いや、王子多くね?
シン王子は隣国の第十二王子であり、第一~第五王子の補佐やまだ幼い第十五~第二十王子の世話をして暮らしている。
いや、王子多くね? という声は多いが隣国は一夫多妻制であり、「子沢山であることはそれだけ豊かであるという証」という価値観が強い。そのため特に王家は子どもが多いので、シン王子のような立場の者が出てきても不思議ではないのである。……伯爵を始めとしたゲスな男どもが、密かにそれを羨ましがっていることはこの国のトップシークレットだ。
さて、そんなシン王子は自分の住む国のみならず伯爵やデイジーが住んでいる国にも強い影響力を持っている。のんびり者で芸術好き、少年のようなあどけなさを持つ一方で物事を俯瞰して見ることのできる冷静さがある。そのくせ、描いているのは今デイジーが手に持っているような少々尖ったジャンルの絵で……そんな奇妙奇天烈な王子だが、シン王子に影響力がある理由はそれだけではない。
「王女様……ガーベラ様にも会えるのがとても楽しみですわ。あの方はこの国の令嬢たちの憧れの的ですからね。私、とっても楽しみです」
デイジーがしみじみと口にしたその名前に、伯爵の表情が曇る。
ガーベラは伯爵やデイジーと同じこの国の出身であり、もともとは侯爵令嬢であった。そのため、伯爵もその顔と名を知っていたのだが――実を言うと伯爵は、あまり彼女のことが好きではなかった。
さすがに侯爵令嬢、今は隣国の王女である彼女へストレートにそう口にしたことはないものの、「国の男の半分ぐらいはこの女が苦手なんじゃないか」とすら思っている。どうせミスター・ビッグマウスな伯爵の言うことだ、大袈裟に言っているだけだろうと受け取られるかもしれないが――意外にもこれは本当のことだ。その代わり、デイジーの言うように女性人気も高い少し不思議な王女……それが、ガーベラだった。
まず彼女は、剣が達者である。
この国における令嬢は通常、剣を習うことなどない。あってもせいぜい身を守るために「嗜む」程度だが、ガーベラは双子の弟と入れ替わって遊んでいるうちにその才能を開花させた。その腕は護衛騎士たちが密かに「もう全部あの王女一人でいいんじゃないかな」と噂するほどであり、並の騎士なら接待抜きで戦っても彼女に叩きのめされてしまうという。
そんな剣の腕を裏付けるかのごとく、ガーベラは背が高くがっしりした体つきをしている。
侯爵令嬢として淑女教育を受けているので、一通りの礼儀作法は身につけているがその立ち居振る舞いには根拠不明の雄々しさが滲み出ている。そこにいるだけで壁のような、威圧感を与えるオーラを全身から放っており……彼女の両親である侯爵夫妻は当初、そんなガーベラの扱いに困っていた。
(長男や姉たちがいるとはいえ、一体この子はどうなるんだろう……?)
そして、同じような悩みを抱えている夫婦が隣国にいると聞いた。王位を返上し、変な絵ばかり描いている大人しいけど変わり者のシン王子の両親その人である。
「侯爵と王家の末席ならまぁ釣り合いも取れるし、どうせならこの二人くっつければいいんじゃね?」
そんなことを言い出したのが誰だったか、今となってはわからない。だがとんとん拍子に話が進み、あっという間にガーベラはシン王子の妻として隣国に嫁いでいった。個性的な二人は結婚すると意外に相性が良く、今では夫婦揃って両国の人気者だという。
癖が強く、その評価も人によって変わる奇妙な王子夫婦。しかしデイジーは概ね好意的な評価をしているらしく、シン王子の画集を手に伯爵へと語りかける。
「個人的にこの絵はとても好きですが、そうでなくても要人の情報について仕入れておくのは当然のことです。私も伯爵の妻として勉強しておこうと、この画集を読んでみたのですが……伯爵も、お読みになりましたか?」
「ふん、そんな必要はない。目上の者の嗜好を知っておくのは当たり前のことだからな。ガーベラ王女にもシン王子にも何度か会ったことがあるから、必要最低限の知識は身につけている。君の手助けはいらない……もしかして僕の点数稼ぎのつもりか? なら、諦めるんだな」
伯爵の言葉は虚勢ではなく、事実である。
ブルーノ伯爵もただ「伯爵」と呼ばれるだけのぼんくらではない。そうでなければこの男は「伯爵」ではなく、女にだらしない愚かで間抜けで顔がいい以外は特にいいところもないただの大馬鹿者である。そうならないのは一応、貴族としての勤めは全うするためにきちんと働いているからだ。なんだかんだ領地経営はしっかりとしているし、貴族間での力関係やそれを守るのに有益であろうこともしっかり頭に叩き込んでいる。女好きの色ボケゴミ屑野郎のマメな性質を、良い方向にも使うこともできてはいるのである。欠点も極めれば、長所に変えうることができるという良い例であるが……しかしデイジーはそんな伯爵にお構いなく、「左様ですか」と微笑む。
「別に、私はそれでも構いませんよ。私は契約妻として、あなたを契約相手として大切にすると決めていますから。だからこれは、あくまで私の自己満足。伯爵がお気になさらずとも、私は私がしたいことをしているだけです……」
例え報われずとも、相手のためを思って行動し続ける。……受け取り方によっては、胸を打つ台詞である。だがデイジーの言葉は本当に、その通りの意味なのである。
伯爵が愛人を囲っていようが、その浮気相手が乗り込んできて一騎打ちすることになろうがデイジーは意に介さない。彼女の言葉を借りるなら、伯爵はあくまで「契約相手」として大切にされているのである――だが、伯爵はそれが気に入らない。なぜそう思うのか、自分自身にもわからないがとにかく伯爵はデイジーに振り回されてばかりなのである。そうやって今日もひとしきり、伯爵を振り回したデイジーは伯爵に向かって頭を下げる。
「『おいでよ死霊の森!』を読んでくださったのは嬉しいですが、その感想はまた今度……私はまだ隣国とシン王子について知識不足ですので、今日は失礼させていただきます、ご足労をおかけしてしまい、本当に申し訳ございません」
口では謝罪を述べながら、有無を言わさぬ口調でそう告げるデイジー。それから淑女の礼をしてみせると、シン王子の画集を手にしたままさりげなく伯爵の前を立ち去っていく。
(……いや、ちょっと待て。結局『おいでよ死霊の森!』の感想は聞かないのか? 僕が読んだのは無駄だったのか……!?)
面白かったとはいえ、せっかく怖いのを我慢して読んだのに。それを言うために、わざわざデイジーを探して客間まで来たのに。結局、シン王子とガーベラの話をしただけで二人の会話は終わってしまった。それどころか――
(最終的に、この僕が『わざわざ読了の報告のためだけにあの女を探しに来た』ということになってるじゃないか……!!!)
なんで告白してないのにフラれたみたいな感じになっているんだ。なんで自分の方がデイジーに歩み寄ってるみたいな感じになっているんだ。なんで、なんでこの僕が――そんな不毛な怒りにわななきながら、それでも伯爵の手は、死霊のように素直にデイジーを招くことはできない。
……デイジーもデイジーだが、伯爵も素直に「読んでやったのだから少しぐらい感想を聞いていけ」と言えるぐらいの殊勝さを持っていれば全てが解決するのに……
しかしそんなことに気がつかない伯爵の手は、ただ虚しく空を切る。そうやって客間にぽつんと取り残された伯爵は一人、言い様のないムカムカを抱えながらしばらくそこで呆然と立ち尽くすのだった。




