118[2-52].ヘディの過去《運命を変える天使》
今回、1万文字を超えたので分割しました。それでも7000文字あります。
プロットでは、もう終わっているはずなのに。。書いていたら色々書きたくなり長くなりました。。。
病室には、しばらく誰の声もなかった。
ただ重たい沈黙だけが落ちていて、さっきまでヘディが語っていた白い雪原の惨劇が、そのまま部屋の空気に染みついているみたいだった。
「……そんな……」
最初に声を漏らしたのは、ディアだった。
震えた唇をきゅっと噛みしめた途端、堪えていたものが崩れたみたいに、大粒の涙が零れ落ちる。
「お母さん達が、命をかけて……私達を守ってくれたことも、そうだけど……っ」
声が掠れる。
呼吸が乱れる。
ディアは両手で顔を覆いながら、それでも絞り出すように続けた。
「兄さんに……全部、背負わせた……ってことだよね……、それが私には……」
その言葉に、ナザが静かにディアの背中へ手を置いた。
何も言わず、ただ幼子をあやすみたいに、ゆっくりと擦る。
ディアはその手の温もりに縋るみたいに肩を震わせながら、声を殺して泣いた。
ユーサはそんなディアを見つめながら、喉の奥で息を詰まらせていた。
里を消した光。
異端者狩りごと証拠を消し飛ばした【全てを焼き尽くすイカれた太陽】。
それはもう、強い神の奇跡とか、そういう言葉で済ませていいものではない。
しかも、その中心にいたリオンは、ただ冷酷で残酷だった訳ではなかった。
王家の名を奪われた痛みと、兄への尊敬と、裏切られたと思い込んだ絶望が、全部ぐちゃぐちゃに煮詰まった末に、壊れた簒奪者だった。
「私達の存在が、リオン伯父さんを歪ませて……そのせいで、里の皆まで巻き込んで……」
「……違うよディア。ヘディさんが言っていた通り、ディアも、ヘディさんも、悪くない」
ユーサは、ディアの方を見て答えた。
「部外者の僕が言えた義理はないけど……きっかけはどうあれ、たくさんの人を巻き込んで良い話ではない、……と思うよ」
「あなた……」
「……ありがとう、ユーサ。そう言ってくれるだけで、少しは救われるよ」
ディアは涙に濡れたまま、小さく頷いた。
ナザの手は、変わらず静かに背を撫でている。
張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ緩んだ気がした。
その時、ユーサは疑問を抱えた。
幼いディアを包んだ光の壁。
絶対に壊れない、ダイヤモンドみたいな結晶の檻。
(それって……今、マリアが使える【神秘術:神鉄の処女】じゃないのか? ……最初はディアが使えていた?)
そこまで考えて、ユーサは口を閉ざした。
(……神秘術は、死ぬ時に継承させなくても、子へ流れることがあるのか?
……それとも、別の形の継承?)
ユーサは、以前ジャンヌが神秘術を授かる方法の中には「今は言わないでおく」と保留にしたものがあったのを、不意に思い出した。
(……神様が、そんなことを言っていた気がする。……それが子への継承?
……だとしたら、何故あの時は言わなかった? ……今回の話で、どこか繋がる?)
