第五十三話 王子は、まだ謝らなかった
レオニス王子は、審問会場に入るなり証人席を見渡した。
「余を裁くつもりか。王位継承者である余を」
監督官は立ち上がらなかった。
「本日は南門閉鎖命令と死亡記録の訂正について、事実関係を確認します。身分ではなく、記録に基づいてお答えください」
王子は鼻で笑った。
だが、卓上の書類に自分の署名を見つけると、その笑みが薄れた。
最初に提出されたのは、医療院長オルフェンが保管していた命令書だった。
南門の通行制限、患者の移送、対外発表の停止。
そこには王子の印章が押されていた。
「これは王都の秩序を守るための措置だ」
「病人を門外に出した理由は」
「感染を広げぬためだ」
「では、門外に診療所を設ける指示はどこにありますか」
王子は答えなかった。
ユリウスが続けた。
「患者の移送記録は残っています。受け入れ先の記録はありません。命令が届いた現場では、治療を継続する手段がなかったのです」
「現場の不手際を余に押しつけるな」
「だからこそ、命令の範囲を確かめています」
ユリウスの声は静かだった。
怒鳴れば、王子は感情の問題にすり替えるだろう。
彼は質問を記録に残すことを選んだ。
王子の側近が、印章は他人にも使えたと主張した。
審問官は印章の管理簿を取り寄せ、命令が作成された日の当直者を確認するよう命じた。
署名があるだけで全ての罪が確定するわけではない。
だからこそ、誰がいつ何を命じたかを積み上げていく。
次にオルフェンが証言台に立った。
「私には、命令を止める機会がありました」
「院長、お前は余に忠誠を誓ったはずだ」
「誓いました。ですが医師として患者にも責任がありました」
オルフェンは王子の顔を見なかった。
「命令書に署名したのは殿下です。しかし、患者の記録を伏せたのは私です。そこまで殿下のせいにはできません」
責任を分けて認める証言に、会場の空気が変わった。
誰か一人を悪人にすれば終わる話ではないと、初めて見える形になった。
傍聴席の男が立ち上がった。
南門で妻を亡くした父親だった。
「謝れとは言わない。妻の名前を呼んでくれ」
衛兵が近づく。
男は抵抗せず、折り畳んだ紙を差し出した。
「死者数には入っていない。だけど確かに生きていた」
レオニスは紙を見なかった。
「審問に感情を持ち込むな」
男の膝が崩れた。
セレナは席を立ち、付き添いの職員に水を頼んだ。
慰めの言葉が見つからないまま、紙に書かれた名を読んだ。
「マリア・フェルン」
男は顔を覆った。
「……そうだ。妻の名前だ」
控室でユリウスは拳を握っていた。
「あの人は、まだ患者を数としてしか見ていません」
セレナは頷いた。
「でも、怒りだけでは記録は戻らない」
二人は翌日に必要な証人の名を確認し、話せる者から順に安全を確保する手順を決めた。
休廷後、セレナにも証言が求められた。
追放の経緯、取り上げられた診療記録、シーラの治療。
彼女は確認できる事実と、推測を明確に分けた。
「殿下を憎んでいますか」
王子側の代理人が尋ねる。
「その質問は、記録の真偽を変えますか」
審問官が制した。
セレナは一度息を整えた。
「私の感情がどうであっても、患者の記録は改竄してはいけません」
審問の終わり、レオニスはなお謝罪を拒んだ。
監督官は淡々と告げた。
審問の途中、遺族席から一人の老人が立ち上がった。
監督官が制止するより先に、老人は王子へ向かって深く頭を下げた。
「殿下。息子が死んだ日を教えてください」
レオニスは眉をひそめた。
「記録係に尋ねよ」
「その記録には、死んでいないと書いてあるのです」
老人の手には、医療院の入院札と、埋葬許可書の写しがあった。
日付が一致しない。
家族は葬儀を行えず、遺品を受け取る手続きさえ止まっていた。
監督官は老人に着席を求め、書類を正式な追加資料として受け取った。
怒りの声を事実の確認へ変えるためだった。
「殿下。南門閉鎖を決めた会議の出席者を確認します」
「疫病を防ぐための措置だった」
「目的ではなく、出席者です」
王子はしばらく黙り、三人の名を挙げた。
その一人は既に別の供述で、会議の途中に退席したと記していた。
セレナは息をのんだ。
矛盾はあった。
だが、矛盾だけで王子が死亡記録の改竄を命じたと証明できるわけではない。
休憩時間、王子の側近が彼女に近づいた。
「今ここで殿下を追い詰めれば、救援予算が止まるかもしれません」
脅しとも忠告とも取れる声だった。
「救援予算と証言は別のものです」
「政治はそう簡単ではない」
「医療も簡単ではありません。だから、患者の記録を都合で変えないのです」
再開後、監督官は会議の原簿と命令伝達簿を提出するよう王宮へ命じた。
王子は「保管場所を調べる」
とだけ答えた。
老人は傍聴席に座ったまま、息子の入院札を撫でていた。
セレナは謝罪が欲しいのではなく、息子が生きていた最後の日を知りたいのだと気づいた。
閉会後、レオニスは控室で側近に命じた。
「あの老人の書類を調べろ」
側近は青ざめた。
「処分なさるのですか」
王子は答えなかった。
自分の言葉がどう受け取られるか、初めて意識したのかもしれない。
一方、老人は廊下でユリウスに呼び止められた。
入院札の番号から、息子が最後に診察を受けた病室が判明したという。
「生きていた日付は、まだ分かりません。ただ、ここまでは確かめられました」
老人は何度も礼を言った。
ユリウスは礼を受け取ることが苦しかった。
記録が消されるのを防げなかった医療院の一員だったからだ。
それでも、いま確かめられた一行を、次の一行へつなぐしかなかった。
会場を出たレオニスは、窓の外に集まる人々を見た。
かつてなら護衛に追い払わせた群衆だった。
だが今日は、一人ひとりが誰かの名を掲げていた。
王子は視線を逸らした。
謝罪の言葉は、まだ出なかった。
審問が終わる前、遺族席の老女が立ち上がった。
係官は制止しかけたが、監督官は発言を一度だけ許した。
「息子の名前は、まだ死亡台帳にありません。あの子がいたと認めてください」
レオニスは老女を見なかった。
「調査中の案件に、個人的な感情を持ち込むな」
「個人的な感情ですか」
老女は震える手で息子の作業帽を抱いた。
「私は謝ってほしいと頼んでいるのではありません。あの子がいつ、どこで亡くなったのか、教えてほしいのです」
監督官は記録係に告げた。
「死亡記録の照合対象として登録してください」
老女は初めて椅子に座った。
王子の言葉ではなく、その一行を聞くために来たのだった。
「謝罪の有無は記録します。ただし、事実認定は謝罪を条件としません」
王子の沈黙の向こうで、記録係の筆だけが動いた。




