第8話 「二人とも気をつけておいで」
Side. 復興大臣時代
「んん……」
小鳥の囀りでレックスは目を覚ました。
昨晩、頭まで被っていたはずの毛布は床にずり落ちていた。
窓の外を見ると太陽が昇り始めていて、レックスは慌てて起き上がる。急がないと宿泊客が起きてしまう。それまでに朝の準備をしなければ。
そこまで考えてレックスは思い出す。自分は今日から旅に出るのだと。宿屋のレックスとしては今日で一度区切りになるのだと。
ほんの少しの寂しさを覚えながら、レックスは習慣のようにベッドを整える。軽く身支度をして階下へ降りる。
(それにしても、懐かしい夢を見たな……)
スラムでの生活、マリカとの出会い、そして旅の始まり。
夢のはずなのに、どれも鮮明に思い起こされた。旅に出るから自然と夢に見ていたのかもしれない。
「おはようございます」
階下に行くと、既に厨房で女将が料理を作っていた。声をかけると女将は笑顔で振り返る。
「おはよう。ゆっくり寝られたかい、旅人さん」
「あはは、おかげでよく寝られました」
女将に言われるとどこか気恥ずかしいものがある。レックスは頭をかいて応える。
「今日は床掃除と配膳だけでいいよ。あんたはこれから旅に出るんだから、それまでに疲れてもらっちゃ困るよ」
女将は体勢を戻して料理の手を再開させる。
そう言われたら甘えようと、レックスは箒を手に取って掃除を始めた。
寝ぼけた宿泊客が降りて来る頃には、床は全て丁寧に磨かれていた。
「レックス、朝食を運んでおくれ」
「分かりました」
女将から器を受け取り、宿泊客に配膳をしていく。
今日の献立は昨晩の残りのスープに干し肉を加えたものとパン。質素で決して豪華ではないが、味付けが絶妙で何度もおかわりをしたくなる。今日の宿泊客たちも、もれなく何度もスープのおかわりを頼んでいた。
今日は珍しく朝から忙しく、朝食の時間が落ち着く頃にはレックスは既に疲れ切っていた。
「今日は腹を空かせた客が多かったねぇ。朝からお疲れ様」
机に突っ伏しているレックスを見て女将は苦笑する。
「さて、次はレックスとマリカの分だよ」
女将は袖を捲り、休む暇もなく厨房に向かっていった。
コンコン。
宿屋の扉を叩く音がした。レックスは首だけで扉の方を向く。
「とか言ってたら来たんじゃないか。レックス、出てやりな」
レックスはゆっくりと立ち上がり、扉を開けに行く。
「おはようございます」
扉を開けると、そこにはマリカが立っていた。後ろには一人の兵士がいて、恐らくマリカの護衛のために来たのだろう。
マリカの格好はフード付きのマントを身につけて、マントの下は動きやすそうな服装。腰には剣を据え、いかにもこれから旅に出ますといった装いだった。
「おはよう。張り切ってるな」
「レックスは着替えないの?」
「あぁ。俺はこの服装で行こうと思ってたけど……」
レックスは自分の服を見ながら答えると、マリカは大きなため息をついた。
「あのときは急だったけど、今回は一晩準備する時間があったじゃない。復興大臣なんだから服装も整えなきゃ」
マリカの言い分ももっともだと、レックスは笑いながら謝罪する。だが、そういった服は一切用意していないし持ち合わせていない。
「きっとレックスは準備していないと思ったから、こっちで用意しておいたわよ」
と言って、マリカは兵士に声をかける。兵士は頷き、レックスに包みを手渡した。包みを広げると、中には小綺麗な服装が一式入っていた。
「流石マリカだね。レックス、着替えておいで」
遠くから女将の声がする。どうやら一連の会話は聞こえていたらしい。
包みを受け取ったレックスは空き部屋で着替えていく。レックスの体型に合った服で、どこで採寸をしたのだろうと着替えながら考えていた。
一階に戻ると兵士はいなくなっていて、マリカと女将が和やかな雰囲気で談笑していた。
「さぁ、できたよ。座った座った」
レックスが腰掛けると、女将が朝食を持ってくる。机には野菜のスープにパン、芋の炒め物が置かれた。
今日の朝食はこれではなかったはず。レックスが首を傾げていると、女将がニヤリと笑う。
「おや、意外と気づかないもんだね」
「あの、どういうことですか?」
マリカが尋ねると、女将は優しい顔つきに変わる。
「覚えていないかい? レックスに初めて振る舞ったのが、このご飯だよ」
女将に言われてレックスはハッとした。同時に、当時の記憶が鮮明に蘇ってきた。マリカに招かれ、夕食を振る舞ってもらったときのこと。
「懐かしいねぇ。あのときはまだ私も若かったよ。スラムの人間とはいえ、子供なのにね。私こそ子供みたいな対応だったよ」
「そんな、当たり前のことだと思います。俺だって自分の立場は分かっていましたし……」
「そうやってあんたたち自身にも考えを植えつけているのが良くないことなんだけどねぇ。これは少しずつ変えていかなきゃいけない。あたしも、スフェーンのみんなもね」
そこまで言って、女将はパン、と手を叩いて空気を切り替える。
「朝から湿っぽい話はやめだやめ。ほら、冷めないうちにお食べ」
促され、レックスとマリカは朝食を食べ始める。
やはり女将の作る料理は美味しい。口に出さずとも、二人の表情が美味しさを物語っていた。偏りのない栄養はレックスとマリカの体に染み渡っていった。
「美味しかったです」
「女将さんの料理、やっぱり美味しいです」
二人はあっという間に食べ終わり、余韻をゆっくりと味わっていた。
「出発はすぐなのかい?」
「俺たちに任されていますが、早めに出発しようと考えています」
「そうかい。仕事だからゆっくりしていけとは言えないね」
女将はすぐに食器の片付けに入る。女将は休む暇もなく、いつでも忙しなく働いている。それは今このときでも変わらなかった。
普段は宿泊客が出払えば掃除に入り、買い出しと夕食の準備。寝静まった頃に翌日の仕込みをして、ようやく少しの睡眠をとることができる。
「じゃあ、邪魔になる前に出発するか」
「そうね。行きましょう」
レックスとマリカは立ち上がりって入り口へ向かう。
「二人とも気をつけておいで」
女将は入り口まで見送りに来てくれた。まるで母親のような視線で二人を見送った。
「行ってきます」
そうして、レックスとマリカは宿屋をあとにした。




