第六十五話 隠された死亡者名簿
王国の公表した死亡数と実際の埋葬数には大きな隔たりがあった。
数字の裏側。
埋葬記録の数字は、王都の発表より多かった。
だがセレナは、すぐに「隠された死者」
と断定することを止めた。
同じ人が村ごとに記録されている場合もあれば、行方不明者を死亡と扱った例もある。
記録係は机を三つに分け、確認済み、重複の疑い、所在不明の札を置いた。
「数を大きく見せれば、今度はこちらが嘘をつくことになる」
名前のない墓の前で、母親が一枚の布を差し出した。
「息子はこの色の襟を着ていました」
墓を開くことはできない。
セレナは埋葬時の持ち物の記録を探し、布の特徴と照合した。
確定はできなかったが、可能性のある墓の場所を母親に伝えた。
母親は泣き崩れず、長い間その土を見つめていた。
消せない名前。
元院長は、死亡者名簿の修正欄に自分の署名を見つけた。
上から命じられたとはいえ、訂正前の人数を確認せず印を押したのは自分だった。
「私は知らなかったと言いたい。だが、確かめようとしなかった」
ユリウスは責任を曖昧にしなかった。
「だからこそ、いつ誰が何を変えたかを証言してください」
公表する報告書には、亡くなった人の氏名を無断で載せなかった。
家族への連絡が先だったからだ。
セレナは名簿の最後に空欄を残した。
未確認の人がいる限り、完成した資料とは呼べない。
その空欄を見た若い記録係が尋ねる。
「いつ埋まりますか」
「分からない。でも、消してはいけない」
埋葬人は名簿の端を指で押さえた。
「この三人は同じ人です。村が違うから別々に書かれた」
一方、公表された死者数には名のない墓が含まれていない。
セレナは数字を足す前に、日付と居住地を確かめるよう求めた。
死者を少なく見せる嘘も、多く見せる誤りも、残された家族を傷つける。
朝の鐘が鳴るより早く、仕事は始まっていた。
書庫の床に並べた名簿は、地区ごとに紙の色も記載方法も違っていた。
ユリウスは同じ人が二度数えられていないか、死亡日と住所を照合した。
帳面には同じ日付が不自然なほど並んでいた。
ユリウスは消された患者番号を透かし、別紙の配給記録と突き合わせた。
「亡くなった人だけじゃない。生きている家族まで消されている」
彼は写しを二部作り、別々の使者に預けた。
名簿の余白には、名前の分からない死者が何人もいた。
シーラは空欄を見つめ、鉛筆を置いた。
「名前が分からない人は、いなかったことになるの?」
セレナは答えに詰まった。
そこで記録係に、発見場所と身につけていた物だけでも残すよう頼む。
数が合うことより、いつか家族が探しに来たとき、たどり着けることを優先した。
国境資料室。
シーラは、焼却を免れた帳簿の筆跡を調べた。
「この数字、同じ人が何度も書き換えています」
シーラは、元の記載を光に透かして読み取った。
その結果、死者の数が公表値の数倍に上ると分かった。
共同墓地。
リゼは、家族を探す人々のために墓標を調べた。
「名前のない墓でも、誰かの大切な人です」
リゼは、埋葬日と衣服の特徴を記録した。
その結果、一人の母親が息子の居場所を知った。
帝国会議室。
セレナは、資料を政治宣伝に使おうとする議員を止めた。
「数字を武器にした瞬間、亡くなった人をもう一度利用します」
セレナは、出典と確認できない部分を明記した報告書にした。
その結果、記録の信頼性を認める声が増えた。
王都地下書庫。
元院長は、過去の改竄記録を前に震えた。
「私が黙ったから、こんなことになった」
元院長は、秘密の写しを帝国へ送る決心をした。
その結果、封筒にはセレナの名が書かれた。
名簿には死亡日だけでなく、消された患者の住所が残っていた。
元院長は指先で一つの村の名をなぞった。
「ここには生存者がいたはずだ」
記録係は訂正前の写しを別箱に保管していたが、持ち出せば家族が危険にさらされる。
二人は原本を隠し場所に残し、写しの作成日時と封印番号を別紙に記した。
セレナに届いたのは名簿そのものではなく、検証できる形で保存された証拠だった。
彼女は犠牲者の数より先に、名を失った人々の家族へ知らせる方法を考えた。
朝の鐘が鳴るより早く、仕事は始まっていた。
帳簿の空欄は、書くべき人がいなかった証拠ではない。
聞き取りを担当する者の名を決め、欠けた記録を追うことにした。
名簿の照合を始めた若い記録係は、似た名前を見つけるたび顔を曇らせた。
同姓同名の人もいれば、村の読み方が違うだけの人もいる。
誤って一人にまとめれば、別の家族の手掛かりが消える。
ユリウスは曖昧な記録に印を付け、決して消さないよう伝えた。
「分からないことは、分からないまま残すんだ」
夕方、遺族の一人が記録室を訪れた。
彼は死亡者数を知りたいのではなく、妻が最後にどこにいたかを知りたかった。
セレナは確認できた診療所の名を伝え、当時の看護人への聞き取りを約束した。
男は何度も礼を言ったが、表情は変わらなかった。
誰かの死を記録することは、数字を揃える仕事ではない。
残された者が、その人の人生を見失わないようにする仕事でもあった。
記録室の窓から夕日が差し込み、机に積まれた名簿の影を長く伸ばした。
若い記録係は、自分の書いた数字を何度も数え直した。
セレナは「今日の分はここまでにしましょう」と声をかけた。
疲れた手で続ければ、別の人の名を間違える。
翌朝には遺族への聞き取りが待っている。
正確な記録には休む時間も必要だった。
記録係は筆を置き、空欄を残したまま帳簿を閉じた。
名簿を探しに来た父親は、娘の名がまだ見つからないと聞いて肩を落とした。
セレナは希望だけを語らず、確認できた最後の場所と次に調べる場所を示した。
男は紙を握り、「待っています」と答えた。
待つ人に必要なのは、根拠のない安心ではなく、探す手を止めないという約束だった。
記録係の少女が、同じ名前の男を二人見つけた。
一人は埋葬簿に、もう一人は避難所の食料台帳にいる。
周囲は「生存が確認できた」
と喜んだが、少女は年齢が十歳違うことに気づいた。
セレナは二人を同一人物として扱わず、出身村と家族の名を照合するよう指示した。
夕方、埋葬された男の妻が訪れた。
「生きていると聞いたのに」
セレナは誤った希望を与えたことを詫び、確認できた事実だけを伝えた。
少女は台帳に赤い線を引かず、訂正理由と確認者の名を添えた。
名簿に死亡と書かれた老人は、配給所で自分の札を出しても食料を受け取れなかった。
リゼは新しい札を渡す前に、旧い番号と受領記録を写した。
「間違いを直すだけなら簡単です。でも、誰がこの欄を消したのかを残さないと、また起きます」
老人は怒りをこらえ、「次に来る人は、私ほど歩けないかもしれない」と言った。
訂正窓口に来た少女は、父親の名が二度消されたと訴えた。
一度目は死亡者の一覧から、二度目は生存者の配給簿から。
担当者は「記録上、確認できません」
と言いかけ、言葉を飲んだ。
ユリウスは少女の持つ古い診察券を受け取り、番号を照合した。
まだ生死は分からない。
だからこそ調査番号を発行し、次に問い合わせる日時を約束した。
少女は紙を胸にしまった。
「見つからなくても、また来ていい?」
「何度でも。ただし、同じ話を最初からさせないようにします」
窓口の帳面には、その日の聞き取り内容が残された。




