081_第八十一話 鎖につながれた王子
法廷の扉が開いたとき、レオニスは鎖よりも傍聴席の沈黙に驚いた。
かつて彼が歩けば人々は一斉に立った。
今は誰も立たない。
近衛兵が裁判官に拘束理由を読み上げる。
「逃亡の試みと、証拠隠滅のおそれによるものです」
王子は「私の命令で門を開けろ」と叫んだが、兵士は動かなかった。
裁判官は木槌を一度だけ鳴らした。
審理の対象は身分ではなく、提出された命令書と患者の記録だった。
「この法廷では、あなたにも発言する権利があります。ただし他人の発言を奪う権利はありません」
元近衛隊長が提出したのは、王子の印を押した命令書の封筒だった。
中身は立会人二名の署名を付して別の保管庫に移され、封蝋の欠けた部分も封印して保管されている。
「あなたが運んだのですか」
と問われ、隊長は頷いた。
「中身は読みませんでした。命令だったからです」
レオニスは勝ち誇ったように笑う。
「ほら見ろ、誰も内容を知らない」
だが書記官は受領簿を示した。
受け取った医療院の担当者、時刻、封筒の重さまで残っていた。
隊長は初めて王子ではなく、遺族のいる席を見た。
開廷前、セレナは傍聴席の端に座るイーナを見つけた。
看護人の膝には、以前の医療院で使われていた灰色の帳面があった。
紙の角は何度もめくられ、指の脂で黒ずんでいる。
「あれを提出するの?」
とセレナが聞くと、イーナは首を横に振った。
「提出する前に、患者の家族の名前を隠したいんです。生きている人まで見世物になってしまう」
二人は書記官と相談し、証拠の原本は封印したまま保管し、公開する写しから個人を特定できる部分を伏せることにした。
真実を明らかにするために、別の誰かを傷つけてよいわけではない。
法廷が再開されると、検察官は王子に尋ねた。
「あなたは医療院に、特定の患者の名簿を差し出すよう命じましたか」
レオニスは顎を上げた。
「王族には危機を収める義務がある。病が広がれば民は恐れる」
問いへの答えではなかった。
裁判官が繰り返す。
「命令したか、しなかったか」
王子は沈黙した。
弁護人が立ち上がり、「文書の作成者と、王子が内容を承知していたかは分けて審理すべきです」
と述べる。
検察官は異議を唱えかけたが、裁判官はその指摘を採用した。
傍聴席から小さな舌打ちが聞こえた。
遺族にとっては、すべてが明らかになっているように思えるのだろう。
セレナにも、王子の言い逃れを止めたい気持ちはあった。
だが、証拠を飛び越えて結論を出せば、いつか別の誰かが同じやり方で罪人にされる。
彼女は手のひらに爪を立て、口を閉じた。
次の証人は、当時の医療院の門番だった。
彼は震える声で、夜中に馬車を通したと証言した。
「中身は患者だったと思います。車輪の下から、血のついた包帯が落ちました」
検察官は落ちた包帯の保管先を問うた。
門番はうつむく。
「怖くて、捨てました」
法廷に失望のざわめきが広がった。
セレナは彼を責めなかった。
「そのとき、誰かに相談できる場所はありましたか」
門番は首を振った。
「命令に逆らえば家族を追い出すと言われていました」
彼の恐怖は罪を消さない。
それでも、何が人を黙らせたのかを知らなければ、同じことが繰り返される。
休廷の鐘が鳴った。
レオニスは水を求め、近衛兵が杯を差し出した。
王子は一瞬、毒でも入っているのではないかという目で杯を見た。
セレナはその視線に気づき、自分が追放された日のことを思い出した。
あの日、自分の言葉を聞こうとした者は一人もいなかった。
だからこそ今、彼にさえ弁護の機会があることを否定しない。
イーナは傍聴席の出口で言った。
「許せない人に公平でいるのは、難しいですね」
セレナは答えた。
「公平であることと、許すことは違う。今日、私たちが守るのは、誰かを簡単に消せないという約束よ」
翌朝、法廷の前には遺族たちが並んでいた。
王子が連れてこられるのを見ようとする者もいたが、ほとんどは自分の家族の名前がいつ呼ばれるのかを知りたかった。
白髪の男がセレナに小さな靴を見せた。
「娘のです。病院に預けた日から戻ってこない」
セレナは靴を受け取らず、男の手の中で見つめた。
証言の前に物品を預かれば、保管経路が曖昧になる。
男には証拠受付の場所を案内し、靴が誰のものか、いつから保管していたかを記録してもらった。
審理では、命令書の封筒と中身が別々の場所から見つかった理由が争点になった。
弁護人は、後から文書を入れ替えられた可能性を指摘した。
検察官は封蝋の欠け方、受領簿の番号、写しを保管した書記の証言を順番に示した。
それでも裁判官は、印章だけで命令の内容が証明されたとは認めなかった。
「証拠が増えるほど、確かめるべきことも増えます」
休廷後、イーナは怒っていた。
「あの人は、私たちがどれほど苦しんだか一度も聞こうとしない」
セレナも同じ思いだった。
しかし彼女は言った。
「今日の裁判は、私の怒りを認めてもらう場所ではないの」
イーナは唇を噛んだ。
「じゃあ、苦しんだ人の声はどこへ行くの」
セレナは答えた。
「記録に残す。そして判決の後にも、病院を変えるために使う」
夕方、王子は護送の途中で足を止めた。
廊下の窓から、患者を乗せた荷車が見えたからだ。
かつて彼が追い出した治癒師たちが、その荷車を押していた。
レオニスは何か言いかけたが、声にはならなかった。
その晩、法廷の書記官は証拠品の保管簿を二度確認した。
王子の名が記された書類にも、名もない門番の証言にも、同じ番号が付けられている。
誰かの地位によって紙の重さが変わることはない。
窓の外では遺族が帰路につき、街の灯りが一つずつ消えていった。
明日も審理は続く。
今日の沈黙が明日の嘘にならないように、書記官は最後の一行を書き終えるまで席を立たなかった。
閉廷後、弁護人は書記官に、次回までに命令書の筆跡鑑定結果を閲覧したいと申し出た。
書記官は閲覧日時を記し、検察側にも同じ条件を通知した。
レオニスがかつて使った特別扱いは、ここにはない。
けれど不利な証拠に反論する機会はある。
セレナは遺族にその手続きを説明した。
白髪の男は長く黙った後、「時間がかかっても、娘の名前を間違えないでください」と答えた。
彼女は頷いた。
早い裁きより、覆らない事実が必要だった。
審理の最後、弁護人は受領簿の署名を指した。
「筆跡が似ていることと、本人が署名したことは同じではありません」
書記官は鑑定結果を急いで採用せず、当時の勤務表を追加で取り寄せると告げた。
遺族の席からため息が漏れる。
セレナはその落胆を受け止めながらも、確認を省かなかった。
判決を急ぐあまり一つでも偽りを混ぜれば、シーラが語った真実まで揺らいでしまう。
セレナは医療記録を開いた。
「ここに書かれているのは、私が診た患者の状態です。王子が何を考えたかは書かれていません」
王子を憎む人々から不満の声が上がる。
セレナは続けた。
「だからこそ、記録にないことを付け足しません。私が嘘をつけば、患者が残した事実まで疑われる」
裁判官はその区別を調書に残した。
王子を憎む者にも、王子を守ろうとする者にも、同じ証拠を確かめる責任があった。




