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王子に追放された天才治癒師、隣国で病院を建てたら英雄になりました  作者: レモンティー


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第六十四話 焼かれるはずだった麦畑

王子は避難民の帰還を阻むため、東部の食料倉庫を焼くよう命じた。

倉庫の鍵。

穀物倉庫の扉には王国軍の封印が貼られていた。

村長は鍵を握っていたが、命令を受けた兵に渡せば焼かれると知っていた。

「中には今年の麦だけでなく、来春の種があります」

兵の指揮官は火をつける時刻を告げた。

村長は反論する代わりに、倉庫の帳簿を開いた。

麦の袋には所有者の名があり、村の共同分と病院への供出分も分けられていた。

すべてを軍の食料と呼ぶには、あまりに多くの人の暮らしが書かれていた。

若い兵士が松明を持ったまま立ち尽くす。

自分の家の畑も、隣村にある。

上官が怒鳴ると、彼は震える声で言った。

「敵に渡さないために焼くなら、ここにいる子供も敵ですか」

元王国兵がその腕を下げさせた。

火は消えたが、命令を破った者への処罰は消えない。

村長は兵の名を帳簿に残し、彼らを守る証言をすると約束した。

収穫の行方。

リゼは麦を救えたことだけで安心しなかった。

倉庫を守っても、輸送路が閉ざされれば町は飢える。

彼女は村人に尋ねた。

「誰が刈り、誰が挽き、誰が運びますか」

農夫は畑を、製粉職人は水車を、荷車を持つ商人は街道を指した。

失われたのは麦ではなく、働く人々のつながりだった。

アーデリアは帝国軍に倉庫の接収を禁じた。

代わりに村人代表と避難民代表が鍵を一本ずつ預かり、出庫のたび双方の印を押す。

配給の最初の袋は病院へ送られた。

残りを前に農夫が言った。

「種だけは残してくれ」

リゼは袋に赤い糸を結び、来春まで開かない印にした。

麦畑の縁で農夫が土を握りしめた。

「火をつけられたら、来年の種もありません」

軍の命令は倉庫の焼却だけを指していたが、風下には乾いた畑が続いている。

セレナは避難の指示を出す一方、農夫たちに種麦を小分けにして運ぶよう提案した。

目先の火を消すだけでは、冬を越した先の飢えを防げない。

焼却命令の油壺を持った兵士の前で、老農夫が膝をついた。

「この畑を焼けば、来月は誰を敵にしても腹が満たせない」

兵士は松明を土に押し付けた。

命令違反の証拠になる黒い跡だけが残った。

焼けた穀物の匂いが、避難所の炊事場まで流れてきた。

倉庫を焼く命令には、敵に食料を渡さないという理屈があった。

しかし焼け残った袋を数えた農夫は、冬を越す種まで失ったことに気づく。

セレナは薬の輸送隊に空の荷車を戻させ、食料を運ぶ経路を調べた。

治療の後に飢えが待つなら、救命はそこで終わらない。

帝国作戦室。

ガレスは、押収した命令書の真偽を疑った。

「こんな命令を信じたくない。だから印章を調べる」

ガレスは、封蝋と伝令経路を照合した。

その結果、王都発の正式命令だと確認された。

東部農村。

ユリウスは、倉庫に取り残された人々を避難させた。

「麦より先に、ここで働く人を出してください」

ユリウスは、村長と火の見張りを組織した。

その結果、老いた製粉職人も荷車に乗った。

穀物倉庫。

元王国兵は、放火を命じられた兵士を説得した。

「火をつければ、お前の母親も飢える」

元王国兵は、松明を水桶に沈めた。

その結果、倉庫は焼失を免れた。

帝国国境会議。

アーデリアは、奪った食料だと非難されることを恐れた。

「これは戦利品ではありません。持ち主へ返す食料です」

アーデリアは、保管記録を公開し、難民の共同管理にした。

その結果、避難民代表が初めて議事に加わった。

麦畑に火をつける兵を止めたのは、地主の老人だった。

