せない感覚だった。
ヘディが眉をしかめるより先に、シ・エルは別の袋を放って寄越した。
「あと、その格好で街へ降りたら怪しまれるね」
受け取った袋は、見た目より重かった。
中には服、乾いた食べ物、包帯、多少の金、それから生活に必要そうな細々したものまで入っていた。
「……何だよ、これ」
「軍資金と生活用品。最初くらいは困るだろう?」
まるで当然のようにシ・エルは言う。
「君は今、天使でも悪魔でも、何者でもない。
だったらまず、何者かになれる格好をした方がいい。
それに……、吸血鬼は色々と目立つからね」
袋の中には、いつも被っていた太陽避けの女優帽によく似た帽子と、瞳の色を変える伊達メガネも入っていた。
それに加えて、シ・エルの軍服コートにどこか似た、けれどもう少し地味な上着もあった。
ヘディはそれを見て、一瞬だけ眉を寄せた。
さっき感じた違和感が、少しだけ薄れる。
すでに仲間にされているような気味の悪さよりも、今は生き延びるための現実の方が重かった。
「……気持ち悪いくらい手回しがいいな」
「あはは。褒め言葉として受け取っておくよ。余は、気に入った部下には世話を焼きたくなる質だからね」
シ・エルは笑う。
「……仲間から部下に変わったぞ。……ったく」
ヘディは警戒しながら、帽子を被り、上着を羽織った。
女優帽の影が顔を隠し、万が一瞳の色を見られても大丈夫なように変色するメガネをかけている。
コートが雪風を少しだけ遮る。
「似合うじゃないか」
「……感謝はするよ」
吐き捨てるように言って、ヘディは歩き出した。
「ちなみに、余に連絡したい時は、頭で念じてくれればそれで良い。天使共有の神の奇跡を、君にもかけたからね」
「……わかった。色々と……ありがとよ」
いつ、その神の奇跡をかけたんだ。という言葉すら飲み込んで感謝を述べたヘディ。
シ・エルから逃げるように。
けれど本当に振り切れなかったのは、その天使の言葉だった。
「ふふふ。こちらこそ。余はずっと待っているよ。気をつけて」
「……まぁ……頑張って、生きてみるよ」
妹は生きている。
そして、父の力を取り戻す。
そのためにも、今は生き延びるしかない。
「ヘディ。君の未来は、まだ誰にも傷つけられていない。行ってらっしゃい」
凍てつく雪原を、一歩ずつ踏みしめながら、ヘディは歩き出した。
何者でもないまま。
何を失ったのかすら、まだわからないまま。




