第7話 「ここまで来たのも、きっとなにかの縁よ」
「ここは……」
「俺の家だよ」
レックスが育った、スラムの裏路地。
日の光が当たらない、薄暗く湿っぽい道は気分を鬱々とさせる雰囲気だった。
「なにも言わず連れてきて悪い。でも、ここなら追っ手は来ない」
スフェーンの人々はスラムを嫌う。本来なら嫌悪と差別の対象だが、踏み入れることさえ忌み嫌うために一般市民が関わることはなかった。
そのため、スラムはある意味で人が関わらない聖域となっていた。
(マリカに言えば良かったかな……)
マリカもスラムのことは多少知っているはず。だったら今すぐにでもここから立ち去りたいと思うはずだ。
レックスが様子を窺うと、マリカは信じられないと言った表情で裏路地を見つめていた。
「私の知っていた世界は一片でしかなかったのね……」
マリカの表情はまるで、世間を知らないお姫様が知らない世界を覗いたかのようだった。
嫌悪でも忌避でもなく、とにかく衝撃を受けた顔をしていた。
だが、決して全てを受け入れた表情ではなく、レックスは唇を噛む。
「マリカ、嫌なら今すぐ去ろう。また別のところに――」
「レックス、おかえり」
レックスに声をかけたのは、スラムの少年少女たちだった。少年たちはレックスを笑顔で迎え入れる。
「その人、誰?」
一人の少女がマリカを指差す。
見慣れない人物に、不思議そうに――どこか不審げにマリカを見上げる少年たち。
「安心して。俺の恩人だよ」
レックスの言葉を聞いて少年たちは安堵する。
マリカも笑顔で挨拶をしたことで、少年たちはマリカを好意的に受け入れた。
(さて、このあとどうするかだな)
事態が落ち着くまで――夜が来るまでここにいるのが現状では一番の策だ。なにより、他にいい案が思いつかない。
自分だけ正体を表してもいいが、マリカを巻き込んでいる以上マリカを一人残せない。
やはり大人しくしているのがいいだろう。息を吐いて、レックスはその場に腰を下ろした。
「そこのお前たち、動くな!」
突如、穏やかな空気を切り裂く声がスラムに響き渡った。
見ると、数人の兵士が路地の向こう側に立っていた。
(なんでここに人が……!)
レックスが考える間に、兵士はレックスたちに向けて走り出す。
立ち上がったレックスは咄嗟にマリカの手を取り、兵士とは反対方向に駆け出した。
「逃げるな! 待て!」
兵士の言葉など聞く理由はなかった。先ほど宿屋でレックスたちを探していたのは知っている。だからこそ、止まったらどうなるか分からない。
「止まれと言っている!」
次の瞬間、兵士が構えた槍の先から雷が放出された。驚いたレックスとマリカは身を屈めて雷を躱す。
「あいつらも魔法が使えるのか……!?」
「魔道具を持っているのよ。武器を媒介にして魔法を使っているの」
原理は知らないが、攻撃手段として有効な魔法を使ってくるのは厄介だ。こちらは微量しか使えない魔法に、マリカの護身用に近い武器。
圧倒的不利な状況に、レックスはどうすればと必死に頭を働かせる。
「レックス、逃げて!」
声がしたかと思うと、一人の少年が兵士の足元にしがみついていた。
「お姉ちゃんも!」
別の少女も、もう一人の兵士に飛びかかる。もう一人、もう一人と兵士に絡みつき、兵士は次第に身動きが取れなくなっていく。
子供でも、数人がかりで飛びかかられては振り払うことは難しい。兵士たちは再び魔法を撃とうにも狙いが定まっていなかった。
あまりにも危険だ。レックスは子供たちを守ろうと駆け寄ろうとするが、一人の少年と目が合う。
「早く行って!」
少年の言葉にレックスはハッとする。
みんなは自分たちのために身を挺してくれているのだと。ならば、自分はそれに応えるしかない。
「ありがとう……!」
レックスは体勢を立て直し、再びマリカの手を引いて走り出す。
後ろから「離れろ!」「絶対嫌だ!」などと言った声が聞こえる。レックスは振り返りかけたが、ここで振り返ったら今度こそ助けに行きたくなってしまう。
心を鬼にして、レックスは走り続けた。
「……ここなら大丈夫かな」
二人は近くの水路の、小さな橋の下に逃げ込んだ。人通りも少なく、一時的に身を隠すには十分だった。
レックスは大きく息を吐いて壁にもたれかかる。
女将やスラムの子供たちに守られたおかげで、自分とマリカは今無事でいられる。優しい人々に救われたと、レックスは感謝の気持ちでいっぱいだった。
「レックス、大丈夫?」
「大丈夫だよ。マリカこそ、巻き込んでごめんな」
