第二話 Voyage 05 :魂の造船
――ガタッと、背後から地響きのような大きな声が上がった。
「話は決まったようだな。ここからは、ワシらの仕事だ!」
穂花はビクッと肩を跳ね上げた。
今の一声で、カクテルによる心地よいほろ酔い気分が一瞬で吹き飛び、
慌てて声のする方へと振り向いた。
そこには、対照的な二人の神が立っていた。
一人は、使い込まれた茶色の革製エプロンを身につけている、
岩のように頑強で大柄な男性。
そしてもう一人は、仕立てのいいタイトなスーツを隙なく着こなした、
眼鏡の奥の瞳をキリッと輝かせている知的な女性だった。
女性は、値踏みするような鋭い視線で穂花を真っ直ぐに睨みつけると、
冷徹に言い放った。
「私は知恵の女神アテナと申します。
隣のむさ苦しい大男が、鍛冶の神ヘパイストス。
……ちなみに、最初に言っておきますが、
私はヘパイストスの秘書ではございません!
対等なビジネスパートナーにすぎませんから」
釘を刺すように強く言い切られ、穂花は
(ゲッ、私の心の声、顔に出てたかなぁ……)と内心ものすごく焦った。
「私は『知恵の女神』です。
人間ごときが頭の中で考えそうな浅はかなことなど、
すべてお見通しです」
フン、と鼻を鳴らすアテナ。
(あちゃー、初対面でめちゃくちゃ怒らせちゃった……!)
穂花は慌てて、「すみません……っ」と、
普段の仕事癖で咄嗟に謝罪の言葉を口にしてしまった。
だが、ヘコヘコと頭を下げた自分の姿に、
穂花の胸の奥の『何か』がパチリと弾けた。
(……って、なんで私、
何も悪いことしてないのにこんなに縮こまって
謝らなきゃいけないのよ!?)
理不尽な圧力を前に、穂花の牡羊座の負けん気に火がついた。
アテナの睨みがさらに強くなったその瞬間、
穂花もなぜか引くことなく、
その綺麗な瞳をカッと見開いて真っ向から睨み返したのだ。
「……ほう?」
アテナの眉がピクリと跳ねる。
二人の女性の、一歩も退かない壮絶な睨み合い。
それは、ラウンジにいる他の神々をも完全に黙らせるほどの、
ピリピリとした凄まじい迫力があった。
緊迫の糸が限界まで張り詰めた、
その時――。
先にふっと表情を緩めたのは、アテナの方だった。
口元に美しく白い手を添え、鈴の音を転がすような、
気品に満ちた声でくすくすと笑い出す。
「ふっ……ふふ、ふふふふ! ああ、失礼」
つられるように穂花も強張っていた頬を緩め、
二人は同時に声を上げて笑い出した。張り詰めていた空気の糸が、
綺麗に解けていく。アテナは愉快そうに目を細めた。
「やっぱり、貴方面白いわね。神である私を前に、
これほど見事な眼差しで睨み返してくる人間は久しぶりだわ。
……ふふ、流石は牡羊座のルーラー(支配星)、
火星のエネルギーは衰えてはいないようね」
アテナの視線が、一瞬だけ後ろのテーブル席にいる軍神アレスへと
向けられ、またすぐに穂花へと戻る。
「はぁ……」
穂花はどっと疲労感を覚え、
まるで重役だらけの厳しい会議を戦い抜いたような奇妙な
錯覚に陥っていた。
その様子を見ていたヘリオスとクロノスは、
静かに目を合わせる。
(この二人、どこか似ているな)
(ああ。自分の戦うべき場所を知っている女性というのは、
皆あのように美しいものさ)
二人は言葉にせず、アイコンタクトだけでそう会話を交わした。
一方、少し離れたテーブル席では、
ゼウスとアレスが声を潜めてヒソヒソと話し合っていた。
「おいアレス、見たか。
ワシの娘と対等に渡り合える人間など、
そうそう珍しいぞ……」
「本当ですな、親父殿……。
あの姉上に正面から睨み返すなど、
僕から見ても恐ろしすぎて、生きた心地がしませんよ」
軍神アレスのその物々しい雰囲気に似合わない弱音を、
知恵の女神の耳が聞き逃すはずがなかった。
アテナは冷酷な笑顔のまま、
咄嗟にゼウスとアレスの親子に向けてギロリと鋭い視線を突き刺した。
「アレス!
