第4話「弥助(桃太郎物語の猿)」
──前回までのあらすじ──
老夫婦に拾われた桃太郎は、弥助と兄弟のように育つ。十五歳になり、旅の少年・宇喜多秀家との出会いを経て、「鬼退治」への決意を固めていく。
そんな中、村に現れた鬼が、娘・春とその腹の子を奪う。絶望した十兵衛を前に、桃太郎は自身も川に流された身であることを初めて口にし、怒りと悲しみに震える。
月明かりの下、弥助は静かに誓う。「俺も行く。絶対に、生きて帰るぞ」──それは、山の掟より重い、二人だけの約束だった。
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第4話「弥助(桃太郎物語の猿)」
一
弥助が初めて山に入ったのは、五歳の時だった。
両親が畑仕事で忙しく、一人で遊んでいた彼は、気づけば村はずれの林の中に迷い込んでいた。
帰り道が分からず、泣きじゃくる弥助の前に現れたのは、一匹の老猿だった。
老猿は、弥助の手を引くように、村への道を教えてくれた。
その手は、人間のそれよりもずっと小さく、しかし温かかった。弥助はその温もりを、生涯忘れることはなかった。老猿の体からは、土と木の実と、陽だまりの匂いがした。それが、弥助にとっての「山の匂い」の始まりだった。
それ以来、弥助は山に魅せられた。
猿たちと遊び、木々を駆け回り、やがて山は彼の第二の故郷となった。
「山は、俺に生きるすべを教えてくれた。母ちゃんや父ちゃんと同じくらい、大切な場所なんだ」
桃太郎が縁側の日だまりで穏やかな昼寝をしている間も、弥助は山中を飛び回っていた。
彼にとって山は遊び場であり、師であり、そして家族だった。
朝露に濡れた草を踏みしめ、湿った土の匂いを嗅ぐ。木漏れ日が差す林を抜け、弥助は山の中を縦横無尽に駆け抜けていた。彼の足は、獣道を正確に捉え、岩肌を蹴って跳ねる。枝から枝へ、触れるか触れないかの足さばきで跳んでいく。
彼の驚異的な体力は、幼い頃からの猿たちとの競争によって培われたものだ。
弥助が木の上に飛び移ると、猿たちが楽しそうに声をあげ、一斉に彼を追いかける。
「ほら、お前たち、今日はここまでだぞ!」
弥助が呼びかけると、小さな猿たちが鳴きながら、彼の後を追って木々の間を飛び交う。
彼らと競う中で、弥助は地面を蹴るタイミング、木の枝を掴む指先の力、そして獲物を追い詰める俊敏な動きを、自然と身につけていった。
それは誰にも教えられたことのない「我流」の戦闘スタイルだった。
猿たちの動きをそのまま己のものにした、予測不能な体術。
それが弥助の最大の武器となる。
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弥助と桃太郎の関係は、互いにないものを補い合うことで、より強固なものになっていった。
桃太郎が剣術を学び始めると、弥助は木の枝を刀に見立てて応戦した。
「ずるいぞ、弥助!その動きはどこで覚えたんだ!」
桃太郎が悔しそうに叫ぶと、弥助は木の上に飛び移りながら、にやりと笑った。
「この動きは山からの贈り物さ。お前も山と仲良くしてみたらどうだ?」
桃太郎は、弥助の身のこなしに何度も驚かされた。剣を振り下ろす瞬間に彼が跳びのき、刀が届かぬ場所へと逃げる。
時には、木の枝を伝って背後に回り、隙を突いてくる。
その動きは、まさに猿そのものだった。
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二
お婆さんのきび団子と稽古の日々
桃太郎と弥助の稽古は、毎日欠かすことのできない日課だった。
稽古で疲れ果てた二人が庵に戻ると、決まってお婆さんが温かいきび団子を用意してくれていた。
お婆さんが丹精込めて作ったそれは、二人の大好物になっていた。
「ほら、二人とも。汗をかいた後は、このきび団子が一番だよ」
お婆さんの優しい声に、桃太郎と弥助は笑顔を見せた。団子を頬張る二人の顔は、疲れの中にも幸せそうな笑みが浮かんでいる。
