伯爵の冷静な言葉が誰かの耳に届くことはない
「社交界きってのプレイボーイ」と言われるだけあって伯爵の周りには自然と女が集まる。
そうやって女たちに囲まれているうちに調子に乗って浮気性になったのか、もともと女に目がないから様々な女性と浮名を流すようになったのか。そのどちらが正しいのかなんて誰にもわからない。「鶏が先か、卵が先か」と一緒で考え出したらきりがないのだ、とにかく気がつけばいつの間にか自然とそうなっていたのである。コンチクショウ、顔がいいからってあのクソたれバカ伯爵が、などと毒づかれるのをよそに伯爵はモテた。恋人・愛人の類が絶えることはなかったし、その傍らには常に美しい女を侍らせていた。
太陽の加護を受けたかのような美しき令嬢・ダリアもまたその一員であったのだが――
「ひいいいっ! ギブ、ギブ! もうダメ耐えられないいいいいっ!!!」
ずぶ濡れでそう叫ぶダリアの姿は、まるで凍りついているかのようだった。
◇
有言実行。デイジーに再戦を誓ったダリアは本当に屋敷に乗り込んできて、今度は伯爵のいる前で自身の考えた様々な「勝負」を仕掛けてきた。
「愛するブルーノ様と一緒であれば、例えどんな場所であっても生きていける! 今日はそれを示すための、我慢比べで勝ってみせるわ!」
言いながら現れたダリアは、先日の戦い手にて文字通りもぎ取った伯爵の服の袖を握りしめている。女性たちに感嘆の溜め息をつかせる伯爵の眉が、それを見てぴきっと引きつった。
「まぁ、それは名案ですわダリア様。結婚とは忍耐の連続と言いますし、私も契約とはいえ伯爵の妻です。その勝負、受けてみせましょう」
穏やかに微笑みつつ、けれど心なしかウキウキしているようにも聞こえるデイジーの声。それを待ってましたと言わんばかりに使用人たちが一斉に駆けつけ――伯爵の屋敷は再び、ダリアとデイジーの世紀の大決戦の場へと化していた。
いつの間に作ったのかデイジー・ダリアそれぞれの名前入り応援グッズや専用の衣装を着用した使用人たちが立ち並びそれぞれが自分の応援する方に向かって声援を送る。「私はダリア様に賭けるわ」「俺はデイジー様に三万な」などときな臭い会話も聞こえてきたが、それは聞かなかったことにしよう。違法賭博、ダメ絶対。……とはいえ当の伯爵を置き去りに、屋敷内がお祭り騒ぎになっていることは事実だ。もはや呆然とするしかできない伯爵に、しれっと「デイジー様派」「ダリア様派」などとと書かれた扇子を売りつけているらしいサラが「旦那様も一本、いかがですか?」などと近づいてくる。
「いや、待て待て待て待て。なんだ、これ、どういう状況だ」
「どういうって、デイジー様とダリア様が旦那様を奪い合ってる状況に決まっているでしょう。これこそ恋のトライアングル、世界中の女性を虜にしてしまう男の夢ってやつでしょうか。いやぁ、羨ましい限りですねぇ」
「これのどこが羨ましいんだ! だいたいこんなことになったのはデイジーが勝手なことをするからで、僕は彼女に契約妻として引っ込んでろと何度も口にしてるのに……」
「まぁ、生まれた時からモテてることが決まっているような美男子の方は言うことが違いますねぇ。いくら神に祝福されし美しい容貌の持ち主とはいえ、そんなことを口にして世界中の殿方に恨まれても知りませんよ? 私が仕える主はあくまで、デイジー様なのですから」
さりげなく、ものすごい賛美の言葉を吐き出したサラはデイジーの名が書かれた扇子を手に「デイジー様ーっ! 私、サラはここで力の限り応援していますよーっ!」と叫ぶ。そんな彼女に、デイジーは小さく手を振って応えてみせた。
「私はブルーノ様の契約相手です。ですからこの勝負の結果に関わらず旦那様の意思を尊重することは確かに、ここで宣言いたしましょう。けれど、私もそれなりの覚悟をもってしてこの伯爵家へ嫁いだ身です。正々堂々、ダリア様と勝負いたしましょう」
「よくぞ言ってくれたわね! じゃあまずは、持久力で勝負よ! 私、ダリアはブルーノ様のためにこの足が千切れるまで走ってみせるわ!」
いや、そこまで走られても困るんだが。
っていうか、仮にもこの屋敷の主人である僕の意向は聞かないのか? この熱戦の中で妻と愛人が二人、屋敷内を走り回るのか?
伯爵の冷静な言葉が誰かの耳に届くことはない。デイジーとダリアは二人、スカートのまま並んで位置に着く。そうすると自然に使用人たちの中から審判役が現れて、号令をかければ一気に二人とも走り出した。
令嬢たちの大勝負、体力だけならデイジーがダリアを上回る。だがダリアも気力だけなら負けていなかった。走り尽き、休憩が終われば辛さ対決。耐え切れず大量の水を飲んだ後は、それを洗い流すがごとく暑さ対決。そうして体中の汗を流し切ったかと思えば、「今度は逆にしましょう」というデイジーの提案で寒さ対決が行われ――使用人たちに扇で扇がれる中、頭から何度も冷たい水をかけられた二人で先に根を上げたのはダリアの方だった。
「私、私寒いのだけはダメなのおおおおっ! 子どもの頃から冬は大嫌いだったし、もう頭が冷えて痛くてキンキンするわあああああっ!!!」
「お互い文字通り頭が冷えましたねえええええっ!!!」
叫ぶダリアに重なって、デイジーもなぜか一緒にそう叫ぶ。
ぶるぶる震え、土気色になったその肌を見ればさしものデイジーも寒さを感じないわけではないらしい。使用人たちが慌てて毛布を持ってくるのと同時に、勝負を黙って見守っていたサラもすっと駆け寄ってくる。
「お二人とも、こちらをどうぞ。『怨霊の叫びを聞いてくれ』のドレスです。こちらの紺色のドレスはデイジー様、赤いドレスはダリア様のものです」
因縁のあるそのタイトルに、伯爵はぎょっとする。
ダリアとデイジーを引き合わせ、さらに伯爵を振り回し続ける恐怖の舞台。だが、もとはと言えばそれを観たいと言い出したのは彼女の方なのだ。先ほどまで自分が怨霊のような顔で凍えていたにも関わらず、タイトルを聞いた途端にぱっと顔が明るくなりサラに手渡されたドレスを満更でもない調子で受け取る。
「ま、まぁ、この寒さ勝負はこっちのデイジーが言い出したことだし? 着替えなきゃ次の勝負もできないから、着替えてやってもいいわよ?」
「えぇ、そうしましょう。ひとまず次の勝負は、お互いドレスに着替えてからに……」
ダリアに対し、ひとまず穏やかに笑みを返すデイジー。
体を冷やした二人と対照的に、興奮冷めやらぬ使用人たちはそれでもまだ歓声を上げている。
……「ダリア様ってば、ツンデレですねー」と能天気に零したサラの言葉を聞いたのは、伯爵だけだった。