……そんな弱腰だから、
あなたは神話の時代から負け戦ばかりが多いのですっ!」
「ぐっ……!?」
「ひっ……」
痛いところを突かれた軍神と、巻き添えを喰らった最高神は、
瞬時に何気ない素振りを装うと、
完全にシンクロした動きで大慌てでコーヒーカップを手に取り、
そっぽを向いて口をつけた。
ヘパイストスは、
アテナと穂花の睨み合いで張り詰めた場の空気を変えるように、
豪快に髭を撫でながらクロノスを振り返った。
「クロノスよ、そろそろ『時の書』から、
この娘の『魂の造船』を出してくれぬか」
促されたクロノスは、
深く頷いてカウンターの上に置かれた重厚な革の本
――穂花の『時の書』へと、細長い指先を伸ばした。
促されたクロノスは、
深く頷いてカウンターの上に置かれた重厚な革の本
――穂花の『時の書』へと、細長い指先を伸ばした。
クロノスが、ある見開きの場所でめくる手を止めた。
次の瞬間、ページに描かれていた緻密な幾何学模様の線画が、
黄金の光を放ちながら立体的に浮き上がってきた。
光の糸は空中でもつれ合い、
まるで一本の木を急速に組み上げるようにして形を成していく。
それと同時に、ラウンジの中に、
ふわりと上質な大工仕事のような芳しい木の香りと、
どこか懐かしい潮風の匂いが広がった。
やがて光が収まったクロノスの手のひらの上には、
透明なガラスの小瓶に閉じ込められた、
繊細で美しい、小さな『ボトルシップ』が静かに佇んでいた。
「……あれ? 帆船、じゃないの……?」
穂花が思わず声を漏らしたのも無理はなかった。
穂花はそれを、デザイナーとしての視線でまじまじと見つめた。
ボトルの中にあるのは、一般的な風をはらむ白い帆を持った『帆船』
ではなかった。大きな帆を持ちながらも、
船体の中央には堂々とした黒い煙突がそびえ立ち、
スクリュープロペラを備えた、風と蒸気の両方で進む
『汽帆船』だ。
一階の棚に並んでいた数々のボトルシップも、
すべてこの形だったことを穂花は思い出す。
「……あの、どうして普通の帆船ではなく、
どれも煙突がついているんですか?」
穂花の純粋な疑問に、
クロノスはホロスコープの火星のマークを優しく指差しながら答えた。
「おや、不思議かい? 人間というものはね、
人生という海を環境という風任せに漂うだけの存在じゃない。
誰もが胸の奥に、自ら情熱の火を焚きつけ、
力強くスクリューを回して荒波を突き進む『火星』のエネルギーを宿して
いるんだよ。……そう、この世界において、
人間の魂がすべて『汽帆船』の姿をとる理由、
そしてその火星の力を物質化した心臓部こそが、
この船の『ボイラー室』というわけさ」
クロノスのその言葉を引き継ぐように、
アテナが携えていた筒から一枚の緻密な設計図を取り出し、
テーブル席へと厳かに広げた。そこには星々の運行を模したような、
細かな幾何学の図面が描かれている。
ヘパイストスはその設計図の横にボトルシップを置くと、
表情を完全に一流の『職人』のそれへと切り替えた。
愛用の作業鞄から取り出したのは、ペン型のカッターと、
極細のピンセット、そして片目に装着する金縁のルーペ。
キチキチとルーペの焦点を合わせると、
彼は逞しい腕で驚くほど繊細に工具を操り、
ガラスのボトルを綺麗に真っ二つに割り振った。
エプロンに描かれたロバの刺繍が揺れる。
中の繊細な木造船を、ピンセットを使って傷一つつけることなく
丁寧な手つきで取り出した。
ヘパイストスはすぐさま、取り出した船の本格的な点検を始めた。
ピンセットの先で細かなパーツを突き、ルーペ越しに傷の深さを覗き込む。
ヘリオスも、クロノスも、
そしてステージの女神たちや後ろのゼウス親子までもが
――ラウンジにいる全員の緊迫した視線が、
ヘパイストスとアテナの二人の手元へと、静かに注ぎ込まれていた。
だが、その船の表面は、誰の目から見ても明らかなほど、
凄まじい汚れに塗れていた。
まるで、何年も荒れ狂う嵐の中をノーメンテナンスで
彷徨い続けたかのようにボロボロだ。