お婆さんは、二人が頬張る姿を見ながら、ふと思った。
(この味を、いつか誰かに伝えねばならんのう……)
その思いが、後に時雨へと受け継がれていく——まだ、誰も知らぬうちに。
「お婆ちゃん、ありがとう!」
桃太郎がきび団子を口いっぱいに頬張ると、その素朴な甘さと、噛めば噛むほど広がる穀物の香りに、一日の疲れが吹き飛んでいくようだった。彼の目が、自然と細められる。
弥助も美味しそうに団子を頬張りながら、お婆さんに話しかける。
「なあ、婆ちゃん。俺は今日、桃太郎をコテンパンにやっつけたんだぜ!猿たちとの競争で身につけた技で、桃太郎の剣を全部かわしてやったんだ!」
弥助が無邪気に自慢すると、桃太郎は笑いながら弥助の肩を叩く。
「悔しいけど、今日は本当に負けたよ。弥助の動きは、全然捕まえられないんだ」
お婆さんは、そんな二人を慈愛に満ちた眼差しで見つめていた。
二人が争いながらも、決して傷つけ合わない。
それが彼らの関係性の何よりの証だった。
その隣で、お爺さんは自慢げな二人を見て、顔をほころばせる。
「そうか、そうか。お前たちは、日に日に強くなっていくなあ」
お爺さんの声には、孫を見守る祖父のような温かさがあった。
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桃太郎は弥助に剣術や武士としての心構えを教え、弥助は桃太郎に山の木々や獣たちの動き、本能的な「野生の力」を教えていった。
稽古の終わりには、二人で庵の縁側に座り、きび団子を分け合いながら、その日の稽古について語り合った。
「今日のお前の動きは、まるで猿のようだ。動きが全く読めなかったよ」
「だろ?俺は、剣が風を切る音が聞こえるんだ。剣の位置や来る角度、お前が次にどこへ向かおうとしているか、手に取るようにわかる」
互いの強みを活かし、弱点を補い合い、二人は成長していった。
桃太郎の剣は次第に鋭さを増し、弥助の体術はより洗練されていく。
弥助にとって桃太郎の存在は、常に自分を前へと突き動かす原動力だった。
弥助は、桃太郎が桃から生まれたという孤独を、言葉ではなく、同じ母乳を飲んで育った者として、幼い頃から感じ取っていた。
母・お花の胸に吸い付く桃太郎の姿を、何度も見てきたからだ。
あの時、自分は嫉妬した。
でも今は違う。あの日、同じ母乳を飲んだからこそ、二人は本当の兄弟以上の絆で結ばれている。
弥助自身も「山の子」として、人間社会から少し浮いた存在であるという共通の孤独が、二人の絆をより深くした。
村の子供たちは、猿と遊ぶ弥助を「変な奴」と見ていた。
桃太郎もまた、「川から流れてきた子」として、どこか村の中に溶け込みきれずにいた。
二人は、互いの孤独を理解し合える唯一の存在だった。
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三
鬼の痕跡と弥助の決意
突如、村に衝撃が走った。
十兵衛の家が鬼の襲撃を受け、蓄えてあった食料が奪われ、一人娘の春が殺されたという噂が流れたのだ。村人たちの声は震え、夜になると誰も外に出なくなった。
恐怖が村全体を包み込んでいた。
数日後、桃太郎と弥助は調査のため、十兵衛の家を訪れ、鬼が残した痕跡を追っていた。
森の奥で、桃太郎は地面に落ちていた縄を拾い上げる。
「弥助、これを見ろ。変な匂いだ。獣の匂いでも、人の匂いでもない」
桃太郎が怪しむように言うと、弥助は鼻をひくつかせた。
弥助の研ぎ澄まされた嗅覚は、桃太郎が感じ取れない鬼の血と泥が混じり合ったような、独特な異臭を捉えていた。
それは、弥助がこれまで嗅いだことのない、異質で不快な匂いだった。
猿たちと過ごした山の中では決して嗅いだことのない、生ものとは違う、何かが腐ったような——いや、それともまた違う。表現しがたい、ただただ異質な匂い。生きているものからは必ず発せられる、あの温かみのある生の匂いが、そこにはなかった。冷たく、空虚で、ただただ異質な何か。
