第七十九話 国王が息子を裁くと決めた
老国王は、息子の罪状が並ぶ書類を前に長く黙っていた。
側近は「王家の恥を公にすべきではない」と言った。
王は答えた。
「隠した恥は、国民の命を奪った」
自分が息子を止められなかったことも、裁きの対象から外せないと考えていた。
彼は王子の行政権限停止を命じ、独立した選任委員会による審問官の選任を求めた。
署名の直前、王は筆を置いた。
「父親としては、まだ息子を愛している」
誰も否定しなかった。
「だからこそ、私が判決を決めてはならぬ」
彼は公開の手続きと弁護の機会を保障するよう書き加えた。
憎しみで裁くことも、愛情で赦すことも許されない。
シーラは王都へ向かう馬車で、何度も証言の順番を確かめた。
母親は「無理なら帰ろう」と言った。
少女は頷いたが、書きかけの言葉を折り畳まなかった。
セレナは彼女に、分からないことは分からないと答えてよいと伝えた。
誰かを罰するために、覚えていないことまで話す必要はない。
王都の門が見えたとき、シーラは窓から顔を出した。
かつて自分の死が決められた町へ、生きたまま戻ってきた。
怖さは消えなかった。
それでも彼女は母親の手を握り、「私の名前を、自分の声で言いたい」と呟いた。
老国王は裁判開始を認める告示に署名しようとして、筆を止めた。
「息子だから裁けない、と言われるだろうな」
書記官は返事をしなかった。
王は筆を置き、独立審問の裁判官を自分では選ばないと告げた。
血縁を断ち切る宣言より、権力を手放す手続きのほうが重かった。
国王は息子の肖像を伏せ、法務官に命じた。
「王子だから裁かないのではない。王子だからこそ、誰が裁くかを明らかにせよ」
署名する手は震えたが、印は最後まで押し切った。
国王は署名する前に、机上の死亡者名簿を閉じた。
「息子を裁くのか」
と問われても、彼は即答しなかった。
父親としての感情と、国王としての責任が同じ方向を向くとは限らない。
セレナは判決を求めるためではなく、治療を妨げる命令を止めるために来ていた。
国王はようやく、軍の医療通行を妨げない布告に署名した。
東部臨時議会。
マルクは、老国王の勅書を読み上げた。
「王族であっても法の外には置かれない」
マルクは、都市代表として独立選任委員会への候補推薦に加わった。
その結果、地方都市と王都の代表が初めて同席した。
王宮近衛隊。
近衛隊長は、王子から市民への発砲を命じられた。
「その命令には従えません」
近衛隊長は、部下を率いて市民の退路を確保した。
その結果、王宮前の流血は避けられた。
国境医療会議。
セレナは、自分を裁判の象徴にしようとする声を聞いた。
「私一人の名誉回復で終わらせないでください」
セレナは、医療記録保全と患者の権利を改革案に加えた。
その結果、王国の医師団が共同提案者になった。
王都の門。
シーラは、審問へ向かう道で子供たちに声をかけられた。
「怖いけれど、私の言葉で話します」
シーラは、母親と共に王都へ入った。
その結果、かつての被害者が今度は証人として帰還した。
国王は独立した選任委員会に対し、王家との利害関係を調べたうえで審問官を選ぶよう求めた。
忠誠を誓う家臣ばかりでは、公平な裁きと認められない。
側近は反発したが、国王は譲らなかった。
「息子に弁明の機会を与えよ。被害者の声も、手続きに従って聞いてほしい」
自分の過ちを隠さず調べることが、王として残された責任だった。
シーラは証言の練習を途中で止めた。
「全部覚えていない」
セレナは紙を閉じた。
「覚えていることだけでいい」
少女は長く息を吐き、窓の外を見た。
王都へ続く道には、薬を積んだ荷車が走っている。
彼女は自分が救われた日のことを思い出した。
怖い記憶だけではない。
セレナの手の温かさも、そこにあった。
審問の準備会議で、法務官は国王に二つの文書を示した。
一つは王子の権限停止命令。
もう一つは国王自身が過去に認めた医療費削減の一覧だった。
王は後者を脇へよけようとして、手を止めた。
「これも同じ机に置け」
側近が息をのむ。
「陛下が証人になれば、王権そのものが傷つきます」
王は答えた。
「すでに傷ついている。隠しても治らぬ」
王子の弁護人が誰になるかも問題だった。
誰も引き受けなければ、審理は報復と見なされる。
国王は反対を押し切り、弁護のための記録閲覧を認めた。
ただし証人の住所は伏せる。
王子を憎む群衆から被害者を守り、王子を守るために事実を隠さない。
二つを両立させる細かな規則を、王は一つずつ確かめた。
その夜、王子の側近だった老臣が辞表を持参した。
「私は殿下を止められませんでした」
王は受け取らず、まず知っている事実を審問官に提出するよう求めた。
「辞めれば責任が消えると思うな」
老臣は涙をこらえて頷いた。
王自身も、同じ問いから逃げられない。
会議が終わると、侍医が休息を勧めた。
王は窓の下に集まる人々を見た。
怒号の中には息子を失った父親の声もある。
「私は父親として泣く時間を、まだ持てるだろうか」
侍医は答えなかった。
王は机に戻り、公開審問の告示に署名した。
審問の準備が進むなか、国王は自分が出した過去の命令も調べさせた。
息子の権限を広げたのは誰か。
異議を申し立てた家臣の声を聞かなかったのは誰か。
答えの一部は自分に返ってくる。
王は書類を閉じ、窓の外を見た。
息子を裁くだけでは王国は変わらない。
次に同じ過ちが起きないよう、権力を監視する仕組みも必要だった。
審問官の一人は、王の署名がある文書を二度読み直した。
そこには息子を守る特例がなかった。
彼はようやく、王国がこれから何を問われるのかを理解した。
裁くべきなのは一人の王子だけではなかった。
裁判の日取りを決める席で、ある大臣が王家の体面を理由に非公開を求めた。
国王は証人の安全に関わる部分の非公開を裁判所に求め、審理の結果を公表する制度を整えるよう法務官に指示した。
「隠すことと守ることを混同するな」
セレナの名が記された古い処分書も、改竄の有無を調べるため法務官へ渡された。