そしてもうひとつ、ユーサの胸に引っかかっていたものがあった。
以前、ヘディは言っていた。
エル教会の天使達は、結局、神の“声”しか聞いていないのだと。
なら実際に神と会い、言葉を交わしているユーサの方が、よほど天使らしいのではないかと。
あの時は、ただの皮肉だと思っていた。
(……ヘディさん自身の体験だったのか)
神の声を聞き、試練を与えられ、天使か悪魔かを選ばされた。
だからこそ、あんな言い方になっていたのだと、ユーサはようやく理解した。
「……そういえば」
ユーサは、はっとしたように呟いた。
「悪魔王も言ってた。エル教会の“天使になる試練”は、悪魔になる可能性もあるって……。シ・エルも、それは隠すべきじゃない。エル教会が隠蔽しているって……」
シ・エルが、ユーサを見て微笑む。
その笑みに、ユーサは少しだけ腹を立てたのか、それ以上は口にしなかった。
ユーサは、神秘術の継承も気になるが、それ以上に、もっと単純で、もっと大きな違和感があった。
「……ヘディさん」
ユーサが、慎重に口を開く。
「どうして……ディアが、その場にいなかったんですか?」
その一言で、病室の空気が少しだけ変わった。
当の本人であるディアも、はっとしたように顔を上げる。
そして、背を撫でていたナザの手が、ほんの一瞬だけ止まった。
シ・エルは、その場で唯一、含み笑いを浮かべていた。
「……あぁ」
その声音は、不思議なくらい淡々としていた。
ヘディは少しだけ目を伏せ、それから静かに息を吐いた。
「それも含めて……今から話すよ……」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ヘディは神の声を聞いたあと、何もわからなくなった。
何を奪われたのか。
何が変わったのか。
それすら掴めないまま、ただ胸の奥に、何か大事なものが抜け落ちたような空白だけが残っていた。
何日、何週、何ヶ月。どれほど時間が経ったのかも、わからなくなっていた。
そのまま、ヘディの意識は沈んでいった。
ヘディは夢を見た。
「父さん……。母さん……。ディア……」
雪の里の中、確かにそこには家族がいた。
あたたかな灯りがあり、食卓があり、笑い声があった。
けれど次の瞬間には、その全てが白橙の極光に呑み込まれていく。
「待っ……て……、逃げ……」
父が消える。
母が消える。
妹が消える。
ヘディはただ、それを見ていることしかできなかった。
手を伸ばしても届かない。
声を張り上げても間に合わない。
走ろうとしても、足が動かない。
焼き尽くされる家族を前に、何もできない自分だけが取り残される。
「やめろ……」
夢の中で、ヘディはそう叫んだ。
「やめろ……やめてくれ……!」
けれど、誰も止まらない。
光が、何もかもを呑み込んでいく。
それを何度も繰り返す夢。悪夢のような時間が続いた。
「誰か……助けて……。……神……さま……」
その時だった。
腕輪にはめ込まれた石が、夢の中でもわかるほど熱を帯びた。
じんわりと。
雪の下で埋もれた火種みたいに。
けれど確かに、そこにあるとわかる熱だった。
暗闇の中で、石だけが淡く輝く。
「!? ――なんだ!?」
透明な光。
だが、まだどこか不完全で、濁りも歪みも混ざっている。
それでもなお、壊れかけた意識を引き戻すには十分な輝きだった。
熱が、腕から胸へ伝わる。
冷えきった体の奥に、小さな灯がともる。
その光に呼ばれるように、ヘディの意識は沈みきる寸前で踏みとどまった。
そして、そこへ重なるように――音が聞こえた。
「この……音色は……」
細く、柔らかく、それでいて不思議と耳に残る音色。
雪原には似つかわしくない、澄んだ旋律。
ハーモニカの音だった。
その音だけが、焼け落ちていく夢の中で、妙に鮮やかに響いていた。
そして、ヘディは目を覚ました。
「っ――!」
肺の奥に冷たい空気が流れ込む。
全身が軋むように痛んだ。
けれど、さっきまでの地獄みたいな苦しみとは少し違う。
視界に映るのは、雪原の白だった。
「何が……起きて……」
起き上がろうとした瞬間、ヘディは息を乱しながら自分の腕を見た。
「なんだよ……これ……」
火傷。
凍傷。
折れていたはずの骨。
痛みは残っている。
違和感もある。
けれど、外見だけ見れば、さっきまで死にかけていた身体とは思えなかった。
「治って……る? なんで……」
指先を握る。
開く。
腕は動く。
足にも力が入る。
それでも、おかしかった。
「ぐふっ!!」
口から鮮やかな血が溢れた。
雪の上に赤が散る。