静まり返るラウンジの中、ヘパイストスはガシガシと太い腕で顎髭を撫でながら、手直しをする箇所を淡々と口述し始めた。
「デッキはフォアキャッスル(船首楼)、
ウェスト(中央甲板)、クォーター(後部甲板)、
ポープ(船尾楼)のすべてに酷い汚れと傷みがあるな。
板の全面張り替えが必要だ。
……それから、この娘の火星の象徴たるボイラー室のボイラーの修復。
あとは進路を決める舵のガタツキ……こいつは骨が折れるぞ」
その言葉を拾いながら、アテナは設計図へ、
赤色のペンでヘパイストスが告げた箇所に手際よく丸をつけていく。
一通りチェックを終えると、
二人は頭を突き合わせ、何やらコソコソと真剣な表情で相談を始めた。
やがて、よし、と短く頷いたヘパイストスは、
すぐさま凄まじい集中力で本格的なリペア作業に取り掛かった。
その頼もしい背中を見届けたアテナが、顔を上げて一同を振り返る。
「ヘパイストスが作業に没頭するとしばらく戻ってきません。
皆様、ここはひとまずお茶でも飲んで休憩にいたしましょう」
その提案を待っていたかのように、カウンターの中から
献酒の女神スポンデが、タイミングよく人数分のアイスコーヒーを
出してくれた。硝子のグラスに大きな氷がカランと涼しげな音を立てる。
「今回のコーヒーは、深煎りのブラジルでございます。
また、お茶菓子には、
晩餐の女神アクテーが昨日のうちに穂花様のために作ってくれた、
和栗のモンブランをご用意いたしました」
差し出された美しいモンブランの、
栗の濃厚な甘い香りに触れた途端、
穂花は自分が酷く小腹を空かせていたことにようやく気がついた。
スプーンですくい、口に運ぶ。
上品な和栗の甘みと、それをキリッと引き締める
深煎りアイスコーヒーのコクが、
32歳の疲れた身体にじわリと染み渡っていく。
張り詰めていたラウンジの空気は
一和らぎ、ヘパイストスが作業を続ける横で、
穂花は神々との穏やかな会話を楽しんだ。
彼らは恐ろしい存在ではなく、どこか人間味に溢れ、
自分の人生をずっと見守ってくれていた温かい存在なのだと、
お喋りの中で実感していく。
――そうして、ものの二十分ほどが経った頃。
「出来たぞーーーっ!!」
ヘパイストスが作業机から威勢のいい声を張り上げた。
「お待ちかねだ!」と言わんばかりに胸を張る彼の元へ、
ヘリオスやクロノス、そして穂花も身を乗り出すようにして、
再びボトルシップの周りへと集まった。
アテナは手元の設計図と、
ヘパイストスの手によって見違えるような変貌を遂げた、
美しい『汽帆船』を交互に見つめ、
眼鏡の奥の瞳をキリリと輝かせながら説明を始めた。
「全デッキの清掃はもちろん、
穴が空いていた板の張り替えも完璧に済ませたわ。
そして何より、限界を迎えていたボイラー室のボイラーは、
最新の馬力を持つ新しい物へと取り替えてあります。
……最後に『舵』だけれど、操舵輪には赤みの強い
『カリン(花梨)』という特別な木材を使用したわ」
アテナは不敵に、けれどどこか誇らしげに口角を上げた。
「さぁ! これで貴方の思う方角へ、迷わず力強く漕ぎ出せるはずよ」
ヘパイストスは誇らしげに鼻を鳴らすと、真っ二つに割ったボトルを、
今度はペン型の溶接器から放たれる繊細な光の熱で、
何事もなかったかのように美しく元通りに戻してみせた。
穂花はガラスの向こうでピカピカに生まれ変わった自分の『ボトルシップ』をまじまじと眺めた。ただ見つめているだけなのに、
なぜか身体の奥底から、
信じられないほどの活気とエネルギーがフツフツとみなぎってくる
奇妙な感覚があった。
――ただ本を読む場所じゃない。
ここは、傷ついた人間の魂をもう一度美しく仕立て直す場所。
だから『魂の造船図書館』なんだ――と、
穂花は一人で深く納得していた。
魂の船が蘇った今、穂花の胸の中では、
一刻も早く大阪に戻って北原に会いたいという気持ちが、
益々激しく昂っていた。
そんな彼女の強い決意を、
館長であるヘリオスが父親のような温かい眼差しでしっかりと見守る。
気付けば、クロノスも、アテナもヘパイストスも、
