ドレスは女性にとっての戦闘服
贈り物とは、意外と厄介で面倒なものである。
まず自分と相手がそこそこ良好な関係でなければならないし、その上で「相手に喜んでもらえるもの」となるとさらにハードルが上がる。中でも「衣服」は非常に難易度が高く、家族間であっても避ける者が多いのではないだろうか。相手の好みや普段の生活、体のサイズや着心地。そのどれか一つでも欠けていれば「ありがた迷惑」にしかならないし、逆に全てがジャストフィットしていても日頃から仲の良い相手でないと「気持ち悪い」と思われてしまう。
だが――裏を返せばその全てをクリアし、「衣服を贈り、それが相手に喜ばれている」と状態に持ち込めたのなら二人は非常に親密な関係と言って差し支えないだろう。
加えて人間はどこぞの動物の森のゲームみたいに、服を贈られてもその場でぱっと着替えるなどということそうそうしない。魔法少女や忍者なら一瞬での早着替えも可能だろうが、そうでない普通の人間は「相手の前で服を脱ぐ」という手順を踏まなければならない。
そんな結論に至った伯爵は青筋を立て、激情を地面に叩きつけるかのごとくダン、と利き足を地面に叩きつける。
「お前っ……契約妻の分際でなんだその服装は!」
「このドレスですか? これは今日観た『怨霊の叫びを聞いてくれ』の衣装の一つですよ。旦那様も、ご覧になっていたでしょう?」
「そんなことはわかっている! お前、それを、誰に、いや、どこで、着てきたんだ!」
怒りのあまり伯爵は、句読点が多く文法もメチャクチャなセリフを吐き出す。もはや何が言いたいのかさっぱりわからない状況だが、デイジーは落ち着いた様子で自らのドレスの裾を摘みその場でくるりと一回転してみせる。
「このドレスですか? これは――」
「これは、今日の舞台の衣装係の一人から受け取ったものです。舞台のスタッフの一人に、サラの古い知り合いがいるとお伝えしていましたでしょう? 実はその彼女がお針子なもので、予備や宣伝も兼ねて同じドレスを何着が持っているから伯爵夫人にもぜひと……それで舞台の準備室を借りて着てみたら、自分でも気に入ってしまいましたのでこのまま帰ってきただけです」
……淡々と語るデイジーに、伯爵は全身から力が抜けていく。
蓋を開けてみれば、単純なことである。
デイジーは「伯爵夫人」というそれなりに立場のある肩書で「招待」されていたのだ。舞台スタッフとしては彼女に社交界でいい噂を広めてもらった方がいいし、舞台の衣装を着て歩いてくれたのならデイジー自身がそのまま広告塔になってくれる。そういった諸々の事情を考えれば、何着か予備のあるドレスを差し出すぐらい「サービス」として割り切ることができたのだろう。それで、デイジーの方もそれが気に入ったので着て帰ってきた。『怨霊の叫びを聞いてくれ』の舞台では主人公が度々ドレスを着替えていたのだから、少なくとも一部屋は更衣室がある。そこで着替えて帰ってきた――ただ、それだけのことである。
「デイジー様と私の古い知人とで意気投合しましてえ、お喋りに花を咲かせていたらすっかり遅くなってしまいました。全てはこのサラの責任です、申し訳ございません旦那様。……でも、デイジー様のこの恰好はとてもお似合いだと思いませんか?」
主に習い慇懃無礼に、頭を下げつつもそう話すサラに伯爵は恨みのこもった眼差しを向ける。だがサラを怒鳴りつけたり、言うことを否定したりする気力はないらしくそのままデイジーの方へとムカムカした気分で視線を戻した。
『怨霊の叫びを聞いてくれ』の舞台に登場した、紺色のドレス。それは確かに、デイジーに似合っていた。落ち着いたデザインのそれはデイジーの放つ雰囲気と見事に合わさり、着る者をさりげなく引き立たせたバランスのいい「美」を醸し出している。
だが、デイジー自身はもともとそこまで「美人」というわけではない。あくまで「似合っている」のであって、別に「あまりの美しさに息を飲んだ」とか「今まで気づかなかった妻の魅力にはっと目が覚めた」なんてことは起こらない。
