第九十六話 罪を認めた男
元院長オルフェンが証人席に立つと、遺族席の空気が変わった。
彼自身の刑事責任は別に審理されるため、裁判長は証言拒否に関わる権利と供述の扱いを説明し、弁護側にも質問の機会を保障した。
誰かが椅子を引く音が、ひどく大きく響いた。
「私は王子の命令に従いました」
最初の一言に、裁判長マルセルは問い返した。
「それは経緯の説明ですか。それとも責任を免れるための主張ですか」
オルフェンは唇を噛んだ。
「両方にしたかったのだと思います」
彼は診断書を偽造した棚の番号を述べ、誰が署名し、どの時間に原本を移したかを答えた。
記録係フィオナが控えを持って現れる。
原本と控えには、一部の日付の食い違いがあった。
「私は後から修正しました」
フィオナは言った。
「ただし、修正した理由と元の数字は消していません」
裁判長は原本の確認を命じた。
自白だけで事実が確定するわけではない。
罪を認めた人間にも、記憶違いはある。
遺族席から女性が立ち上がった。
「あなたは、息子の顔を見ましたか」
オルフェンは答えられなかった。
女性は続けた。
「息子は人参が嫌いでした。熱があっても、妹にだけは笑ってみせる子でした。あなたの帳簿では何番ですか」
「……四十二番です」
「名前を言ってください」
オルフェンは書類を見た。
そこには番号しかなかった。
「分かりません」
女性は泣かなかった。
ただ座り、膝の上で手を握った。
休廷後、セレナはオルフェンから話しかけられた。
「君なら、私を許せるか」
「その質問を私にするのは違います」
「私は、王子に逆らえば医療院が潰れると思った」
「だから患者の名前を消したのですか」
「……そうだ」
「なら、そのことを法廷で話してください。あなたが恐れたことも、あなたが選んだことも」
セレナは彼のために言葉を整えなかった。
彼が自分で引き受けるべきだった。
証言の前夜、オルフェンは眠れなかった。
地下書庫に残した書類の位置を何度も思い出そうとしたが、棚の番号が揺らぐ。
記憶に自信がないと認めれば、自白まで疑われる気がした。
面会に来た弁護人は言った。
「覚えていないなら、覚えていないと答えてください。自白は、あなたの記憶を完全にする魔法ではありません」
「私は何人の名を消した?」
「それも調査中です」
オルフェンは机を叩きかけて止めた。
自分が数字を操作したくせに、今になって正確な人数を知りたがっている。
その身勝手さが嫌になった。
法廷でフィオナが控えを示すと、弁護人は彼女に質問した。
「あなたは後から日付を修正した。では、原本を偽造する機会もあったのでは」
「ありました」
とフィオナは答えた。
傍聴席がざわついた。
彼女は続けた。
「だから修正前の写しと、変更した理由を書いた紙を残しました。信じてくださいと言うのではなく、照合してください」
書記官は紙の繊維と筆記具の違いを確認するため、鑑定担当者を呼ぶことになった。
裁判長はその場で結論を出さず、審理を続行した。
休廷中、遺族の女性はオルフェンへ近づこうとして護衛に止められた。
「一つだけ聞かせて。息子は最後に苦しんだの?」
オルフェンは答えられなかった。
彼は死亡時刻すら正確に記録していなかった。
「分かりません」
とようやく言った。
女性は顔を歪めた。
「それが一番ひどい。死んだことより、何も分からないことが」
セレナは二人の間に入らなかった。
代わりに、女性が望むなら記録の閲覧を支援できると伝えた。
分からないことが分からないまま残る可能性も、隠さず説明した。
午後、オルフェンはかつて医療院に勤めていた助手の名を告げた。
助手は患者を番号で呼ぶことに反対し、解雇されたという。
証言を聞いた法務官は、彼女の居場所を調べるための正式な照会状を作成した。
「彼女は私を恨んでいるでしょう」
とオルフェンが言う。
「恨んでいるかどうかは、本人が決めることです」
とマルセルは答えた。
「ここで必要なのは、彼女が何を見たかです」
閉廷後、オルフェンは弁護人に尋ねた。
「罪を認めたら、少しは軽くなるだろうか」
「量刑で考慮される可能性はあります。ただし、誰かを救ったことにはなりません」
その言葉を聞き、オルフェンは肩を落とした。
償いは判決を有利にするための行為ではない。
自分のしたことを、名前のある人々の前で明らかにすることから始まるのだと、ようやく理解した。
午後の証言で、オルフェンは新たな事実を話した。
偽造の指示を受けたあと、命令に従わなかった看護助手がいた。
助手は患者の実名を別紙に控えていたが、その後職を失った。
「その別紙は?」
「地下保管庫の、薬品台帳の裏表紙に挟みました」
書記官はすぐに保全命令を書いた。
オルフェンはそこで初めて顔を上げた。
「私は知っていた。助けられたのに、黙っていた」
翌日、地下保管庫から持ち出された台帳は、立会人二人の前で開封された。
裏表紙には薄い紙が挟まれていた。
そこには番号だけでなく、患者の名と家族への連絡先が書かれている。
「これを書いた助手は今どこに?」
マルセルが尋ねた。
オルフェンは首を振った。
「追われたあと、行方を知りません」
裁判長は助手の捜索と保護を命じた。
台帳の存在は重要だが、筆跡や作成時期の確認なしに真実とは断定できない。
遺族の女性は廊下で紙の写しを見せられた。
息子の名前を見つけた瞬間、膝が崩れそうになった。
「この字は、あの子の字じゃありませんね」
「記録係の字だと思われます」
「それでも、名前を残してくれた人がいた」
セレナは頷いた。
オルフェンの自白で救われる命は戻らない。
けれど、失われた記録を探す仕事には、まだ間に合うことがあった。
女性はその写しを持ち帰る前に、名前の読みを確かめた。
小さな違いでも、別の人の記録にされるのが怖かった。
書記官は読み仮名を追記し、訂正の履歴を残した。
閉廷後、女性が廊下でセレナを待っていた。
「謝ってもらっても、息子は帰りませんね」
「はい」
「でも名前は戻せますか」
「記録を確かめて、間違いがあれば訂正できます」
女性は小さな紙を渡した。
息子の名と、好きだった食べ物が書かれていた。
「忘れないでください」
セレナは紙を受け取った。
診療記録に書くべき情報ではない。
それでも、番号ではない一人の人間が生きていたことを、確かに受け取った。




