〇〇につける薬はない
「そこに愛はあるんか?」みたいなことが言いたいのだろうか。
サラの返答を聞いた伯爵は、まずそんな感想を抱いた。
伯爵は「恋多き男」という、スケベ色ボケ女好きを柔らかく言い換えた肩書も持ち合わせている。本人はその異名を恥じていない、恥じるようなら最初からこんなクズ男にはなっていない。男性としての魅力に溢れる自分が、たくさんの女性と恋に落ちるのは当然だと本気で思っているのだ……恋につける薬はないというが、伯爵につける薬もこの世には存在しないのである。
だが何度も繰り返したように、デイジーと伯爵はあくまで「契約結婚」だ。そこに燃え盛るような激しい恋愛感情は存在しないし、友情や家族愛といった類のものも入り込んではいない。少なくとも結婚した当初――正確に言うなら義務的に結婚の手続きを行い、デイジーの寝室を訪れたその時はデイジーを愛してなどいなかった。それどころか、「君を愛するつもりはない」とキッパリ言い切ってまでいた。
だからデイジーは自分の素性を明かさなかったのか――そんな結論に至ろうとする伯爵を、サラが遮る。
「デイジー様……というか王家の影に所属する女性は胸に刺青を入れられているのです。王家の影は存在そのものが秘匿性が高く、お互いに相手が影であると知らないことも多々あるので……誤って捕縛・投獄されるなどの危機的状況に陥った時、自らを証明する最後の手段としてその証を彫られることとなっています。ただ、それは本当に切羽詰まった時の最終手段なので本来なら伴侶以外に誰も見られないような場所にある……なので、その、夫となった伯爵には遅かれ早かれデイジー様のそれを見る日が来るだろうと思っていたのです……」
珍しく言葉に詰まり、気まずそうな表情を見せるサラ。その様子に伯爵とダリアは少しずつ、ゆっくりとだが事情を呑み込んでいく。
かつて伯爵がデイジーの寝室を訪れた時、デイジーが口にした伯爵夫人の役目の一つ。そして伯爵の周囲にいる人間が、「早く結婚を」と急かしていた理由。「子どもを作って、伯爵家を存続させる」。それは結婚したら自動的に行われるようなことではない。「キャベツ畑」や「コウノトリ」を信じている可愛い女のコなんて、世の中ではやっていけないのだ。少なくとも伯爵とダリアはそれをよく、よーく知っている……いわゆる夫婦の営みを行っていれば、伯爵はデイジーのその姿を見る機会があったはずだ。というか、伯爵にしか許されない行為のはずだ。それを裏付けるように、サラはこほんと咳ばらいをしてみせる。
「デイジー様は『まだ結婚してあまり時間が経っていないからそう急がなくてもいい』とおっしゃっていましたが……私にできることは、デイジー様の契約結婚が無事に成立することを祈るだけでした。……正直、私はずっと心配していたのですよ。デイジー様の『それ』を見て、王家の影であると気づいた伯爵にどう対うすべきか。二人のおっしゃる『契約結婚』の義務は、いつ果たされるのか……本当に、色々と考えていたのです」
そう言い終えたサラが、一瞬だけ白い目をこちらに向けた気がする。
好き勝手やりたい放題の凶器女だが、正面から伯爵に蔑みを向けたのはこれが初めてかもしれない……その冷たい目に臆病な伯爵は少し、引け目を感じる。ダリアも愛人という立場からか強くものを言えず、井戸の中でしばらく沈黙が続いた……だがサラはそれを、溜め息で突き破る。
「まぁ、タイミングの問題はありましたがとにかくデイジー様にとって伯爵との『契約結婚』は大事なものだったわけです。契約妻として文句を言わず、大人しく日陰者に徹する代わりに裏で貴重な情報を入手する……伯爵がデイジー様を愛していなくても、デイジー様は『契約相手』として大切にしていたのです」
デイジー様が望むのであれば、私は媚薬でも毒薬でも用意したんですけどね。
言い捨てたサラは、それでもデイジーの人形を優しく指で撫でていた。




