第75話 「またいつか会おう。そのときまで元気でな」
「マリカ・ユーディア、ただいま戻りました」
裾を持ち上げ、マリカは深々とお辞儀をする。
セレナやポーラが自然と膝をつくために、レックスもそれに倣って膝をつく。
「マリカか。久しぶりに会う気がするな」
「はい、私は彼らと旅をしていましたので」
マリカが言うと、マリカの父でありスフェーンの王――アーデント・ユーディアはレックスたちに視線を移す。威厳のある視線に、レックスたちは思わず息が詰まる。
「其奴らは何者だ」
「それぞれ魔族の王の血を引く少年、海の精霊、魔族、天使族です」
マリカの言葉に衛兵たちが動揺して武器を向ける。しかし、アーデントは黙って手を上げて静止する。
「……それで、成果はなにかあったのか」
「はい。古代兵器を見つけ、レックスたちが破壊し、世界に平和が訪れました」
マリカの言葉にアーデントは静かに目を見開く。
レックスがちらりとマリカを見やると、マリカの表情は自信に溢れていた。まるで私に任せろと言いたげな顔だった。
「古代兵器は人間の希望だぞ……それを破壊しただなんて……」
「世界がなければ、希望もなにもありませんわ。お父様」
落胆するアーデントにマリカは追い打ちをかけるように続ける。
「それに、レックスたちが世界を救った瞬間をお父様たちも目撃されたのでは?」
「どういうことだ?」
「影です。影が世界を覆い尽くし、世界に危機が訪れたでしょう。それをレックスたちは救ったのです。レックスは勇者であり、讃えられるべき存在です」
マリカは朗々と語る。
「世界を救うのに、種族など関係ありません」
マリカの言葉には、マリカのこれまでのレックスたちへの感情の全てが込められているような気がした。
アーデントは無言で思考している様子を見せたあと、レックスを静かに見下ろす。
「……魔族よ、お前はなにを求める」
アーデントの鋭い瞳がレックスに向けられる。どういうことかと、レックスはなにも答えられずに目を瞬かせる。
「褒美だ。偉業を成した者は平等に讃えられるべきだ。金か、地位か、それとも他にあるか。叶えられるものなら叶えてやろう」
レックスたちは呆気に取られる。
他種族を気にかけるなんて、人間至上主義を掲げている人間から出てくるなんて思わなかった。
だが、これはいい機会だ。レックスは考えを巡らせる。金があれば生活には困らないし、地位があれば安定した生活が送れる。どちらにせよ褒美はこれからの自分のためになる。
しかし、そこでレックスはふと思考を止める。そんな独りよがりな考えでいいのか。もっと広い目線で物事を見なければ。
――そうだ。あれが、自分にとって大事なことではないか。
「……では、スラムの現状を変えてください」
レックスは膝をついたまま、真っ直ぐな目でアーデントを見上げる。
「俺はスフェーンのスラムで育ってきました。みんなが安心して暮らせるような環境を作ってください。これなら叶えてくれますよね?」
「……考えよう」
否定されなかったから、一応視野に入れてくれたのだろう。ここは深堀りせず、ことの成り行きを見守ることにした。
「他の者はなにを望む」
「あたしは平気です。海に生きる者は多くは求めません。あ、でもちょっといいお酒が飲めたらいいかな」
アーデントがセレナたちに視線を移すと、セレナは優しい笑顔で答えた。
セレナなら色々と要望を出しそうだが、予想に反してセレナは大人の答えだった。
「わしは隠居しておる身じゃ。王の施しは必要ない」
「私は、皆さんがスピネルの人々と同じように平等な考えを持ってくれることを祈ります」
ポーラとサファエルも続いて答える。
それぞれの性格が反映されたような褒美の内容に、レックスは内心で微笑ましくなった。
「ふむ、無欲な奴らだ」
アーデントはどこか不服そうに顎を撫でる。
巨額の報酬が欲しいとか、広大な土地が欲しいとか、そういったものを求めると思っていたのかもしれない。
「では、報酬は後日。本日はこれで失礼します」
マリカを先頭にして、レックスたちは部屋を出る。
部屋を出たことで、緊張の糸が切れたようにレックスたちは大きく息を吐いた。
「さて、これからどうする?」
王宮を出て、レックスはマリカたちに問いかける。
新しい目的地を設定して、また旅に出るのも悪くない。まだ行っていない土地もたくさんあるから。
「あたしはベリルに帰ろうと思う」
セレナの発言にレックスたちは驚く。
驚くレックスたちとは反対に、セレナの笑顔は非常に爽やかだった。
「たくさん旅して世界を救ったからね。一回ゆっくりしようかなって。みんなにあたしの活躍も話したいし!」
「そうしたら、わしも帰るとするかな。トールも一人寂しく待っておるじゃろうからな」
ポーラも言い出すとは思わなかった。すると「僕もそうしましょう」とサファエルも続く。
