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王子に追放された天才治癒師、隣国で病院を建てたら英雄になりました  作者: レモンティー


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第八話 王宮の騎士が私を捕まえに来たので、町の人々が立ち上がりました

王宮の騎士が剣を抜いた瞬間、リゼはセレナの前に立った。

「この人を連れていかないでください!」

夕暮れのベルナ。

共同薬房の前には、診察を待つ人々がまだ残っていた。

先頭の騎士は王家の紋章をつけた外套を翻した。

「元最高位治癒師セレナ・アルヴェイン。無資格診療および王宮の記録を改竄した疑いで、身柄を預かる」

「記録を改竄したのは私ではありません」

セレナは声を震わせずに答えた。

「シーラは治療後に目を覚ましました。助手ユリウスも確認しています」

「その件を調べるために連れていく」

「では、正式な命令書を見せてください」

騎士が差し出した羊皮紙には、王宮衛兵隊長の署名があった。

だが、発令番号と移送先の欄は空白だった。

セレナは背後の診療所を見た。

患者の名と病状を書いた帳面が、棚に並んでいる。

「町で行った仕事については記録があります。診断と処方は、町の認可を受けた担当者が行っています」

「その帳面には、何が書かれている」

「患者が何日に来て、誰が診察を担当したかです。個人の病状もあります」

騎士は後ろの兵に目配せした。

兵が棚へ近づくと、受付にいた老人が帳面の前に立った。

「そこには、わしの孫が何度倒れたかも書いてある。罪を調べるのに、子供の病を広場で晒す必要があるのか」

兵の足が止まった。

老人は剣を持っていない。

それでも、そこを退こうとはしなかった。

「証拠なら見せろ」

「患者の名前まで広場で公開することはできません。町の行政官立ち会いなら提出します」

ダンが一歩進み出た。

「俺が作った石鹸も、王宮への反逆か?」

「下がれ、職人」

「嫌だね。安い石鹸を作ると決めたのは俺だ。セレナ一人の仕事じゃない」

ダンは懐から、石鹸を配った日の受領札を出した。

そこには工房の名と、代金を払えなかった家への無償配布の数が記されている。

「これも押収するのか。だったら、誰がいつ何個受け取ったか、町の人間の前で一枚ずつ読み上げてくれ」

「余計なことを言うな」

「余計じゃない。俺たちは、何を奪われるのか知りたいだけだ」

騎士の後ろにいた若い兵が、ほんのわずか視線を落とした。

自分の故郷にも、同じように薬代を払えない家があるのだろう。

セレナにはそう見えたが、確かめることはできなかった。

リゼも顔を上げた。

「息子のノアが倒れたとき、この人はお金の話より先に手を差し伸べてくれました」

「情に訴えても命令は変わらん」

騎士は剣を下ろさなかった。

「皆さん、離れてください」

セレナが言った。

「私を守るために、誰かが傷つくことだけは望みません」

リゼは唇を噛み、ようやく道を空けた。

「お待ちください」

町の行政官オルドが、二人の書記を連れて広場へ来た。

「王宮の方々を妨げるつもりはありません。ただ、町から人を連行するのであれば、身柄を渡した時刻と責任者を記録させていただきたい」

騎士は苛立ったように命令書を突き出した。

「これで十分だろう」

「発令番号がありません。移送先も空欄です」

「王宮の命令を疑うのか!」

「疑いではなく、確認です。正式な照会を出します。それまでは町の施設を捜索させるわけにはいきません」

オルドの言葉は慎重だった。

彼には王宮の命令を無効にする権限はない。

だが、町の記録と患者の安全を守る責任はあった。

騎士の顎が引きつった。

「……本日は引く。だが、次は正式な書類を持ってくる」

若い兵が一歩遅れて馬に乗った。

そのとき、診療所から小さな咳が聞こえた。

待合室にいた少年のものだった。

兵は一度だけ振り返った。

「患者は、どうする」

隊長が睨むと、兵は背筋を伸ばした。

「……失礼しました」

セレナは少年の肩に毛布を掛けた。

「私がいなくなっても、診療の資格を持つ人がここにいます。だから、ここで働く人たちまで連れていかないでください」

隊長は答えなかった。

だが、捜索を命じる手は最後まで上がらなかった。

馬の蹄が遠ざかると、リゼがセレナの手を握った。

「助かったんですよね?」

「今は、ね」

セレナは首を横に振った。

「次は逃げ道がないかもしれない。だから診療所の仕事を、私がいなくても続けられるようにしましょう」

ガレスが頷いた。