身体の内側。
特に腹の奥あたりに、妙な重さがある。
何かが足りないような。
逆に、何か異物が入り込んだままになっているような。
神が言っていた“大事なもの”が、自分の臓器か何かだったのか。
それとも、黒ローブの人物が浴びせたあの液体のせいか。
答えはわからない。
ただひとつ確かなのは、もう元の自分ではないということだけだった。
「っ!? ……また?」
その時、また聞こえた。
ハーモニカの音色。
「………どこから聞こえるんだ?」
細く、けれどまっすぐに胸へ届くような音色。
荒みきった心を静かに撫でるような、不思議な響きだった。
その音を聞いていると、立ち上がる力が湧いてくる気がした。
ヘディは雪を踏みしめて、ふらつきながら立ち上がった。
「こっちから……聞こえてくる……」
そして、音に誘われるように歩き出す。
一歩。
また一歩。
白い雪原の奥に、ぽつりと色があった。
炎だった。
「……誰が、こんなところで……キャンプをしてるんだ」
雪の中に、不釣り合いなほど穏やかに揺れる焚き火。
その前には、場違いなほど上等な椅子と卓。
まるで貴族が冬の庭園で茶会でも開いているかのような、優雅すぎる光景だった。
焚き火の脇には厚手の布が張られ、簡易な天幕のようにも見える。
だが、簡易というには贅沢すぎる。
吸血鬼の里からほとんど出たことのないヘディにとって、それは本でしか知らない“人の優雅な暮らし”を、そのまま雪原へ持ち込んだような異様さだった。
その中央で、ひとりの男がハーモニカを吹いていた。
青と黒のコーンロウの髪。
見慣れない紋章の入った、天使軍服のようなコート。土星型の鐘を腰にかけていた。
男は豪華な椅子に腰かけたまま、まるで訪れる相手を最初から知っていたかのように、静かに演奏を続けていた。
ヘディが近づいた気配に気づくと、男は演奏をやめ、ゆっくりとこちらを振り向いた。
「やぁ。目が覚めたかな?」
その声音は、まるで長い間待っていた相手にようやく会えたかのように穏やかだった。
男は片手で向かいの椅子を示す。
「立ち話もなんだから、そこにかけてゆっくり話そう。それに、寒かっただろうから、どうだい?」
シ・エルがキャンプマグを取り出し、暖かい飲み物を注ぐ。
ヘディは警戒したまま、すぐには座らなかった。
教会。
天使。
その匂いが、この男にはあった。
自分の里を虐殺した連中と同じ側の存在。
今すぐ殴りかかってやりたかった。
殺してやりたかった。
けれど、そんな力が今の自分にはないこともわかっていた。
男はそんなヘディの様子すら、面白そうに眺めている。
「余は、シ・エルって言うんだ」
男は微笑んだ。
「エル教会の天使で、ガーサという都市を任されている最天使長だよ」
教会。
天使。
最天使長。
その言葉に、ヘディの中の怒りが熱を帯びる。
「――っ! 教会の!?」
自分を取り逃した、後始末のために来た使者。
そう考えるのが自然だった。
ヘディは荒い息を吐きながら、シ・エルを睨みつける。
「良い判断だね。そして、素敵な怒りだ」
シ・エルは嬉しそうに笑う。
「そういえば、君の名は?」
「……ヘディだ」
唇の端についた血を拭いもせず、ヘディは吐き捨てた。
「ヘディ・トレゾール……」
「教えてくれてありがとう」
シ・エルは軽く頷く。
「では、ヘディ。単刀直入に言うよ。君には余の仲間になってもらいたい」
その言葉に、ヘディは眉をひそめた。
殺しに来たのではない。
少なくとも、いまここで害するつもりはなさそうだった。
「……どういうことだよ」
ヘディは睨んだまま問い返す。
「あんた、教会の天使だろう? ボクを……後始末で殺しに来たんじゃないのか?」
「殺しに来た?」
シ・エルは声を上げて笑った。
「あはは。そんなことは余はしないよ。それだったら、わざわざ君を呼び寄せるために、この口風琴を吹いたりはしない」
ハーモニカを軽く掲げてみせる。
「殺すなら、君の寝首をかいていたと思うよ?」
「……確かに、そうだな」
ヘディは苦い顔で吐き捨てた。
緊張を切らしたのか、そこで一度よろめく。
シ・エルは手を貸さず、その様子を見ていた。
ただ、向かいの椅子の方に、湯気が立つマグを置いてもう一度聞く。
「だから座るといい。今の君は、立って怒るにも少し辛そうだ」
悔しかったが、その通りだった。
ヘディは焚き火の熱に少しだけ警戒を緩めながら、ゆっくりと向かいの椅子へ腰を下ろした。
座った瞬間、凍えきっていた身体に、火のぬくもりがじわりと染みる。
何日まともに口にしていないのかもわからない。