「でも、これは草履の跡だろ?」
桃太郎は、弥助が指さした地面の窪みを指差した。
鬼の足跡は、動物のそれとは明らかに違っていた。
「ああ、そうだ。人間と同じ、二足歩行の生き物だ」
弥助は首を横に振った。
彼の五感は、鬼の異臭と人間の匂いを明確に区別していたが、桃太郎はまだその区別がついていなかった。
「十兵衛の家の壊され方もそうだ。あの程度なら、俺たちでもできる。絶望的な力の差があるわけじゃない」
桃太郎は、十兵衛の家で見た惨状を思い出しながら言った。
壊された戸の跡、踏み荒らされた土間。
確かに、自分たちでも同じことができる程度の破壊だった。
「奴らはただ、物を盗んで、人を殺して、それを楽しんでいる。俺たちと同じように、喜怒哀楽も、五感も、食生活も、すべて持っている。ただの恐ろしい妖怪だ」
弥助は、桃太郎の言葉に黙って耳を傾けていた。
だが彼の野生の勘は、桃太郎の理詰めの推測とは違う結論に達していた。
弥助の嗅覚は、幼い頃から山で過ごしてきた経験によって研ぎ澄まされていた。風の匂いから雨が降ることを知り、土の匂いから動物がどこを歩いたかまで把握できるほどになっていた。猿たちと過ごす中で、危険を嗅ぎ分ける感覚は、誰よりも鋭くなっていた。
彼の五感は、理屈ではなく、本能的な情報を瞬時に判断する。
そんな彼が嗅いだ鬼の匂いは、これまで経験してきたどんな獣や人間の匂いとも違っていた。
熊の匂いは、野生的でありながらも、どこか温かさを感じさせる。
猪の匂いは、土と泥にまみれた、逞しさの匂いだ。
人間の匂いは、暮らしの匂い——飯を炊く煙、汗、そして、時に恐怖。
だが、鬼の匂いには、それらが一切なかった。
命の匂いそのものが欠けているかのようだった。生きているものからは必ず発せられる、あの温かみのある生の匂いが、そこにはなかった。冷たく、空虚で、ただただ異質な何か。
(この匂い……何だ?なんて表現したら……)
桃太郎が鬼の行動を人間の枠組みに当てはめて「喜怒哀楽」や「食生活」を推測する一方で、弥助は持ち前の野生の勘を持ってしても鬼の正体を探れない恐怖を感じていた。自分の五感がこれまで培ってきた全てが、この存在の前では通用しない——その事実が、彼に言葉にできない不安を与えていた。
「人間……だよな?……いや、この違和感は何だ?人間のようで……人間じゃない……鬼は妖怪ではなく、人と見分けがつかないような姿をした獣?……それか妖術で完全に擬態している?」
弥助はそう口にしたが、心のどこかで違和感が消えなかった。
(もし、これがただの人間だったら——いや、そんな筈はない、人がこんな残忍なことできるはずがない)
その考えを、彼はすぐに打ち消した。
(いや、桃太郎が間違える訳がない、こいつの頭の良さは俺が一番知ってる)
絶対的な桃太郎への信頼が弥助の背中を押した。
桃太郎はこれまで何度も、正しい判断で二人を導いてきた。
今回もきっとそうだ、…そう信じたかった。
桃太郎は、鬼を「倒すべき敵」と捉え、勝てると確信していた。
弥助は、桃太郎の導き出した答えを信じ、たとえ地獄の道であっても、ついて行こうと誓った。
例え自分の勘が警鐘を鳴らしていても、桃太郎を信じることを選んだ。
弥助は、桃太郎の隣に立ち、まっすぐ桃太郎を見つめた。
「同感だ。鬼との力の差は、多分そこまで大きく離れていない。俺たちは勝てる!」
弥助の言葉に、桃太郎は力強く頷いた。
「行こうぜ、相棒!匂いは覚えた!俺が先導する」
二人の瞳には、鬼を退治し、故郷と大切な人々を守るという、強い決意が宿っていた。
桃太郎の目には正義の炎が、弥助の目には桃太郎への絶対的な信頼が輝いている。
十五歳という若さで、桃太郎の人生を共にすることを決めた弥助。
彼の持つ無限の体力と、山で培われた我流の戦闘術、そして野生の勘は、すべて桃太郎を守るためにあった。
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四
旅立ちの前に
