汚れた皿、割れた皿、欠けた皿
「……なぜ、なのですか」
咄嗟にそんな言葉が零れ出たのは、伯爵自身にとっても想定外のことだった。しかし王弟殿下はそれにさして驚いた様子も見せず、何かを試すような表情で「ほう」と答える。
「貴殿は自らの妻を『契約妻』と言って憚らないと聞いていたが、自分の元から離れていくとなると惜しくなったか? それとも、今更になって少しでも夫婦の営みや義務をやろうという気にでもなったのか……どちらにせよ、この決定は覆すことなどできない。伯爵夫人の身柄は王城で確保、伯爵は解放し領地へ差し戻し。それ以上のことも、それ以下のことも命令はしない。その代わり、主張や申し開きもなしだからな」
王弟殿下がそう言って、席を立つと示し合わせていたかのように屈強な兵士たちが部屋へと入り込んでくる。女の前でだけはいい格好をしていたいが、根は小心者のビビりでヘタレな伯爵はすぐ沈黙を選んだ。そんな伯爵を鼻で笑うと、王弟殿下は兵士たちの一人に何かを持ってこさせる。それは、おそらく王城で使われていたらしいお皿三枚であった。
「見ての通り、ここにいくつかの皿がある。貴殿にはこの中から一つ、自分が欲しいものを選ばせてやろう。さて、どれにする?」
王弟殿下の言葉に、伯爵は眉をひそめる。
運ばれてきた皿はどれも高級品ばかりだった。
ただし――まず一枚目は、既に誰かが食事した後なのかソースの汚れがべったりと付いていた。二枚目の皿は侍女が落としてしまったのか、三分割ほどに割れ欠片が散らばっているようにも見える。そして三枚目の皿は、端が欠けていて皿に描かれた美し文様を台無しにしていた。
(な、何なんだこの皿は……単なる嫌がらせで、僕を押し付けようとしているのか? それとも、何か深い意味があるのか……?)
汚れた皿、割れた皿、欠けた皿。どう見てもガラクタにしか見えないそれを前に、伯爵は返事を口に出せずにいる。王弟殿下はそんな伯爵を「さぁ、早く選びたまえ」と容赦なく急かし――必死に頭をフル回転させた伯爵は、欠けた皿を選ぶことにした。
汚れた皿や割れた皿は、持ち帰るのが大変だ。比べて、欠けた皿は見栄えこそ良くないが持ち運びはそこまで苦ではないし自分たちや使用人たちに使う分には特に問題ないと言えるだろう。
もはや何を優先させて考えるべきかわからず、そう考えて答えた伯爵だが――王弟殿下はぷっ、と吹き出すとどこからか上等かつ綺麗な皿を取り出してみせる。
「残念だな、実はここに綺麗な皿があった。だが貴殿は三枚の選択肢を提示されたことにより、ほぼ無意識に『この三つの中から選ばなければ』と思ったわけだ。いやぁ、実に惜しいことをしたな」
伯爵と面会してからずっと、纏い続けてきた凄みのあるオーラをものともせず王弟殿下は軽やかに笑ってみせる。一体、何が言いたいんだ……と考える伯爵に向かって王弟殿下は急に真顔になると、「だが、世の中はそんなものだ」と付け加えた。
「人間、自分で選んだつもりでも実は第三者によって『選ばされていた』ということもよくあるものだ。貴殿はそれを、しっかり理解すべきだろう……まぁ、今回は特別にこの汚れた皿と割れた皿、欠けた皿の三つとこの綺麗な皿も合わせて四枚とも差し上げるとしよう。夫人のことは気になるだろうが……彼女は所詮、君にとって『契約妻』『お飾り妻』なのだろう? あまり思い悩むことなく、今まで通り適当に過ごしていくのが良いな」
それだけ言うと王弟殿下は踵を返し、伯爵の元を立ち去っていく。その後ろ姿を追おうとすれば、ガタイのいいい兵士に阻止されて――そこでまた伯爵はデイジーが王城に奪い取られる形となってしまったこと、そしてそれを自分が無意識に拒んでいることに気がつき、また驚いた。
「何、こちらの用件が済んだら夫人もすぐに解放することとなっている。伯爵はその間、独身生活にでも戻った気分でせいぜい楽しんでいるといい。貴殿は妻とはさして仲が良くないようだが、恋多き男として社交界でも有名だからな。まぁ、適当に過ごしていたまえ」
去り際の、王弟殿下の言葉に伯爵はなんとなく棘や引っ掛かりを感じたが――それを指摘することができない間に、王弟殿下はすぐ行方を眩ませてしまったのだった。
◇
王弟殿下に半ば強制的に渡された、四枚の皿。それを手に、途方に暮れる伯爵は兵士たちから引きずり出されるように王城から立ち去る。
(あの王弟殿下、結局何がしたかったんだ……? それにデイジーも……僕が知らないところで一体、何が起きているっていうんだ……?)
押し込まれるような形で馬車に乗せられた伯爵は、行きの時と違いずいぶん短いように思える帰路の中でただ、そんなことばかり考える羽目になるのであった。




