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王子に追放された天才治癒師、隣国で病院を建てたら英雄になりました  作者: レモンティー


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第八十三話 院長の沈黙

元院長オルフェンは書類を見ずに「私が命じた」と言った。

セレナは問い返した。

「何を、誰に、いつですか」

曖昧な告白では、焼かれた記録の代わりにならない。

彼は最初、王子の圧力から部下を守るためだったと説明した。

だがそれは患者の記録を改めた行為の免責にはならない。

しかし記録係が持参した控えには、焼却命令より前に患者名簿の一部が書き換えられていた。

記録係の手は震えていた。

「写しを取ったことが知られれば、家族が危ないと思いました」

オルフェンは顔を上げた。

「お前が持ち出したのか」

彼女は頷く。

「院長が守ってくれると信じていました。でも、患者の名前が消えたとき、誰も守ってくれなかった」

書記官は原本の筆跡と控えの作成日を別々に記録した。

勇気だけでは証拠にならない。

写しの作成時期と保管者を確かめる作業は、証言する人を守ることにもつながった。

証拠を守る仕組みが必要だった。

記録係の名はフィオナといった。

彼女が医療院に勤め始めた頃、オルフェン院長は厳しくも患者を見捨てない人だった。

夜中に薬が足りなくなると自分で薬庫を開け、給料の出ない見習いにも温かい食事を出した。

その人が、いつから患者の名前を消す側に回ったのか。

フィオナには分からなかった。

審問前、オルフェンは控室でフィオナに会いたいと申し出た。

裁判官は接触が証言に影響するおそれを指摘し、立会人を置いた短い面会だけを許した。

オルフェンは椅子に座ったまま言った。

「家族を守りたかった」

フィオナは答えた。

「私にも家族がいます。でも、あの帳簿から消えた子にも家族がいたんです」

彼は言い返せなかった。

提出された控えには、訂正線の下に別の数字が残っていた。

記録係は消すよう指示された欄を、完全には削らず薄い線で残していた。

だが原本と写しの紙質が異なり、偽物だと疑われる余地もある。

書記官は当時の用紙の購入記録、インクの使用時期、フィオナが書いた別の日誌を照合した。

検証は一日で終わらなかった。

遺族は「また待たされるのか」

と怒った。

セレナは謝りながら説明した。

「急いで結論を出すより、覆されない事実にしたいんです」

夕方、院長が再び証言台に立った。

「王子の使者が来た日、私は名簿を見せた。翌朝、病棟の閉鎖命令が届いた」

検察官が使者の名を問うと、彼は具体的な役職と印章の形を述べた。

ただし、命令書に書かれていない口頭の脅しについては、別の証人が必要だと認めた。

自分だけが悪いと言えば部下を守れると思っていた。

しかしその言い方は、命令の経路を曖昧にしてしまう。

審問が終わると、病棟で働いていた若い看護人が立ち上がった。

「院長先生、私はあなたの言葉を信じて、患者を別室へ運びました。あの子はどうなったんですか」

オルフェンは目を閉じた。

「分からない」

看護人は泣きながら言った。

「分からないままにしたのが、あなたの罪です」

法廷は静まり返った。

セレナはオルフェンに同情する部分があった。

病院を閉じるという脅しが、どれほど多くの患者を危険にさらすかを知っているからだ。

それでも、目の前の一人を記録から消す選択は正当化できない。

彼女はフィオナとともに、医療者が不当な命令を受けたとき第三者へ届け出る制度の草案を書いた。

告発した者の家族を守ること、命令書を複数の場所に保管すること、患者名簿の訂正履歴を消さないこと。

紙の上では簡単だが、実現には人と予算がいる。

帰り際、フィオナは言った。

「院長が昔、いい人だったことまで消したくないです」

セレナは頷いた。

「消さなくていい。でも、したことも消してはいけない」

