第69話 「私はマリカ・ユーディア。王都スフェーンの第一王女」
レックスはゆっくりと目を開けた。
どうやら意識を失っていたらしい。どれくらい意識を飛ばしていたのか分からない。それに、身体中が痛い。どこかに転がり落ちたおかげで重傷は免れた。ただ、指一本動かす力はない。マリカに刺された傷もじわじわと広がっている気がする。じゃあ、自分は死ぬのか。せめて誰かに看取られて死にたかった。
スラムのときは生きるのに必死だったのに、そんなことを考えるようになるなんて自分も変わったな。
あぁ、みんなの笑顔が遠くに見える。マリカ、セレナ、ポーラ、サファエル。これまで出会った人々の姿も頭の中に思い浮かぶ。誰もが自分の旅を支えてくれた。
そして封印魔法で出会った、二度と会えない両親。今なら会えるのだろか。今から会いにいくのかもしれない。
なんだか眠気がやってきた。このまま眠りにつけば楽になれる気がしてきた。瞼が段々と重くなっていく。
このまま寝てしまおう。来世も仲間に恵まれた幸せな人生を――
「人間だ」
レックスの意識は、ふと聞こえた声に引き止められた。
体を動かせないレックスは、ぼんやりとした視線だけで声の行方を辿る。見ると、いくつもの淡い光がレックスの体の上にふわふわと浮いていた。
「怪我してるね」
「治してあげなきゃ」
「えぇ、治すの?」
「だって可哀想だよ」
「人間なんて久しぶりに見たなぁ」
「魔力があるから魔族じゃないかな」
「なるほど、魔族かぁ」
いくつもの声がレックスの上で聞こえてくる。一体なんなのか。
「ということで、まずは怪我を治してあげるね」
淡い光は一つになり、レックスの全身を優しく包み込む。体に染み渡る温かい感覚は、レックスの傷を静かに癒していった。
「これで動けるようになったんじゃないかな」
声に導かれるように、ゆっくりと手を動かす。体が動く。レックスは静かに起き上がり、淡い光を不思議そうに見つめる。
「やった、元気になったね」
「それよりも、こんなところでどうしたの? 冒険?」
「ここで冒険なんて趣味悪ーい」
子供のように無邪気な声が、淡い光から聞こえてくる。
「えっと……君たちは誰なんだ?」
レックスの問いかけに、淡い光たちは整列するようにレックスの前に並ぶ。
「私たちは精霊って呼ばれる存在」
「精霊……」
「昔から世界を調律してきたんだ」
そんな存在がなぜここにいるのか。レックスはさらに尋ねたくなったが、そこでふと思い出す。精霊といえば身近にいるではないか。
「精霊ってことは、セレナと知り合いなのか?」
「セレナ?」
レックスの疑問に光たちはまるで顔を突き合わせるように近づく。
「ほら、あの子だよ。地上に唯一解き放った子」
「元気にしてるかなぁ」
「昔から一番元気だったよね」
光たちはレックスを取り囲むように移動する。
「あの子も精霊の一人だよ。今は地上で生きた精霊として役目を果たしてもらってるんだ」
「そうだったのか……」
「私たちはこの中で過ごしている。いつそのときが来てもいいように」
「そのとき?」
レックスの疑問に、光たちは詰め寄るようにレックスに近づく。
「知らないでここに来たの?」
「ここは危ないんだよ」
「あ、もしかしたら選ばれたのかもしれないよ」
「確かに、セレナが精霊だって知ってるくらいだもんね」
光たちはレックスが戸惑っているのも知らずに好き勝手話していく。レックスは黙って会話を聞いていた。
「あの……選ばれたってなんのことだ?」
「君にも分かる言葉で言うと、勇者ってやつだよ」
「勇者……?」
光の一つが優しい言葉で伝える。
「世界に危機が訪れたとき、それを救う存在だ」
世界の危機。
勇者がなにかはなんとなく分かっているものの、そんな壮大な存在に自分がなれるわけがない。
