『愛』
「表向きは『ポッツオ伯爵家の令嬢』となったデイジー様は、素性を隠したまま王家の影として活動を続けました。その詳細をここで話すことはできませんが、とにかく過酷だったとだけ……そんなデイジー様に与えられた重大ミッションの一つが、『王家によって選ばれた男性の元へ嫁ぐこと』です。相手を篭絡してその行動をコントロールする、社交界に出入りし大勢の人から情報を集める、など『結婚』というステータスを得た女性は活躍の幅が格段に広がります……なので、デイジー様も必然的にその道を選ぶこととなりました」
デイジーの人形が、サラの手でさっとテーブルの上を移動していく。最初に向かったのは、伯爵を取り囲んでいた女性の人形たちだった。
「『モンターニャ伯爵夫人』となったデイジー様の、最初の任務は二つ。一つは伯爵の女性関係を洗い徹底的に調査すること、もう一つはその女性たちの中から怪しい人間を見つけ出しその動きを牽制・警戒することです。正妻という立場があれば裏で夫の愛人関係を調査していても別に不思議ではないですし、まして伯爵は社交界きってのプレイボーイとして有名でしたからね。デイジー様はこの初めてのミッションを成功させるべく、それはもう熱心に彼女たちのことを事細かく調べておりました」
その言葉と共に、単純な造形の女性たちがサラの左手でざっとまとめられる。途中で何体かこけてしまったが、サラはそれを気にせずそのまま人形たちの上でぐるぐると人差し指を回した。雑な扱いをされる人形は伯爵だけではないようだ、その扱いの杜撰さに伯爵は苦い顔をしてみせる。同じくダリアもモヤっとした表情をしているが、それは自分以外の女に言及されてのことのようだ。伯爵とダリア、それぞれ苦い顔をしている二人はサラの指をただ黙ってじっと見つめている。
……こうしてジェスチャーでやるぶんには簡単だが、実際は至って真剣かつ丁寧にやっていたことなのだろう。いくら伯爵が色男だろうが、女好きで有名のクソだろうが、「アイツ女のこと以外なんにも考えてないんじゃねーの?」とか言われてようが、その関係を全て詳らかにするにはかなりの労力が必要だ。加えて一人の人間を熱心に嗅ぎまわっていると、逆に「調べている」という行為そのものを怪しまれる可能性が高い。
しかしデイジー――伯爵が言うところの「契約妻」という立場であれば、多少はことが進めやすくなっただろう。
例えデイジーが伯爵の愛人について調べまわっているのがバレたとしても、「本妻が夫の浮気相手のことを調査している」となれば誰もがそれに納得する。むしろ「ちょっと奥さん、また旦那さんが浮気なさってるわよ。懲りない人だわねぇ」なんてお節介なアドバイスをくれたり、野次馬根性で積極的に情報提供をしてくれたりするような連中もいたはずだ。そういう俗っぽい人間心理を踏まえた上で、王家の影はデイジーを伯爵の「妻」にしたのだろう。そして、その目論見は見事に当たっていた……その説明が終わるとサラは女性たちの人形を払いのけ、今度はアホ面を晒した伯爵の人形にデイジーの人形を近づける。
「さて、それが終わると今度は伯爵の攻略がデイジー様に求められます。私生活を送る上で何か重要な弱みを握るとか、色仕掛けをして伯爵を操り人形にするとか、色々と考えてはおりましたがそれは残念ながら失敗いたしました……理由は、伯爵が一番存じ上げていますよね?」
じろり、とサラが伯爵を見据えれば伯爵はぎくっと体を強張らせた。
「デイジー様は冷静な方で、伯爵やその愛人について調べるとすぐに『伯爵が自分を愛する可能性は低い』と結論づけました。自分は選ばれ、望まれたから結婚するわけではない。家庭の温かみや安らぎを欲していない伯爵は、美しくもない自分に関心を持つことはないだろうと……私は『そんなことはない』とデイジー様に生まれて初めて食ってかかりましたが、結果はデイジー様のおっしゃる通りでした」
サラは伯爵から視線を逸らすと、代わりに伯爵の人形を指でぎゅっと押し潰す。
相変わらずとぼけた声を上げる伯爵の人形だが、伯爵はそれに文句を言うことなどできない。臆病なくせに愚かで傲慢でナルシストなゴミ伯爵でも、さすがに気まずいとは思っているようだ。「君を愛するつもりはない」「君は伯爵夫人としての務めを果たすことにだけ専念しろ」「僕のやることに口を出すな」……そんな言葉を繰り返すようにぷぎゃぷぎゃ言う伯爵の人形を何回か潰し、満足したのかサラは再びデイジーの人形を動かしながら話を進める。
「さて、デイジー様の予想は残念ながら当たってしまいましたがお二人が『契約結婚』を続けることには変わりありません。旦那様となった伯爵には『伯爵夫人としての務めを果たすことにだけ専念しろ』と言われましたし、デイジー様ご自身も『社交界で何か言われても伯爵夫人としての振る舞いさえしていれば問題ない』とお考えでしたからね。まぁ、途中で伯爵の気持ちがほんの少しでもデイジー様に傾けばこのサラが作戦変更を申し出ていましたが。お二人は『契約結婚』で結ばれた『契約妻』と『契約夫』ですからね。ただの『専属侍女』である私が口を挟む余地は一切ありませんでした。えぇ。もう、本当に。伯爵の『愛』はいつもそこにいらっしゃるダリア様のような方々ばかりに向けられていましたからね」
やたら『』を強調し、言葉の棘を全開にするサラ。その棘をもろにぶっ刺されながら、それでも伯爵はだんまりを続けている。やっぱりこの男はヘタレでビビり、こういう状況に陥ったら「黙る」という手を使って逃げるしかできない卑怯で最低な男である。だがそんな無能の伯爵を庇うように、口を挟んできたのはその伯爵の「愛」を得ていたはずのダリアだった。
「そんな、でも、王家の影やデイジー様たちも酷いじゃないですか。確かにブルーノ様は私が嫉妬したくなるぐらい、美しい女性たちに愛されていますが同じように自分も他人を愛することができる……もしブルーノ様がデイジー様を本気で好きになることがあったら、私ほどではないにせよほんの少しデイジー様に愛情をお持ちになれば、デイジー様の行いはブルーノ様へ裏切りになるのではないですか? もし、デイジー様が王家の影の指示によってブルーノ様と結婚していたとわかれば、ブルーノ様はお気持ちを害したのではないでしょうか……?」
いえ、まぁ、私がデイジー様に劣ることは絶対にありませんけど。
強調するようにそう付け足すダリア。勝気な性格の彼女だが、意外に気遣いはできるらしい。そうでなければ伯爵のようなクズが、「好きだった女に実は裏があった」なんて事実に傷つくことなんて絶対に想像することはできないだろう。当の伯爵本人ですら、今ダリアに言われてやっと気がついたぐらいだ。デイジーは最初から、契約結婚であり伯爵を愛するつもりなんて毛頭なかった。伯爵もそうなのだからお互い様なのだが、もし伯爵がほんの少しでも――本当に、ほんのちょっとでもデイジーに『愛』と呼べる感情を抱いていたとしたら彼女はどうするつもりだったのか。だがそんな問いにサラは、それに平然と返してみせる。
「その可能性は最初から考えていましたよ。というか……むしろ、デイジー様が王家の影の一員であるということはなるべく早く、伯爵に明かすつもりだったのですよ。伯爵に『愛』があったのなら、の話ですけどね」