そしてテーブル席のゼウス親子まで、ラウンジにいるすべての神々が、
彼女へエールを送るような心優しい応援の眼差しをくれていた。
穂花は胸が熱くなり、溢れそうになる涙を堪えて深く頭を下げた。
「皆様、本当に……ありがとうございました!」
穂花が顔を上げると、神々が全員で声を揃えて、
ラウンジ全体に響き渡るような声で告げた。
『――いってらっしゃい! 穂花!』
これほど心強く、背中を強く押してくれる祝福の声は、この先の長い人生を歩んでいく上でも二度とないだろうと、穂花は直感した。
彼女はもう一度だけ深々とお辞儀をして、未来へと歩き出すために、
上がってきた螺旋階段を下りようとしたとき。
最初に出迎えてくれたあの右側の舞台にいた女神二人が、
ひらひらと手を振りながら近づいてきた。
「はーい! 私たちが正面玄関までご案内しまーす!」
二人はチャーミングに笑ってカメラに収まるようにピースサインを
してみせると、弾むような足取りで、
穂花の左右に並んで大きな正面玄関の扉まで賑やかに送り届けてくれた。
色鮮やかなハワイアン・ワンピースを着た、太陽のように快活な女性が、
親しみやすい笑顔で穂花に話しかけてきた。
「今日はビックリだらけの一日だったでしょ!
あっ、ちなみに私の名前は真昼の女神メセンブリア。
いつもはね、君たちが生きている間に選択したすべてのことを
『時の書』に記録するお仕事をしているの。
あ、それとお昼の間はヘリオス様の黄金の馬車の運行サポートもね!」
すると今度は、対照的な黒いワンピースを上品に着こなした、
おっとりとした女性が、歩調を合わせながら柔らかな声を重ねた。
「わたくしは、祈りの女神エレテーと申します。
わたくしもメセンブリアたちと共に『時の書』への記録を
担っているのですよ。
……ふふ、最近は『祈りの時間』に記録することが
ほとんどなくなってしまいましたけれど。
古代の人間たちには、
それはそれは豊かな祈りの時間というものがあったのですよ」
穂花は驚きながらも、どこか新鮮な気持ちで相槌を打った。
「そうなんですか!
確かに、私はこれまでの人生で『祈る』なんてこと、
一度もしたことがないなぁ……」
「――穂花さん」
穏やかな声だった。
エレテーは朗らかな笑みを浮かべたまま、
けれどあまりにも確信を突いた問いを、不意に投げかけてきた。
「神は存在すると思いますか?」
「え……っ?」
穂花は驚きのあまり、思わず階段を踏み外しそうになり、
咄嗟に足を止めてしまった。
無理もない。まさか本物の『女神』から、
ストレートに神の存在の是非を問われるなど、
夢にも思っていなかったからだ。
頭が真っ白になり、心臓が激しくドクドクと音を立てる。
けれど、エレテーの澄んだ深い瞳をじっと見つめているうちに、
不思議とさざ波が引くようにだんだんと落ち着きを取り戻してきた。
穂花は少しの間、
32年間の自分の人生を振り返るように真剣に考えてから、静かに答えた。
「……正直に言えば、ここに来るまでは、
神様なんてこれっぽっちも信じていませんでした」
エレテーはそれを拒絶する風でもなく、
ただ愛おしそうにニコッと微笑んで、こう言葉を続けた。
「それでいいのです。
私達からすれば、現代のあなた方が、
こうして私達の存在をどこかで忘れずにいてくれるだけで、
もう感謝しかないのですよ」
忘れずにいてくれるだけで、感謝――。
穂花はエレテーの話を、まるで呆気にとられたように聞いていた。
その言葉の意味を、自分の頭の中で噛み砕き、一つの答えに行き着く。
「……それって、神様と人間は……『共存関係』、なのですか?」
穂花の言葉に、エレテーとメセンブリアは嬉しそうに顔を見合わせた。
「その言葉が、一番妥当ですね!」
二人はまるで少女のように、声を合わせて無邪気に笑った。
穂花は深く息を吐き出し、ゆっくりと階段を下りるのを再開した。
今日一番心臓に悪い、けれど、
じんわりと胸の奥が熱くなるような不思議な対話だった。
その余韻を、一歩一歩の足音と共に愛おしく噛み締める。
