第4話 「レックスは俺たちの英雄だよ」
Side.勇者時代
「レックスー!」
一人の幼い少年が笑顔でレックスの名を呼ぶ。少年の格好はみすぼらしく、決して衛生的とは言えない格好だった。
裏路地の入り口にいたレックスは少年の声に反応し、駆け寄ってきた少年の頭を優しく撫でる。
「今日ね、いつもより多くお金もらえたんだよ! それにパンももらったんだ!」
「そっか、よく頑張ったな」
少年のキラキラとした瞳に、レックスは満面の笑みで応える。
「でも、みんなと食べるにはちょっと少ないや……」
「それはお前が頑張ったから、無理して分ける必要はない。もし分けたいって気持ちがあれば少しだけ渡せばいいんだ」
レックスの言葉の意味を理解したようで、少年は深く頷く。懐からパンを取り出し、ちぎって一欠片をレックスに手渡した。
「じゃあレックスにあげる! いつもご飯くれてるから、お礼!」
レックスは少年の行動に驚いたが、優しい目をしてパンを受け取る。
「ありがとう。あとでゆっくり食べるよ」
少年は満足げな顔で裏路地の奥に走っていった。レックスは親のような目線で少年を見送り、賑わっている大通りに視線を送る。
(今日はいい人に巡り会えたみたいだけど、明日はどうか……)
スラムの人間はあまりにも少ない金や食料で生活している。安定した仕事もあるわけではなく、日々雇い主を変えて働き口を探していた。
仮に雇ってもらえたとしても、いい雇い主に出会えるかは運と言っても差し支えない。それほど雇い主の態度には雲泥の差がある。
外から来た商人の方がまだまともな対応をしてくれるが、スフェーンの人間が雇ってくれる可能性はゼロに近い。
それでも、いつか全員でスラムを出て、普通の生活ができると信じていた。
レックスは深くため息をついて壁に寄りかかる。
「おい、そこのお前」
不意に声をかけられ、レックスは目をやる。そこには逞しい体型の男が立っていた。体型の差もあり、まるでレックスを見下すような視線だった。
しかし、レックスも負けじと男を見上げ、自然と睨み合う体勢になる。
「……なんだ。悪いけど用はないぞ」
「今日、俺の店の商品が盗まれた。どうせスラムのガキが盗んだんだろう」
「知らないね。濡れ衣だ」
「いいや。周りの店の奴らからガキがうろついていたって証言も聞いている。きっちり返してもらおうか」
言いがかりにも程がある。なぜスラムの人間というだけで疑われなければならないのか。
「だから、俺たちは知らない。どうせそっちの管理が悪いせいで――」
レックスが次の言葉を紡ぐ前に、腹に強烈な蹴りが喰らわされる。レックスは咳き込み、その場に崩れ落ちる。
「テメェらみたいなスラムの人間がいなければ、スフェーンはもっと栄えるんだよ! スフェーンの恥晒しめ!」
暴言を吐き続けながら、男は何度もレックスを蹴り飛ばす。レックスは身を丸めて男の暴力に耐え続けた。
大通りを歩く人間はちらちらとレックスたちを覗くも、レックスを助ける者は誰一人としていなかった。
「俺が働いて返す。だから今回は見逃してくれ……」
肺から絞り出すレックスの声を聞き、男の蹴りが止まる。
「……ちっ。今回だけだぞ」
ついてこい、と男はゴミを見るような目でレックスに指示を飛ばす。レックスは無言で服についた土埃を払って立ち上がる。
足元を見ると、先ほど少年からもらったパンの欠片を落としてしまっていた。拾い上げてパンを齧ると、ジャリ、と砂の味がした。
スラムの人間に人権はない。スフェーンの暗黙の了解である。
端金に近い賃金を有り難がって労働してくれるからと、手が足りない人々にとっては都合のいい働き手だった。ときにはただ働きを求めることもあるが、スラムの住人に言い返せる権力はなかった。
だが、スラムに住む人間も悲嘆しながら日々を生きているわけではない。いつかはスラムを抜け出してやろうという気概でいる。周囲を出し抜こうとは思わず、手を取って支え合い、一日一日を生きていた。
「……疲れた」
レックスが裏路地に戻って来る頃には、月明かりが裏路地を静かに照らしていた。
ズルズルと壁にもたれかかり、レックスは大きく息を吐く。
男のレックスに対する扱いは酷いものだった。一人に任せる以上の労働量、少しでも反応が遅れたら怒号と暴力。しかも無給。あまりにも労働に見合わない報酬だった。
ただ、他の誰かが請け負うくらいなら、自分がやった方がいい。この程度でしかスラムの少年少女を救う方法がないのかと、レックスは自嘲気味に笑った。
「レックス、大丈夫?」
「怪我してる。治してあげるよ」
年端のいかない者から、レックスに年が近い少年少女たちが心配そうにレックスを囲む。
「大丈夫。このくらい自分で治せるよ」
治療を断り、レックスは自身の腹部に手を翳す。
すると、白く淡い光がレックスの腹部を包み込む。ほんのり暖かさを感じられる光は、レックスの受けた暴力の跡をたちまち消していった。
「レックス、魔法使いだね」
「うんうん。自分で自分を治せるなんてすごいよ」
レックスの治療の様子を、少年少女は食い入るように見つめていた。
「前に爺ちゃんが言ってたけど、レックスって本当に魔族なのかな?」
「魔族って魔法を使うのに魔道具がいらないんだっけ。じゃあレックスは魔族ってことになるよね」
レックスを置いて盛り上がる話に、治療を終えたレックスは「違うよ」と苦笑する。
「魔族なんかじゃないよ。偶然魔法が使えるだけだ」
レックスは自分の出自を知らない。物心ついたときからスラムに住んでいたために、自分が捨て子なのは理解していた。
レックスという名前も、スラムにいた老人から教えてもらった。話を聞く限り、赤子のレックスを抱えていた人が「この子の名前はレックスだ」という伝言だけをもらったと言う。
名前だけを知って育ったレックスだが、あるときスラムにやってきた暴漢からスラムの人々を守るために立ちはだかったことがある。そこでレックスは無意識に魔法を扱い、暴漢を撃退した。魔法が使えると知ったのはそのときだった。
「魔族でもなんでもいい。レックスは俺たちの英雄だよ」
「その通り。レックスはレックスだもん」
レックスを励ます温かい言葉に、レックスは胸の奥がじわりと熱くなる。自分の手でこの子たちを守りたい。そう思えるくらい、少年たちの笑顔は希望に満ちていた。
「ありがとう。また俺がみんなを守るからな」
少年たちを力強く抱きしめ、レックスは自然と笑みを取り戻した。




