さらに追加された
「サラって他の使用人に『姉貴』呼ばわりされてんの?」
そんな驚きもあったが、伯爵が衝撃を受けたのはやはりこのタイミングで「デイジーの専属侍女」という立場にあるサラが姿を消したことにあった。
真偽はどうあれデイジーは現在、何か疑われるようなことがあって王城に残されている。そしてその真相は、おそらく「ダリアと何度も一騎打ちしまくった決闘罪」とか「伯爵の袖を引きちぎった器物損壊罪」とかいう軽い程度のものではない。夫である伯爵が王弟殿下から直々に尋問のようなことをされたのだ。その裏に何か――浮気者のくせに小心者で、相変わらず井戸が怖い伯爵には抱えきれないほど重大な事情が関わっている可能性は極めて高いだろう。今、伯爵が「おめおめ」王城から戻ってきたとはいえ、その疑念は決して消え去ったわけではない。何かあれば、この伯爵家に嫁ぐ時からずっとデイジーの側にいたサラにもいつか矛先が向いていたはずだ。
しかし――それを察し、逃げ出すということはその疑惑が正しいと証明しているようなものである。
正直、サラなら何か一つぐらい罪を犯していても不思議ではない。涼しい顔でずけずけとものを言うし、伯爵の愛人を何人も屋敷から追い返したりしてるし、しょっちゅう凶器を持ち出しているし……だがこの状況で逃げ出したとなれば、真っ先に糾弾される罪は「自分の主人であるデイジーが、何か悪事に手を染めていたのを知っていて黙っていたこと」になるだ。その事実は屋敷内に、大きなどよめきとともに広がっていく。
「嘘だろ、あのサラ姉さんが……!?」
「ちょっと待ってよ!私、まだデイジー様が勝った時の儲けもらってないのに……!」
「つーかデイジー様信者のサラ様が裏切るとかマジかよ? ありえなくね?」
「サラ様のために研いでたナイフ、どうすればいいかな……」
……サラの呼び名と罪状がさらに追加されたのはさておき、使用人たちはざわついている。
その流れはやがて大きな渦になり、屋敷を不安と混沌へと陥れていった。嵐の夜のように、荒れる人波を必死に掻き分けながら伯爵が部屋に戻ると――一応、手を離さないでいたダリアが不安げに伯爵へ尋ねる。
「ブルーノ様、本当にあの侍女が逃げたのならデイジー様は間違いなく『黒』です。このままでは間違いなく、あなたも何らかの疑いをかけられるでしょう……本当に何か、デイジー様について知っていることはないのですか? デイジー様はブルーノ様といる時、どんな感じだったのです?」
「っだから、僕はデイジーのことなんか知らない! マーガレットのことも、サラのことも僕には関係ないことだ! 僕は、僕は絶対に何もしていない!」
思わず声を荒げれば、さすがのダリアも小さく悲鳴を上げそのまま小動物のように怯えた仕草を見せる。その動きも同性から見ればあざとく、演技めいたものがあるのだが色ボケ馬鹿伯爵はまんまとそれに騙され――同時に、冷静さを取り戻した。
「すまない、ダリア。つい感情的になってしまった……けど僕は、本当に何も知らないんだ。デイジーが何をしていたかなんて想像もつかないし、なぜこんなことになったのかも何も……本当に、心当たりがないんだ」
「なら、デイジー様のご実家はどうですか? デイジー様の家族が何かして、その関係でデイジー様とサラ様も疑いをかけられているのでは……」
ダリアの言葉に、アホの伯爵はようやくその可能性に気がつく。
何か悪事を働いた人間がいる場合、その家族はほぼ確実に否定的な目を向けられてしまうものだ。家族の情に絆され、罪を隠蔽しようとしているのではないか。何か家庭で問題があり、それが原因で犯罪に走ったのではないか。連帯責任、正義感の暴走――それは愚かな伯爵でもわかるぐらい、この国でも行われていることなのである。
(デイジーの、実家か……)
ダリアが口にした単語を反芻し、伯爵はしばらく考え込む。
伯爵がデイジーと結婚したのは、結婚を急かす周囲の人間を黙らせるためだ。デイジーを妻にと選んだのは、彼女がたまたまモンターニャ伯爵家と同じくらいの家格の令嬢だったから。同じような女性は他にもいたし、デイジー以外の女性を娶る可能性も十分にあっただろう。伯爵にって二人の関係はあくまで契約結婚であり、望んだのはただの「お飾りの妻」だったから……
伯爵は、デイジーのことを何も知らない。
なぜ王弟殿下に問い詰められることとなったのか、マーガレットと何の関係があるのか、な王家の人間と同じ嘘発見法を知っているのか……知らないことばかりだ。その原因はデイジーが自身の侍女であるサラも含めて、突飛なことばかりしている「わけのわからない女」だからなのだが……それにしても伯爵はデイジーのことについてあまり知らない。彼女がどういう人間なのか、よくわからない。ここで、愛人であるダリアに言われて初めてそんなことに気がついたのだ……
「――ブルーノ様、デイジー様のご実家を訪ねてみませんか?」
ダリアの提案に、伯爵は顔を上げる。
「このままでは伯爵家がパニックになる一方です。ひょっとしたら、サラ様の行方もわかるかもしれませんし……今はとにかく、行動してみませんか?」
そう続けるダリアの表情は、いつものごとく美しいが何か覚悟を決めたような潔さもあり――伯爵は今の危機的状況も忘れて、しばしそれに見惚れてしまうのだった。