「診療の責任は俺が持つ。受付はリゼとミナ。水と石鹸はダンたちに任せろ」

「帳面の鍵は?」

「患者の記録は俺が預かる。必要な分だけ、担当者が見る」

「明日の薬は?」

「今夜のうちに、在庫を数え直す」

ガレスは一つずつ答えた。

セレナはようやく、町に残していくものが自分の手だけではないと分かった。

「……ありがとうございます」

王宮では、地位を失った瞬間に誰も味方してくれなかった。

今は違う。

けれど、その信頼を盾に人々を危険へ巻き込むわけにはいかなかった。

騎士たちが去ったあと、広場に残った人々は、すぐには帰らなかった。

「明日、先生がいなくなったら、うちの子の薬はどうなる」

そう尋ねたのは、さっき帳面を守った老人だった。

誰も答えられずにいると、ガレスが薬棚の前へ歩み寄った。

「処方の変更は俺が判断する。足りない薬は隣町へ照会する。セレナが残した手順を使う」

「手順書だけで、人を救えるのか」

「手順書だけじゃ救えない。だから俺たちがいる」

ガレスは、棚の奥から使い込まれた診療記録を一冊取り出した。

セレナが来る前、ベルナで病人が出れば、家族は何をすればいいか分からず、診療所へ走り込むしかなかった。

今は手洗いの場所も、発熱した人を待たせる部屋も、薬を渡した記録もある。

ダンが石鹸箱を抱えたまま言った。

「先生が教えてくれたのは、先生がいなくても続けられるやり方だろ」

リゼは小さく頷き、翌朝の当番表を書き直した。

誰かの名前を消す代わりに、空いた仕事を三人で分けた。

セレナはその光景を見つめていた。

守られているのは自分だけではない。

町の人々は、ようやく手に入れた暮らしを守ろうとしているのだ。

「明日、私がここにいなくても」

言いかけると、老人が遮った。

「先生がいなくても、ではない。先生が帰ってきても困らないように、ここを続けるんだ」

セレナは返事をしようとして、しばらく声が出なかった。


夜更け、診療所の戸を叩く音がした。

十四歳ほどの少年が、泥だらけの靴で立っていた。

修道院の使い走りをしているという。

握りしめた布には、王宮医療院の印が縫い取られている。

「北の古い修道院で働いています。王都から来た馬車に、女の子が乗っていました」

セレナの胸が跳ねた。

「何歳くらい?」

「十二歳くらいです。熱があるみたいで……『セレナ先生に会いたい』って」

「名前は聞いた?」

「シーラ、と。けど、確かじゃありません。修道院の人は近づくなって」

少年の手は震えていた。

「その子を見たあと、修道院に王宮の騎士が来たんです。修道院の者に頼まれて、町の行政官へ知らせに来ました」

セレナはすぐに立ち上がりかけ、止まった。

証言だけで本人とは断定できない。

何より、修道院へ押しかければ少女が隠される恐れもある。

「オルドさんに知らせましょう。修道院に正式な安否確認を頼める人を探します」

「今すぐ行かないんですか?」とリゼ。

「行きたい。でも、あの子を危険にさらすような行き方はしたくないの」

少年から道順と見た時刻を聞き、布を包んで保管した。

セレナはノートに『本人未確認』と記した。


翌朝、夜明け前。

窓の外で馬が嘶いた。

前日の騎士たちとは違う、黒い外套の一隊が診療所を囲んでいた。

「セレナ・アルヴェイン!」

先頭の男が、王太子の代理執行印を押した書類を掲げる。

「王宮からの早馬が命令書を運んだ。昨日の書類とは違い、発令番号と移送先を記したものだ」

「騎士隊長ヴァージだ。正式な身柄移送命令を持参した」

オルドも駆けつけ、書類を確認した。

今度は発令番号も、王都の審問所という移送先も記されていた。

「……形式上の不備はありません」とオルド。

リゼがセレナの袖をつかんだ。

「先生……!」

「争わないで。皆の仕事を続けて」

セレナは研究ノートの一冊をリゼに託し、残る二冊を鞄に収めた。

修道院の情報はオルドにも写しを渡した。

「少女の安否を調べてください。私が戻れなくても」

ヴァージは手錠を差し出した。

「命令書に記された王都の審問所へ移送する。抵抗するな」

セレナは両手を差し出した。

鉄が閉じる音がした。

馬車がまだ暗い街道を走り始める。

しかし、王都は北にある。

馬車が向かったのは、国境へ続く南の森だった。

「……隊長。審問所へ行くのでは?」

ヴァージは答えなかった。

ただ、右腕の包帯を押さえ、ひどく苦しそうに息を吐いた。

セレナはその顔色を見て、胸騒ぎを覚えた。

敵であっても、患者を見捨てることはできない。

そしてこの朝、その信念が彼女自身の運命を変えることになる。

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