オルフェンが語った棚番号を調べると、医療院の地下には封鎖された小部屋があった。

扉は錆び、鍵穴には埃が詰まっていた。

フィオナはそこで足を止めた。

「ここは院長しか入れない部屋でした」

立会人が封印を確認して扉を開けると、棚の奥から古い受領簿が出てきた。

患者の名前は書かれていない。

代わりに、病棟番号と荷車の出発時刻が並んでいた。

「これで全員の行方が分かりますか」

とフィオナが聞いた。

セレナは首を振った。

「まだ。搬送先の記録と照らさなければ」

彼女たちは期待と失望を同時に抱えながら、番号を一つずつ写した。

中には既に亡くなった患者もいるだろう。

見つからない人もいる。

それでも、名簿の空欄にもう一度向き合うための手がかりが増えた。

夜、オルフェンの弁護人は彼に減刑の可能性を説明した。

「すべてを話せば、裁判所は協力を考慮するでしょう」

オルフェンは苦笑した。

「私は今さら自分のために話していると思われるのか」

弁護人は答えた。

「動機は一つでなくていい。重要なのは、嘘をつかず、確かめられることを話すことです」

翌朝、フィオナはかつての同僚に会った。

彼は記録を持ち出した彼女を責めた。

「お前のせいで医療院は潰れる」

フィオナは震えながら答えた。

「私が書いた数字で誰かが死んだことにされた。そのまま働き続ける方が、もうできない」

同僚は黙った。

彼もまた、何度もおかしいと思いながら目をそらしていたのだ。

セレナは二人に、病院を守ることと不正を隠すことは同じではないと伝えた。

医療院を残すためには、間違いを見つけた人が声を上げられる場所が必要だった。

地下書庫から運び出した受領簿は、二人の立会人の前で封印された。

フィオナは最後までその場に残り、封蝋が固まるのを見届けた。

以前の彼女なら、院長の判断に任せていただろう。

いまは自分の目で確かめ、分からないことを質問する。

帰り道、彼女は医療院の門を振り返った。

守りたかったのは建物ではない。

そこに名前を残していた、一人ひとりの患者だった。

「私が命令に従わなければ医療院は閉じられた」

とオルフェンは言った。

セレナは静かに答えた。

「閉じられる危険は本物だったのでしょう。でも、だからといって患者を死んだことにしてよい理由にはなりません」

彼は初めて自分の署名を見つめた。

全責任を一人で背負えば、命令した者は逃げられる。

彼は命令書を保管した棚の番号と、同席した役人の名を述べた。

セレナは許すとも許さないとも言わなかった。

必要なのは、次に同じ命令が来たとき誰でも拒める記録と手続きだった。

フィオナは新しい帳面の余白に、訂正した人の名前と訂正理由を残す欄を作った。

上司の命令でも原本は消さず、別紙で訂正する。

若い見習いが「院長に怒鳴られたらどうするんですか」

と尋ねると、彼女は答えに詰まった。

セレナが「一人で拒まなくていい。異議を届ける先を二つ設けましょう」と言った。

勇気ある個人を待つだけでは、また誰かが黙らされる。

フィオナは震える手で、その連絡先を最初の頁に書き足した。

フィオナは新しい記録簿の欄外に、訂正者の署名と訂正理由を残す枠を作った。

「間違えたら消してしまうのではなく、間違えたことも分かるようにするんですね」

セレナは頷く。

元院長の罪を記録することと、今日の職員が萎縮せず誤記を報告できることは両立しなければならない。

翌日の引継ぎでは、まずフィオナ自身が自分の転記ミスを申告した。

誰も彼女を責めなかった。

医療院の若い見習いたちは、調査が終わるまで病院が閉じられるのではないかと怯えていた。

セレナは病棟を回り、診療は続けると伝えた。

調査官の立ち入り時間を決め、薬庫と患者の生活区域を分ける。

過去の不正を確かめるために、今いる患者の治療を止めてはならない。

フィオナはその手順を新しい帳面の最初のページに書き込んだ。

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