「ううん、私はいいの。レックスが心配だから」
マリカも、自分が迂闊に魔法を使ったせいで巻き込んでいるに等しい。
笑顔で一緒にいてくれるが、裏では不安に苛まれているに違いない。レックスは申し訳なさが溢れていた。
「それにしても、なんでスラムまで追いかけてきたんだろうな」
一度魔法を使っただけで、あそこまで必死に追いかけてくる理由がレックスには思いつかなかった。しかも普段は近寄らないスラムにまでやってきた。魔法が禁止されているとか、なにか特別な理由があるのだろうか。
「人間が持つ人間至上主義のせいよ」
「人間至上主義?」
聞いたことのない単語にレックスは首を傾げる。
マリカはいつになく真剣な表情で頷いた。
「人間という種族が上位に立つ存在だと教え込まれているの。他種族は下等生物で、特に魔族を憎んでいると言ってもおかしくないわ」
なかなか偏った思想だと、レックスは顔を歪める。
もし一般市民と同じような生活をしていたら、自分も人間至上主義を教え込まれていたのではとレックスは想像する。
「しかも、スフェーンは魔族を一切受け入れない。だから、魔法を使ったレックスが魔族の可能性があるから、徹底的に排除するつもりなのよ」
魔法を使ったときにいい顔をされなかったのはそういうことかと、ようやく腑に落ちた。
「俺は、魔族なのかな……」
「……それが分からないのね」
レックスは俯いて小さく頷く。
出自を知らないことが、こんなにも不安になったのは初めてだった。
不安と同時に、レックスの中に希望も生まれてきた。
「今回のことで知りたくなった。俺は魔族なのか、偶然魔法を使えるだけなのか。俺の家族にも会いたくなった」
「それじゃあ、私もついていくわ」
顔を上げると、マリカは優しい笑顔を見せていた。全てを包み込むような、優しい笑顔で。
「ここまで来たのも、きっとなにかの縁よ。それに、そんな理由で旅をするなんて素敵じゃない」
「マリカ……」
期待のこもった瞳に、レックスは力強く頷いて応える。
家族に会いたい。それがレックスの衝動を突き動かしていた。
「まずはこの状況を抜け出さないとな」
レックスは壁に手をついて体勢を立て直す。
そのとき。
ゴゴゴゴ、と音がして、橋の下の壁がまるで扉のように開いた。
壁には魔法陣のような模様が描かれていて、レックスもマリカも突然のことに驚いて動けなかった。一体なにが起きたのか。
「どういうことかしら……レックスが魔法を使ったわけじゃないのよね?」
「あぁ……俺はこんな魔法は使えない」
呆然と魔法陣を見つめていたが、レックスは決意を固めてぐっと拳を握りしめる。
「……行ってみよう」
歩き出したレックスに続いて、マリカも扉の中へ入っていく。
二人が中に入ると扉はゆっくりと閉まり、ただの水路の壁へと戻っていった。
「地下水路みたいだな……」
レックスの呟きが反響するように響く。
壁は石造りで、中央には道を分けるように水が流れていた。奥は道がしばらく続いていて、先は見えなかった。ただし、ところどころに仄かに灯りはあり、レックスたちが歩くには問題ない道だった。
「道があるってことは、誰かが作ったのよね。スフェーンにこんな場所があったなんて……」
この場所はレックスだけでなくマリカも知らなかったようで、感心した様子で辺りを見回しながら歩いていた。
水流と二人の足音だけが響き、しばらく無言で進む時間が続いた。
「あれは……」
あるとき、レックスの視線の先になにかが写った。
小走りで近づくと、そこには神殿の小部屋のような場所があった。神聖ささえ感じられるそこは、部屋の中央に先ほどと同じ魔法陣が地面に描かれていた。
魔法陣は青白く光っていて、今もなにかしらの魔法が発動しているように見えた。
「この部屋、なんだろうな」
「分からないわ。なにかの儀式を行う場所かしら」
部屋を見回すが、魔法陣以外には特になにもなかった。魔法陣の展開のために存在する部屋にも思えた。
魔法陣を眺めていたレックスは、ふと閃く。
「あの魔法陣、乗ったらなにか起こりそうじゃないか?」
レックスは期待のこもった眼差しでマリカを見つめる。まるで無邪気な子供のように。
マリカは一瞬きょとんとするが、堪えきれずにくすりと笑った。
「レックスって意外と無鉄砲なのね」
「これで今まで生き延びてきたからな。じゃあ行ってみよう」
「えぇ」
レックスが手を伸ばすと、マリカは優雅に手を取った。
手を繋いだまま、二人は魔法陣の上に降り立った。