鬼退治の旅に出る前日、二人は最後の稽古に臨んでいた。
「弥助!行くぞ!」
桃太郎の号令と共に、二人は真剣な表情で向かい合った。
互いの呼吸の音、土埃の舞い上がる音だけが、静かな山に響き渡る。
桃太郎が剣を構えると、弥助は木の枝を手に、予測不能な動きで桃太郎の懐に飛び込んだ。
桃太郎は弥助の動きを読もうとするが、弥助の素早い身のこなしと、変幻自在な体術に翻弄される。
二人はあらゆる状況を想定した実戦訓練を行った。
険しい崖の上で、足場を崩しながらの攻防。
視界の悪い茂みの中での、互いの気配を探り合う戦い。
二人は、鬼がどのような場所で戦いを挑んでくるかを頭の中で想定し、互いに技をぶつけ合った。
稽古が終わると、二人は肩で息をしながら、互いの顔を見つめた。
もはや、言葉を交わす必要はない。
互いの瞳に映る真剣な光が、「必ず生きて帰る」という強い決意を物語っていた。
そして、二人は互いに頭の中で技を繰り広げる、イメージトレーニングを始めた。
これは、弥助が猿と行っていた遊びから生まれたものだ。
猿たちと追いかけっこをする中で、彼は自然と「相手の動きを頭の中で予測する」術を身につけていた。
「弥助!右から来る鬼はこうだ!」
桃太郎が空を切るように剣を振ると、弥助はそれを頭の中で受け止め、カウンターを放つ。
二人は、それぞれの得意な戦闘スタイルを頭の中で描き、互いの考えを読み取り、言葉を交わさずとも連携できる、完璧なチームとなった。
息を合わせる必要すらない。
お互いの呼吸が、もう一つの自分であるかのように自然に同調する。
弥助は、桃太郎の背中を見つめながら思った。
(こいつと一緒なら、どこまでも行ってやる。地の果てまでも——そして必ず帰ってくるぞ!)
その想いが、彼の胸の中で熱く燃え上がる。
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桃太郎がきび団子を腰に下げ、弥助と共に山を下り始めた時、二人はしばし立ち止まった。
振り返れば、故郷の村が、陽炎のように揺らいでいる。
老夫婦の庵からは、かすかに煙が立ち上っている。
あの煙の下で、お婆さんが今日もきび団子を焼いているのだろう。
「弥助よ!俺が桃の子なら、お前は山の子だな」
桃太郎が満面の笑みでそう言うと、弥助は少し照れたように、だけど嬉しそうに笑った。
「おお!そして俺たちは、同じ母乳を飲んで育った兄弟だ」
桃太郎は弥助の肩を力強く叩いた。
「ああ、そうだ。俺は、お前と一緒にこの村を守る。そしていつか、お前が育てた猿たちに、この村の平和を見せてやるんだ」
弥助は、桃太郎の言葉に深く頷いた。胸の奥が熱くなり、目の奥がつんと痛む。
互いに同じ夢と目的を抱き、旅に出る覚悟を決める。
二人の決意は、故郷の村を背に、力強い一歩を踏み出した。
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彼らはまだ知らない。
この先に待ち受ける、運命的な出会いのことを。
一人の男が、彼らの前に現れる。
その名は、衛門。
すべてを失いながらも、たった一つ——娘への想いだけを胸に、二十年以上生き延びてきた男が、今、彼らの前に現れようとしている。
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【次回予告】
その名は、衛門。
村に流れ着いた一人の男。
かつて都で名を馳せた武将は、すべてを失い、ただ一人——。
彼の胸には、二十年以上探し続ける娘の面影。
唯一の手がかりは、ぼろぼろの産着だけ。
そして——この出会いが、桃太郎たちの運命を大きく動かし始める。
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次回!第5話:衛門(桃太郎伝説の犬)
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【第4話・完結】