――共存関係。
それは、デザイナーである穂花にとっても、酷く身近で切実な概念だった。
クリエイターが命を削るようにして創り出す衣服や、
作家が魂を込めて紡ぎ出す物語。それらもきっと、
誰かに愛され、忘れられない限り、
その人の心の中で永遠に生き続けるのだ。
神様も、人間の創り出す心も、
本質はまったく同じなのかもしれない。
自分の仕事、自分の歩んできた道が、
神々の存在そのものと優しく重なったような気がして、
穂花の足取りはいつの間にか、とても力強く、
確かなものへと変わっていた。
二人の女神が、息を合わせて重厚な玄関の扉を開け放ってくれた。
一歩外へ踏み出した穂花は、思わず目を見張った。
さっきまで世界を打ちのめすように叩きつけていたあの激しい雷雨は、
綺麗サッパリと落ち着いていた。嘘みたいに澄み渡った群青の夜空が、
どこまでも広がっている。天王星の激しい嵐が去った後に訪れた、
完璧な静寂がそこにはあった。
すると、前方から夜風に吹かれながら、
大学生のようなラフな格好をした一人の若い男性が歩いてきた。
その姿を認めた途端、
エレテーとメセンブリアが弾けたように声を弾ませる。
「あっ! カイロス、あなた今まで何やってたのよー!」
チャンスの神、カイロス。
彼はぶうぶう文句を言う二人の女神には目もくれず、
真っ直ぐに穂花を見つめると、悪戯っぽく口角を上げた。
「本郷さんだっけ? 君、なかなかやるね。
ここ数日の『チャンスの風』を、
二回ともしっかりと掴んでここまで来れている。
流れは悪くないはずだよ。
……さあ、ここでクイズ。クロノス兄さんたちに、
最後は何が重要だって言われた?」
突風のように現れた型破りな男に驚きつつも、
穂花は先ほどラウンジで受け取った、
クロノスのあの鋭くも深い慈愛に満ちた視線を思い返した。
「……目上の方から差し伸べられている手を、
遠慮なく、しっかりと握り返せ、って」
「流石はクロノス兄さんたちだ、話が早い!」
カイロスは満足そうにパチンと小気味よく指を鳴らした。
「じゃあ、最後は僕から。チャンスの神様からの予言。
明日、君が大阪に戻ったとき、
これまでの人生で最大の『チャンスの風』が吹く。
風向きを読み違えずに、しっかりと受け取ってね!
……じゃあね、いってらっしゃい!」
「穂花さん、いってらっしゃい!」
女神たちの明るい声に見送られながら、穂花は三人に深々とお辞儀をした。そして、最初にこの場所へと迷い込んできた時の記憶を頼りに、
暗闇が広がる道へと足を進めた。
――もう一度だけ、あの美しく奇妙な
『魂の造船図書館』を目に焼き付けておきたい。
ふと、そう思って振り返った瞬間、穂花は息を呑んだ。
辿り着いた時は冷たく暗く閉ざされていた、あの灯台のような塔の頂上。
そこに今、見たこともないほどに強烈で、
けれどどこまでも優しい黄金の光が、
世界を照らすように赫々と灯っていたのだ。
光は瞬く間に広がり、夜空を、夜道を、そして穂花の視界のすべてを真っ白な輝きで包み込んでいく。
その圧倒的な光の奔流の中で、直接、脳裏に響き渡る声があった。
重厚で、宇宙の始まりから響いているかのような、
絶対的な威厳を持つ声。
『私は“魂の造船図書館”のオーナーであり、永劫の神アイオーンである』
震えるほどの神威。
けれど、その声に宿る底知れない温かさに、
穂花は不思議と恐怖を一切感じなかった。
『そなたの運命の歯車は大きく揺れていたが
……ようやく、軸が定まったようだ。よくぞ、ここまで持ち堪えた』
じわり、と胸の奥が熱くなる。
『これから先、現実世界で大きな変化がそなたを待っておる。
だが、弟のクロノスとカイロスが告げた言葉を忘れずに実行すれば、
思いもよらぬ輝かしい未来が開けよう。
そなたは今まで通り、何も臆さずに、ただ真っ直ぐに突き進むが良い』
――臆さずに、突き進む。
その言葉が、確かな力強い残響として魂の奥底に刻まれた瞬間、
穂花の意識は心地よい浮遊感に満たされ、
真っ白な光の彼方へと融けていった。




