第五十二話 シーラは証言台に立った
非公開の共同審問で証言する席まで、シーラには十二歩あった。
控室で数えたときは簡単だったのに、扉の向こうに大勢の視線があると思うと、足が動かない。
「今日はやめてもいいのよ」
セレナが言うと、少女は首を振った。
「やめたら、また私が死んだことになっちゃう?」
「ならない。あなたが生きている事実は、誰の証言がなくても変わらない」
それを聞いて、シーラは初めて椅子から立った。
この審問は王国と帝国の共同監督による事実調査で、後に行われる刑事裁判とは別の手続きだった。
証人の安全のため入場者も制限されていた。
王都の洗濯場を離れて消息が途絶えていた母親は、移転先を知る元同僚への照会から居場所が分かった。
共同監督官が身元を確かめ、安全な場所で母娘の再会を手配したのは、この審問の数日前だった。
再会したばかりの母親は控室に残り、娘が証言の途中でも退席できることを何度も確認した。
審問官は死亡診断書の写しを掲げた。
「ここにある名前を読めますか」
「シーラ。私の名前です」
「日付は」
少女は声を詰まらせた。
その日は、自分が治療を受けていた日だった。
痛みと熱と、セレナが水を飲ませてくれたことを覚えている。
「私は、その日に生きていました」
ざわめきが広がる。
審問官は傍聴人を制した。
続いて王宮の洗濯係だった老女が、夜間搬送の札と当時の帳簿を提出した。
書類はすぐ証拠と断定されず、記載の日時、印、保管経路を一つずつ確認された。
「この子を守るつもりで、黙っていました」
老女は震える声で言った。
「でも、黙ったことで別の人が罪を着せられました。私も責任を負います」
セレナは老女を見つめた。
善意であっても、沈黙の結果が消えるわけではない。
それでも今、真実を語る勇気まで否定したくなかった。
審問官は少女が疲れた様子を見て休憩を提案した。
シーラは一度母親のもとへ戻り、温かい茶を飲んだ。
セレナは質問を先回りして答えを教えなかった。
証言を整えるために少女の記憶を塗り替えてはならないからだ。
傍聴席から「偽物だ」
という声が上がった。
シーラの肩が跳ねる。
審問官は発言者を退場させ、少女に続行の意思を尋ねた。
「……一つ、話してもいいですか」
シーラは袖をめくった。
治療の際に残った傷痕があった。
「これを見せたら、本物だって分かりますか」
「傷を見せる義務はありません」
セレナは思わず立ちかけたが、審問官が先に答えた。
「あなたの身元は、母親の証言と複数の記録で確認します。あなた一人に証明を背負わせません」
シーラは袖を戻した。
「じゃあ、傷じゃなくて、覚えていることを話します」
王宮の廊下の冷たさ。
夜に運ばれた荷車の揺れ。
知らない場所で名前を呼ばれなくなった恐怖。
少女は時々言葉を探しながら、自分の速度で話した。
老女の搬送札には、印の欠けた箇所があった。
監督官は同じ夜の門番の記録と照合し、札だけでは断定できないことも明記した。
証拠を丁寧に扱うことは、シーラを疑うことではない。
誰かに二度と真実を奪わせないための手順だった。
最初の証言を終え、追加の質問に移る前、記録官はシーラに水を差し出した。
少女の指は杯の縁で震え、少しこぼれた水が袖を濡らした。
「覚えていないことは、覚えていないと答えてください」
監督官が言うと、シーラは不思議そうに顔を上げた。
これまで大人たちは、何を見たのかより、何を言うべきかを教えようとしていた。
追加の質問は、病室の窓の位置だった。
次に薬の匂い、夜に聞こえた足音。
少女は答えられるところだけを答えた。
誰が命令したのかと問われたときは、首を振った。
「声は聞こえました。でも、顔は見ていません」
傍聴席の奥から落胆の息が漏れた。
セレナはその音が少女を傷つけるのではないかと胸を締めつけられた。
「では、あなたは自分が死んだと書かれたことを、いつ知りましたか」
シーラは母の手紙を見た日のことを話した。
名前の横に死亡と記された紙を見て、最初は同じ名前の別人だと思ったという。
「お母さんは、私のことを探していました。私も、お母さんを探していました。でも、紙の上では探しても会えないことになっていたんです」
記録官の筆が止まりかけた。
監督官は短い休憩を宣言した。
控室で少女はセレナに尋ねた。
「泣いたら、嘘だと思われますか」
「泣いても、泣かなくても、あなたの見たものは変わらないわ」
午後の再開後、代理人は証言の時刻の曖昧さを指摘した。
シーラは迷った末に答えた。
「鐘の数は覚えていません。でも、廊下の灯りが消えた後です」
監督官は時刻を推定と記し、当夜の灯火記録との照合を命じた。
控室の外には、証言を待つ別の子供たちがいた。
彼らはシーラを見つめたが、声をかけられなかった。
少女は自分も同じように、他人の話を聞くのが怖かったことを思い出した。
「私が言ったこと、全部信じてもらえたかな」
セレナは答えを急がなかった。
「あなたの言葉は記録された。でも、調べるべきことは残っているわ」
シーラはしばらく考え、「じゃあ、調べてくださいって言えたのが大事なんだね」と言った。
審問が終わると、母親が両腕を広げた。
シーラはゆっくりその胸に飛び込んだ。
「先生、私、ちゃんと話せた?」
「ええ。覚えていることを、自分の言葉で話せたわ」
セレナは、記録の訂正には別の手続きが必要だと説明した。
審問の記録が封じられる前、監督官は少女に一度だけ確認した。
「訂正したい言葉はありますか」
シーラは考えてから、「怖かった、と書いてください」
と頼んだ。
記録官は証言の末尾に、その言葉をそのまま記した。
温かな手が、控室へ戻ったシーラの肩に触れた。
母親だった。
「立派だったわ」
と言いかけて、母は言葉を変えた。
「怖かったのに、帰ってきてくれてありがとう」
「途中で、逃げたかった」
「逃げてもよかったのよ」
シーラは母の袖を握った。
証言の中で一度も口にできなかったことがあった。
死亡診断書に自分の名前が載っていた夜、誰も自分を探してくれないのではないかと、本気で思ったことだ。
「もう、いなくなったことにしないで」
「しない。明日の朝も、あなたの名前を呼ぶわ」
その約束は、審問官のどんな言葉よりも少女を安心させた。
シーラは涙を拭き、小さく笑った。
審問記録の最後には、灯火記録と病室の当直簿を照合する追加調査が記された。
この日の審問は事実確認のための非公開手続きであり、後日の公開裁判で改めて証言を求めるかは少女の意思と安全を踏まえて決めることになった。
真実は一日の拍手で完成しない。
それでも、十二歩を歩いた少女の声は、もう誰にも消せなかった。