「俺、そんなすごい存在にはなれないよ。魔族の王の血を引いてるけど、ただスラムで育って、各地を旅をしているだけだ」
自分の素性は変わっているものの、勇者とは遠い存在のはずだ。この精霊たちは自分を持ち上げすぎだ。
「じゃあ言い換えよう。くじ引きで当たったようなものだ」
「そうそう。運命ってやつだね」
「その通り。ここで私たちと出会ったのを運命と呼ばなくてなんて呼ぶのかな」
そこまで言われてしまったら、なにも言い返せない。世界を作った精霊に会うなんて、世界で一握りもいないだろう。
じゃあやはり、これは運命であり宿命で、自分は勇者なのか。
「だから、私たちからの祝福と祈りを捧げるね」
「困ったときは私たちの力を使って。きっと役に立つから」
光たちはレックスの胸元に集まる。光が弾けたかと思うと、体の中になにかが流れ込んでくる感覚がした。小川の清流のような、穏やかで優しい感覚だった。
「そもそも、君たちはなんでこんなところにいたんだ?」
古代遺跡の、しかも誰一人近寄らない奥深くに。
精霊ならこんな狭いところにいないで、セレナのように地上に出ればいいのにとレックスは思案する。
「それはね、内緒」
「ふふ、内緒だよ」
「そういうものだよ」
いいようにはぐらかされ、レックスは「はぁ」と息を漏らすばかりだった。
「それじゃあ、ここから出なよ」
「さっきいたところまで戻してあげる」
淡い光が輪になり、魔法陣が描かれる。これを通って行けと言っているのか。
「またね、勇者」
「お元気で」
「私たちはいつでも見守ってるからね」
光たちに見送られ、レックスは光の輪を潜る。ふわりとした浮遊感と共に、レックスは上空に飛ぶ感覚がした。
着地すると、レックスの目の前の光景は見覚えがあった。先ほどまでマリカと一緒にいた、謎の歯車がある部屋。
「レックス!」
声がした方に振り向くと、セレナたちがレックスに駆け寄っていた。
「セレナたち……どうしてここに……」
「あれから結局道は見つからず、強行突破で瓦礫を壊してきました」
最初からそうすれば良かったのう、と横でポーラが苦笑していた。
「マリカから、穴に落ちたって聞いて心配してたんだよ。怪我は大丈……怪我、してない?」
レックスの体のあちこちに触れるセレナ。だが、レックスの服が汚れている程度で、怪我は一箇所たりともなかった。乾いた血がついているので明らかに怪我をしていると思われたかもしれない。
精霊が完璧に怪我を治してくれたのだと、レックスは心の中で精霊たちに感謝した。
セレナたちとの再会も嬉しいが、それより確認しなければならないことがある。
「マリカ、説明してくれ」
レックスは振り返り、真剣な表情でマリカを見る。
少し離れたところに立っていたマリカは未だに信じられないという顔でレックスを見つめていた。確かに穴に落としたはずなのに、と言いたげな顔で。
「どうして俺を刺したんだ」
レックスの発言にセレナたちが小さくざわつく。
マリカは唇を小さく噛み、なにも答えずに無言でレックスを見つめていた。
「俺がなにかしたなら謝る。だから、本音で話してくれないか」
レックスは無理に責め立てることはなく、静かにマリカに訴えかける。
「本音で話していいのなら、全てを話すわ。……そういえば、ちゃんと自己紹介をしていなかったわね。遅くなってごめんなさい」
マリカはマントの裾を持ち、優雅に頭を下げる。
「私はマリカ・ユーディア。王都スフェーンの第一王女」
「王女……マリカが……?」
レックスたちは目を見開く。まさか、マリカが王女だったなんて。
「私の――私たち人間の目的は、人間以外の種族を一人残らず殲滅することよ」
マリカはにこりと、穏やかな微笑みを携えて言った。