「僕も天界に戻って、シエロ様やヘレ様に地上でのことをご報告します」
「分かってると思うけど、別にみんなが嫌になったわけじゃないよ。一旦ここで区切ってもいいのかなって」
セレナが言うと、ポーラとサファエルは深く頷く。
レックスもそれは分かっていたものの、いざ言われると寂しいものがあった。それぞれ考えていることもあるから、無理に引き留めるわけにはいかない。
「じゃあ、ここでお別れだな」
レックスは少し寂しそうに、でも笑顔を保ったまま口にした。
「またいつか会おう。そのときまで元気でな」
そして三人を街の入り口まで見送り、レックスはマリカと二人きりになった。
「マリカはこれからどうするんだ?」
「私は、王宮に戻るわ」
マリカは王宮のある方向を見上げながら呟く。
「宿屋のマリカも終わり。これからは第一王女としての務めを果たすことにするわ」
「マリカはそれでいいのか?」
「えぇ。私は旅を終えて一回り成長した。それを次に活かすときが来たんだわ」
マリカの意思は揺らがなかった。誰になにを言われようと、マリカは王女として生きていくのだという覚悟も見えた。
それなら、止める理由はない。マリカの新たな旅立ちを見守るべきだ。
「それじゃあ、マリカともお別れだな――」
「その前に、一箇所ついてきてもらえないかしら」
レックスの寂しそうな言葉を遮り、マリカは微笑む。
どこに行くのかとマリカについていくと、到着したのは宿屋。マリカがかつて働いていた宿屋で、レックスも一晩世話になった場所だった。
マリカは軽く扉を叩く。少しすると、扉の向こうから歩いてくる音が聞こえた。
「誰だい。扉は叩かずに入ってきても――」
扉を開けたのは宿屋の女将だった。レックスとマリカを交互に見て女将は目を瞠る。
「もしかして、マリカとスラムの子供かい……?」
「はい。戻ってまいりました」
マリカが微笑むと、女将は力強くマリカを抱きしめた。
「よく帰ってきたね」
涙ぐんだ声で、女将はマリカをぎゅうと抱きしめる。マリカも女将の力強い抱擁を受け止めた。
「ふふ、苦しいですよ」
「あぁ、悪かったね。ほら、入りなさい。今はお客は誰もいないよ」
女将は手招いてマリカを入れる。
「あんたも入りなさい」
「は、はい」
少しの躊躇いを感じつつも、招かれたのだからいいだろうとレックスも宿屋に入る。
レックスたちを椅子に座らせると、女将は二人の向かい側に座る。
「それで、なにがあったんだい」
女将は神妙な面持ちで二人に尋ねる。
旅に出る前の兵士に追われていたあのとき、女将には事情も話さずに逃がしてもらった。それから一切連絡を取っていなかったために、心配するのは当然のことだった。
レックスとマリカは顔を見合わせ、これまであったことをかいつまんで話していった。
「――そうかい。あんたは勇者になったのかい」
二人の話を聞き終えると、女将は感慨深そうに頷いた。
「それにしても、マリカが王女殿下だとは驚いたよ」
「黙っていてすみません。これからも変わらずに接してくださると嬉しいです」
もちろんだよ、と女将は微笑む。
「……あの、マリカを勝手に連れ出してすみませんでした」
「本当だよ。あれからマリカがいないって宿屋に泊まる人たちに文句を言われ続けたよ」
看板娘であるマリカがいなくなったら、文句の一つを言う人も現れるだろう。それでも今でも変わらずに宿屋を続けられているのは、女将の手腕があったからかもしれない。
すると、「これは私からの提案なんだけど、」と前置きをしてマリカは口を開く。
「レックス、ここで働いたらどうかしら」
マリカの提案にレックスと女将は目をぱちくりとさせる。
「私は王宮に戻る。となると、働き手はいなくなってしまう。女将さんにこれ以上迷惑はかけられないわ」
「まぁ、働き手はいつでも欲しいねぇ」
腕を組みながら、女将は納得したように頷く。顔を上げて、女将はレックスを見つめる。
「私はマリカの紹介なら受け入れるよ。どうだい。あんたが決めなさい」
女将の声はどこか優しかった。
マリカと女将が与えてくれた機会を無碍にするわけにはいかない。レックスの答えはすぐに決まった。
「よろしくお願いします」
背筋を伸ばし、レックスは深く頭を下げた。
レックスを見てふっと笑い、「さて」と女将は元気よく立ち上がる。
「教えることは山ほどあるよ。ついてきなさい」
女将は早速厨房に向かう。
レックスも立ち上がると、マリカに呼び止められる。
「頑張ってね」
「あぁ」
笑顔で小さく応援され、レックスは微笑みで返した。
これからのことはまだ分からない。また旅に出るかもしれないし、このままスフェーンで過ごすかもしれない。
だが、焦る必要はない。これからのことは働きながらゆっくり考えることにしよう。
そう考えながら、レックスは厨房に向かった。