湯気の香りに抗えず、ヘディは自然とマグへ手を伸ばしていた。
「……美味い」
「あはは。それは良かった。お茶のこだわりが強い部下がいてね。教えてもらったんだ」
温かさが喉を落ちていくだけで、張り詰めていた何かが少しだけ緩みそうになる。
ヘディには、それが腹立たしかった。
「……何故、ガーサのお偉いさん天使がボクを仲間にしようと思ったんだ?」
シ・エルは、まるでその問いを待っていたかのように目を細めた。
「君。破壊神様の“声”が聞こえなかったかい?」
ヘディの表情が固まる。
一瞬で飲んでいた飲み物の味が分からなくなるほど、緊張が走った顔だった。
「ふふふ。なんて言っていたんだい?」
ヘディは、すぐには答えなかった。
だが、あの声ははっきり覚えている。
「……『君は、何も間違っていない。間違っているのは……世界の方だ』」
シ・エルの笑みが深まる。
ヘディは続けた。
「……『だから、君に試練を与えよう』」
胸の奥がざわつく。
思い出すだけで、あの石の熱が蘇る気がした。
「……『大事なものを守るために天使になるか。それとも、欲に塗れて復讐を果たす悪魔になるか。選ぶのは、君だ』……そう言っていた」
「なるほど」
シ・エルは満足そうに頷く。
「それで、他には?」
「……『その前に――試練を受けるための条件がある。まずは、君の大事なものをもらおう』……って言われた」
そこで、ヘディは眉を寄せる。
「何を奪われたのか……実は、わかっていない」
「ふむ」
シ・エルは楽しげに顎へ手を当てた。
「なるほど。破壊神様の声は聞いた。けれど、ヘディの場合はまだ仮契約みたいな状態なんだね」
「仮……契約?」
「うん。そうだね」
シ・エルは頷く。
「試練を受ける条件は支払った。けれど、まだ完全な天使ではない。
だから仮契約。――そして、それは君の【秘宝石】を見ればわかる」
「仮契約……? 秘宝石……?」
ヘディは一瞬きょとんとしたあと、自分の腕輪へ視線を落とした。
そこには、母から渡された石がはまっている。
けれど――。
「え……?」
石が、輝いていた。
透明な輝き。
だが、完全な純度ではない。
何か異物が混じり込んだみたいに、不完全で、歪で、けれど確かに神秘的な光を放っていた。
ヘディは息を呑む。
「それが、君の今の状態だよ」
シ・エルは焚き火の向こうからその石を見つめていた。
「まだ完全ではない。遺物と宝石の中間みたいな、半端な輝きだ。
けれど、それが完全な光を得られた時、君は破壊神様に認められたということになる」
ヘディは石から目を離せなかった。
「そして――【秘宝石】の中でも、その輝きはダイヤモンド。“太陽”の加護を得ると言われている」
その言葉に、ヘディの肩が揺れた。
「吸血鬼である君には、本来なら敵になるかもしれない太陽が、君の味方になるかもしれない」
シ・エルは、まるで面白い玩具を見つけた子どものように笑う。
「それはつまり、弱点の無い、無敵の吸血鬼になれるかもしれないってことだね」
その言葉に、ヘディの胸の奥で何かが跳ねた。
無敵の吸血鬼。
幼い頃から、何度も夢見た言葉。
擬似太陽を超えて、自分自身が太陽になる。
そんな子どもじみた願い。
「……ずっと」
ヘディの声が震える。
「ボクの夢を……願いを、聞いていた……って事?」
腕輪の石を見つめたまま、ヘディは呟いた。
「……じゃあ、あの声は……本当に神様の……?」
ずっと、自分を見ていてくれた。
そう思った瞬間、感情を隠しきれなかった。
シ・エルはその反応を見て、少しだけ優しく笑った。
「どう受け取るかは、君次第さ」
けれど、その顔はすぐにまた悪戯っぽく戻る。
「さて。話を戻そう」
ヘディはまだ石から目を離せないまま、かすれた声で言った。
「……ボクが、あんたの仲間になって何かメリットがあるのか?」
シ・エルは肩をすくめる。
「まず、君が余の仲間になったあかつきには、行方不明の妹さんの詳細を教える」
その言葉に、ヘディの呼吸が止まった。
「ディアが……妹が生きているのか?」
「うん。そうだよ」
シ・エルは頷く。
「ただ、詳しくは教えてやれない。そこから先は、仲間になったら、だ」
いやらしいほどに人の急所を突く言い方だった。
ヘディの拳が震える。
「……仲間になる条件は?」
「まずは、君が無事に天使になる事。……その上で」
シ・エルは、すぐには答えなかった。
焚き火の向こうで、じっとヘディを見つめる。
そして、待っていたと言わんばかりに口元を歪めた。
「君の父君が持っていた【イッツ・ジ・エンド】を、君が取り戻す事」