「この畑は私だけのものじゃない。来年の種まで焼くのか」

兵は上官の命令を示したが、村人たちは収穫前の穂を守ろうと畦に立った。

リゼは畑を奪うのではなく、所有者と収穫見込みを記録して保全する案を出した。

アーデリアは帝国の兵に麦を持ち帰らせず、村人代表を交えた管理を命じる。

燃え残った穂の数は少なかった。

それでも翌春の種を残せたことが、村人には何より大きかった。

収穫の相談が始まると、村人の間でも争いが起きた。

畑を持つ者は所有権を主張し、逃げてきた者は明日の食料を求めた。

リゼは二者を同じ机に座らせ、麦をすぐ食べる分、病院へ送る分、種として残す分に分けて計算した。

足りない分は帝国の備蓄から補い、収穫後の返済は現物ではなく労働でも認めることにした。

村長は「約束が守られる保証はあるのか」と尋ねた。

アーデリアは帳簿に自分の署名をした。

「保証は、この記録と監督する人々です」

難民代表も署名した。

倉庫の扉に新しい封印が貼られたとき、誰かが拍手をしかけたが、村長は静かに首を振った。

「麦はまだ畑にある。喜ぶのは刈り終えてからだ」

翌朝、村人と避難民は同じ畦に並んだ。

製粉所の水車は長く止まっていた。

職人が歯車を点検すると、木の軸が傷んでいる。

倉庫の麦を守っただけではパンにはならない。

村の若者が修理用の木材を探し、避難民の大工が道具を貸した。

昼過ぎ、水車が一度だけ大きく回る。

村長はその音を聞いて目を閉じた。

畑を守るとは、穂を残すだけでなく、収穫を食卓へ届ける道を取り戻すことだった。

村人は刈り取った麦を量り、袋の口を結び直した。

収穫を手伝った避難民にも食事が配られると、最初は反対していた農夫が椀を差し出した。

「働いた分だ。遠慮するな」

言葉はぶっきらぼうだったが、避難民は深く頭を下げた。

畑を守った日の約束が、初めて食卓に届いた。

麦畑の持ち主は、焼却命令の撤回を聞いても喜ばなかった。

「今夜守れても、明日また命令が来る」

セレナは穂を一本摘み、まだ実が熟していないことを示した。

収穫できるまでの見張りと、病害が見つかった場合の隔離方法を村長と決める。

ガレスは兵を畑の入口に置いたが、火を放つためではない。

勝手な焼却を防ぐためだった。

翌朝、村長は出庫帳の端に小さな印を見つけた。

病院用に確保した袋が、前夜に二つ減っていた。

「誰かが盗んだ」

と叫ぶ者もいたが、リゼは印の筆跡を確かめた。

避難してきた母子へ、見張りが独断で渡していたのだ。

母親は返すと言った。

リゼは首を振り、配給の対象に避難民が含まれていなかったことを認めた。

「必要な人に届いたのは間違いではありません。でも記録なしで渡せば、次に足りなくなる」

村長は避難民の代表にも出庫帳を見せることを決めた。

畑の見張りを引き受けた農夫は、火を持った兵よりも霜を恐れていた。

「焼かれなくても、収穫前に枯れたら同じだ」

セレナは村長と収穫までの日数を確認し、ガレスは兵を農作業の邪魔にならない畦道へ下げた。

病害が出た区画だけを調べる手順を決めると、農夫は初めて鍬を握り直した。

守るとは、燃やさないだけでは足りなかった。

種麦を守った村では、冬を越すための計算が始まった。

村長は倉庫の鍵を机に置き、避難民の代表にも帳簿を開いた。

「今年の食料を全部配れば、来春は誰も種を蒔けない」

代表の女は黙って頷き、自分たちが手伝える仕事を尋ねた。

畑の排水溝を掘り直すこと、袋の傷みを調べること、病人に粥を届けること。

仕事を割り振るうち、村の若者が口を開いた。

「働けない人の分は?」

村長は帳簿の最後に新しい欄を作った。

『働けない者への配給』。

誰かの労働を条件にしない欄が、いちばん先に埋まった。

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