やっぱり、デイジーは地味だな……などと失礼な感想を抱く伯爵に向かってデイジーはにっこり微笑むと、サラに命令して何か小包のようなものを取り出す。そしてそれを手につかつかと伯爵へ歩み寄ると、穏やかに口を開いた。
「こちらは、ダリア様にどうぞ。舞台終盤に出てきたあの、鮮血のように真っ赤なドレスです。ダリア様は素敵な赤毛をお持ちでいらっしゃるから、きっとこれを着れば大輪の薔薇のように美しくなるでしょう」
いきなり現れたダリアの名前に、伯爵はぎょっとする。
妻が愛人に向かって、ドレスを贈る。しかもそのドレスは自分が着ているものより華やかで、人目を惹くデザインのものだ。怪しい、何か思惑があるとしか考えられない――それを包み隠さず、思い切り訝し気な表情をする伯爵に向かってデイジーはどこまでも落ち着いていた。
「旦那様、ドレスは女性にとっての戦闘服です。強い戦士はその力を発揮できるだけのを、頑丈な鎧を身に着けている。それと一緒で、女性は鎧の代わりにドレスを着て社交界という戦場へと赴くのです。そして鎧にとって最大の幸せは自分の力をフル活用し、自身を使用するにふさわしい屈強な戦士に着られること……この赤いドレスは私が着ても大して似合わないでしょうが、ダリア様にはきっとお似合いのはずです。このドレスという戦闘服の最大の幸福が、ダリア様と共にあるのなら。私はこの『鎧』を、ダリア様に差し上げます、それはきっと、『怨霊の叫びを聞いてくれ』の舞台のためにもなるでしょう」
なんだかよくわからない理屈だが、とりあえずデイジー本人は「善意である」ということを伝えたいらしい。仮に何か悪巧みを考えていたとしても、それを馬鹿正直に言うとは思えないが……伯爵はこの時、初めてデイジーを「恐ろしい」と感じていた。
人間はだいたい、理解不能なものを恐れる。例えば同じ殺人犯であっても「復讐のために殺した」と「ただなんとなく殺した」であれば、恐怖心を煽られるのは後者の方だろう。何を考えているのかわからない、言いたいことが理解できない。それは時として非常に気味が悪く、死んだ者よりよほど怖いということもあるものだ。
夫に新婚初夜から突き放されたにも関わらずいけしゃあしゃあと「あなたを契約相手として大切にします」とのたまったり、ノコギリやら鉈やら巨大な凶器を振り回す侍女を連れたりしている女。真面目に考えれば考えるほど、わけがわからない女である。自分はなぜ、こんな恐ろしい女を「地味」ぐらいにしか思っていなかったのか……赤いドレスを前に苦悩する伯爵へ、「あぁ、鎧といえば」とデイジーが続ける。
「旦那様の分の衣装も、いただいてきたんですのよ。ほら、こちらに」
そう促すデイジーの言葉と共に、サラがまた何か新しい服を取り出す。そうして伯爵の目の前に披露されたのは――血まみれでボロボロの鎧だった。
「……なんだ、これは」
「あら、旦那様もご覧になったでしょう? 『怨霊の叫びを聞いてくれ』の舞台に出てきた衣装ですよ。ダリア様とデイジー様だけでは旦那様が可哀想だからと、特別に譲っていただいたのです」
そう語るサラの言葉は間違ってはいない。
確かにその鎧は『怨霊の叫びを聞いてくれ』に登場していた。ただしそれを身に纏っていたのは戦士の役、より詳しく言えば『何度斬られても、何本の矢で貫かれてもなお人々を守るために戦ったが、最後は首を落とされ無念のうちに命を落とした戦士の怨霊』を演じていた人物だった。だからその鎧も矢は刺さっている、至る所に血が貼り付いている、首が落ちるシーンのために襟元に細工がしてあるといった代物で……デイジーとサラはそんな禍々しい衣装をにこにこと、伯爵の方へ差し出す。
「せっかくいただいた『鎧』です。旦那様もぜひこれをお召しになって、栄光の勝利を掴み取ってください」
こんなものをどこで着ろというのだ、そして何と戦えと言うのだ。
そんな伯爵の反論は、半ば押し付けられるように渡された鎧を前に飲み込まれる。これはあくまで衣装なのだから、別に何か因縁があるわけではない。全ては作り物のはずなのだが、なんだかもの凄い怨念が宿っていそうなそれを受け取り伯爵は立ち尽くし――そんな伯爵を尻目にデイジーとサラは、さっさと自分の部屋へ引っ込んでしまうのだった。




