鱗粉大爆発
「まぁ、伯爵に正体を明かさずともデイジー様は王家の影として活動を続けるおつもりでしたから。もし伯爵がデイジー様の行いに反発するようでしたら私もそれなりの『処置』をする予定でしたし、バレないならバレないで王家としては別にいいという方針だったようなので……自身の正体を明かさずとも特段、支障はありませんでした。それに愛のない契約結婚でも、デイジー様が伯爵と結婚なさった成果は十分にはありました。そのうちの一つが、マーガレット・パール様です」
言いながらサラが新たな人形を取り出すが――それは「人」の形をしていなかった。
毛羽だった羽に、薄汚れた印象を受ける茶色っぽ体。極めつけは、やたらディテールにこだわった細い触角。マーガレットの名を冠してはいるものの、その姿はどう見ても蛾の「模型」である。しかもサイズが微妙に実物と近いため、ダリアと伯爵は揃って「ひぇっ!」と短い叫び声を上げた。
いや、なんでいきなり超リアルな昆虫模型が出てくるんだ? 人形のストックが切れたのか? などと考える二人を前に、サラはその「マーガレット」に飛び回らせるような動きをしてみせる。
「マーガレット様は可愛らしいその姿を『蝶のようだ』と持て囃されていることもありました。ですがその美貌を鼻にかけ、ありとあらゆる男たちにばっさばっさと粉をかけるという悪癖もございまして……その節操のない様を揶揄し、裏では『妖怪レディー蛾』とか『鱗粉大爆発』とか呼ばれていたのです」
マーガレットが蛾にされている理由と、なんだか微妙なセンスのあだ名をを解説するサラ。その指先は蛾のマーガレットをずっと動かし続けているが、あまり触りたくはないのか爪で弾くような動かし方だ。蛾そのものを嫌っているのか、蛾に扮したマーガレットを嫌がっているのかはわからないが……ダリアが「そう言われてみれば、あまりいい噂ではないけど『鱗粉大爆発』という名は聞いたことがある気がする」と呟く。その言葉を耳にすれば、サラはうんうんと頷いてみせた。
「男に媚びる女というのは、妙に同性の癪に障るものですよね……とはいえその矛先が国の有力貴族や王族にまで向かえば、王家の影としても動かざるをえない。次第に、デイジー様は任務の中で『マーガレット様の監視』が大きな比重を置くようになりました。とにかく男にすり寄りまくる、美しくも汚らわしい蛾が伯爵という太陽に引き寄せられないはずがないですから……契約で伯爵夫人となったデイジー様は、とにかくマーガレット様を警戒・牽制することに全力を傾けるようになったのです」
サラの説明と共に、蛾のマーガレットが伯爵の人形へと纏わりついていく。
伯爵を日の光に例えてはいるものの、馬鹿みたいな顔をした馬鹿な伯爵の人形にリアルな蛾が擦り寄るその光景は不気味なものだ。何も知らない人間が見たら、捕食シーンのようにしか見えないだろう。人形とはいえ自分がそんな目に遭っている姿を見せられ、なんだかゾワゾワしたものが込み上げてくる伯爵。そのおぞましい人形劇を、デイジーの人形は黙って――人形なのだから当然だが――静かに見守っている。
そう、デイジーはいつもそうだった。伯爵個人にはさして歩み寄ろうとしないが、彼の「契約妻」であることにはかなり固執している。ダリアのように愛人が乗り込んできても平然としているが、「伯爵夫人」という立場を脅かされそうになればズレた方向ながら本人なりに本気で抵抗してみせる。
そして、伯爵に「契約妻としての任務を果たしていない」などと詰られれば必死にそれを否定し伯爵を契約愛として大切に、大切に思っていると主張する……それらは全て、「王家の影」という自身の役目を果たすための涙ぐましい努力であったのだろう。マーガレットという毒蛾の動きに目をつけることができる、最高の特等席。美しいが性悪な危険因子を、目の届く範囲に置いておくためには何としてでもブルーノ・モンターニャ伯爵の妻という肩書を持っておくべきだった。女を引き寄せるスケベブラックホールの伯爵は、マーガレットを引き寄せる格好の餌だったからだ。
その最中でデイジーが何を考えていたか、あるいは何も考えていなかったのかは誰にもわからない。ひょっとしたらデイジー本人にすら、よくわからないことなのかもしれない。自らの意思も感情も隠し、まさしく「影」のごとく伯爵にぴったりと寄り添い続ける……契約相手として、「伯爵夫人」という立場で暗躍すること。それがデイジーという女の背負った、大切な使命だったのだ。
――だが、彼女はそれをしくじってしまった。
姿を消したのはきっと、そのせいだ……伯爵とダリアがそう悟ると同時に、サラは告げる。
「デイジー様は、デイジー様は……本当によく、『契約妻』として頑張っていたと思います。ですが隣国のシン王子とガーベラ王女の前に、マーガレット様を出してしまった咎を責められて……『あの毒蛾の鱗粉を隣国に降り注がせるつもりか!』と王家の怒りを買ってしまったのです」




