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王子に追放された天才治癒師、隣国で病院を建てたら英雄になりました  作者: レモンティー


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第九十七話 奪われた家の扉

返還された旧宅の扉は、思ったより固かった。

セレナが鍵を回しても開かず、リゼが肩を貸した。

「帰ってきたのに、歓迎されていないみたい」

「家に罪はないわ」

ようやく開いた扉の向こうには、薄い埃と乾いた薬草の匂いが残っていた。

窓辺の鉢は空になっている。

棚には、追放の日に置き忘れた図鑑があった。

近所の人々が門の外に集まった。

かつて彼女を裏切り者と呼んだ人もいる。

老婦人が小さな声で尋ねた。

「ここへ戻るのかい」

「まだ決めていません」

「許してもらえるとは思わないけれど……あのときは怖かったんだよ」

セレナは老婦人を見た。

「私も怖かったです」

それ以上は言わなかった。

説明を聞くことと、許すことは別だった。

家の奥には壁に刻まれた背丈の目盛りが残っていた。

若いころ、薬師の弟子たちが背を比べて笑った跡だ。

セレナは指先を伸ばしかけて止めた。

あの日々を守れなかった悔しさが、まだ胸の奥にあった。

リゼが図面を広げる。

「ここを診療所にするなら、入口の段差をなくさないと」

「患者の寝台は居間に?」

「居間は狭い。待合室にして、奥を診察室にするほうがいい」

二人は家具を移動しながら、古い家を少しずつ別の場所へ変えていった。

翌日、町議会では反対意見が出た。

「私有財産を公共施設にするなら、費用は誰が払う。持ち主が気まぐれでやめたらどうする」

セレナは答えた。

「無償で貸すつもりです。でも運営を私一人に任せないでください」

返還決定には不服申立ての期間があり、所有権の確定を待って使用契約を結ぶことになった。

町は契約成立後、建物の修繕費を上限付きで負担する。

診療所の運営は医療評議会の監督を受け、患者が苦情を申し立てられる窓口を置く。

セレナが不在でも続く施設にするためだ。

家の修繕を始めると、思い出だけでは埋められない問題が次々に見つかった。

床板は一部が腐り、雨水が壁の内側へ入り込んでいる。

職人は図面を見て首を振った。

「診療所にするなら、このままでは危険です」

「壊すしかないの?」

リゼが尋ねる。

「全部ではありません。残せる柱もある。ただ、残すためにも直すところは直さないと」

セレナは壁の背丈の目盛りを見た。

残したいものと、変えなければならないものが同じ部屋にあった。

町議会で修繕費が議題になると、若い商人が立ち上がった。

「先生の家を町の金で直すなら、ほかの家の雨漏りは誰が直すんです」

セレナはその疑問を退けなかった。

診療所に必要な部分の費用だけを町が負担し、私的な部屋は自己負担にする案を示した。

契約が終わる場合の設備の扱いも、先に決める。

「私は家を取り戻しました。でも、町のお金まで私のものになったわけではありません」

商人は少し考え、「なら、見積書を公開してください」と言った。

工事中、近所の老婦人が毎日差し入れを持ってきた。

以前セレナを裏切り者と呼んだ人だった。

リゼは受け取るべきか迷ったが、セレナは「食べ物に罪はないわ」

とだけ言った。

三日目、老婦人はついに謝った。

「あなたが追放されたとき、私は何も言わなかった。声を上げれば家族まで疑われると思った」

「怖かったんですね」

「そう。でも怖かったからといって、あなたを傷つけていい理由にはならない」

セレナは差し入れの籠を受け取った。

「謝罪は聞きました。どう感じるかは、もう少し時間をください」

老婦人は頷き、帰っていった。

許しを急がれなかったことが、かえって彼女の背筋を伸ばした。

診療所の入口に段差をなくすための緩い坂ができると、杖をついた老人が試しに歩いた。

途中で立ち止まり、「雨の日は滑りそうだ」と言った。

職人は表面に溝を刻み、手すりの高さを直した。

「建てた人だけで決めないほうがいいですね」

とリゼが笑う。

「使う人のほうが、危ない場所を知っているから」

開所前の説明会には、近くの医師も招いた。

彼は「患者を奪うつもりか」

と警戒していたが、セレナが紹介状の様式を示すと表情を変えた。

軽症の相談を近くで受け、専門的な治療が必要なら既存の病院へ送る。

競争よりも連携が必要だった。

最後に、セレナは古い図鑑を棚へ戻した。

自分だけが読み返す本だったが、今度は研修に来る看護人にも開放する。

家の中にあった知識を、誰かの手に渡せるようにするためだった。

議会を出ると、一人の母親が待っていた。

腕に幼い子を抱えている。

「ここに病院ができるんですか」

「小さな診療所です。大きな治療は別の病院へ紹介します」

「それでもいいんです。熱を出したとき、川を越えずに相談できるなら」

子どもは母の肩で眠っていた。

セレナはその寝顔を見て、家の使い道を決めた。

開所前の試験診療では、早速問題が見つかった。

入口の段差を低くしただけでは、車椅子を押す人が雨の日に滑ってしまう。

待合室も狭く、熱のある患者と乳児が同じ長椅子に座ることになった。

「思い出の家を壊したくないからって、使いにくいままにはできないわね」

リゼが言った。

セレナは古い戸棚を別室へ移し、玄関に屋根を増設する図面を引いた。

診療所の看板より先に、手洗い場と隔離用の小部屋を整える。

町の大工は費用を見積もって眉を寄せた。

「無償の診療所でも、建物はただでは直りませんよ」

「分かっています。寄付だけに頼らず、町との契約に維持費を入れましょう」

その夕方、昔セレナを避けた老婦人が掃除用の布を持ってきた。

「許してもらえるとは思っていないよ」

「掃除を手伝ってくださるなら、助かります」

謝罪に返事をする代わりに、二人は窓の埃を一緒に拭いた。

翌朝、工事を見に来た子どもが尋ねた。

「ここ、怖い注射をするところ?」

セレナはしゃがんで答えた。

「怖いこともあるかもしれない。でも、怖いと言っていい場所にしたいの」

開所準備の最後の日、リゼが尋ねた。

「思い出が消えるのは嫌じゃない?」

「消えないと思う」

「なら、どうしてここを?」

セレナは壁の目盛りを見た。

「あの頃、私は治すことばかり考えていた。今は、治療を受けられる場所を増やしたい」

古い目盛りは削らずに残した。

新しい診療所の壁には、開所の日付と担当者の名前が書かれた。

過去を消すのではなく、その隣に次の時間を刻むためだった。

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