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王子に追放された天才治癒師、隣国で病院を建てたら英雄になりました  作者: レモンティー


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第四十二話 薬箱に刻まれた王子の印

荷馬車が石畳を軋ませる音で、セレナは目を覚ました。

眠ったのは二時間ほど。

だが今日は、患者の容体より先に荷札の文字を読まなければならない。

共同検査室では、支援物資の一箱から王宮医療院の印が付いた古い薬瓶が見つかった。

「これは没収された私の研究室のものです」

セレナは瓶を開けずに封蝋と番号を記録した。

研究室の瓶には、彼女が昔つけた小さな傷があった。

盗まれた物が、救援物資に紛れて帰ってきた。

瓶の底には細い傷が二本あった。

セレナが王宮の研究室で、薬剤の種類を間違えないために刻んだ目印だ。

研究室を没収された日、彼女は備品一覧に署名することすら許されなかった。

「見覚えがあることと、現在の中身を知っていることは違います」

そう告げると、リゼは瓶に触れた人と時刻を一人ずつ記録した。

検疫所では、瓶の中身が救援用の消毒液ではなく濁った溶液だった。

「中身を決めつけないで。混入経路を追います」

エドガーが別室で検査し、輸送途中で封が替えられた痕跡を見つけた。

検査室のエドガーは、封蝋の破片を紙の上に並べた。

表側には王宮の印、内側には別の色の蝋が薄く残っている。

封が一度開かれた可能性は高いが、いつ誰が開けたかは分からない。

薬液も本来の配合と異なった。

「危険物と決めつける前に、患者に使えるものではないと確定させる」

彼は同じ荷から抜き取った未開封の対照品と比較した。

王国の輸送局では、荷札の筆跡が王子の旧側近カイムの部下のものと一致した。

「王宮の命令書なら、なぜ今も有効なんだ」

ユリウスは旧命令の撤回が現場へ届いていないと指摘した。

証拠を急いで断定すれば、かつて自分を陥れた者と同じ過ちを犯す。

箱の荷札には三つの中継所の印があった。

最初の二つは日付が連続しているのに、最後だけ二日空いている。

ガレスはその間に雨で橋が流されたと聞いていたが、輸送記録には迂回の記載がない。

リゼは中継所の責任者へ問い合わせを出した。

「犯人探しの前に、荷物がどこを通ったかです」

荷車の御者を責める声が、そこでようやく静まった。

臨時評議会では、物資を使った妨害工作の疑いが浮かび、帝国軍は輸送停止を主張した。

「止めれば患者が死にます。検査を増やして運び続けましょう」

アーデリアは検査官を増員し、医療品と一般物資を分離した。

軍の会議では、護衛長が拳で机を叩いた。

「一本混ぜられたなら、全部混ぜられたかもしれない」

アーデリアはその懸念を退けなかった。

疑わしい箱を隔離し、別系統で仕入れた薬を先に運ぶ。

検査員が足りなければ帝国の薬師を派遣する。

ただし患者の搬送路は閉じない。

全面停止と無検査の二択ではないと示され、護衛長は渋々警備計画を書き直した。

診療室では、セレナは王子の印を見て追放の日の声を思い出した。

「今度は、誰にも記録を消させない」

彼女は証拠を三通に写し、帝国と王国の監督官へ預けた。

王国の若い倉庫係は、カイムの名が出ると青ざめた。

彼の上司は王子の旧側近の命令で帳簿を訂正していたという。

ただし本人が見たのは署名のない伝言票だけだった。

セレナは「王子が命じた」

と書きかけた記録係の手を止めた。

「聞いた話と見た物を分けてください」

それはかつて自分に向けられた根拠のない告発への、静かな抵抗でもあった。

検査の最中、若い薬剤係が瓶を持ち上げようとした。

「中身を確かめれば、すぐ使えるか分かります」

セレナは手を止めさせた。

封蝋の欠け方も、底の傷も、誰がいつ触れたかを示す手掛かりになる。

中身を調べる必要があっても、先に記録を残さなければならない。

「患者を待たせてまで、証拠を守るんですか」

「この瓶を使う必要があるかどうかも、まだ分からない。今使える薬と混ぜないで」

エドガーは検査担当と医療担当を分け、代替薬の在庫を調べた。

必要な患者には安全性を確認済みの別製剤を回し、問題の瓶は立会人の前で封蝋と傷の位置を示す精密な写図を作ることにした。


午後、王国側の係官が「王宮の所有物だ」

と返還を要求した。

書類には王子の印が押されている。

リゼは救援協定の条項を指で押さえた。

「医療物資の使用可否は共同検査で決めます。所有権の争いは、その後です」

係官は顔を赤くしたが、同席していた王国の監督官が署名を拒んだ。

二人の意見が違うこと自体が、これまでの王宮では珍しかった。

セレナは瓶の傷を見ながら、追放の日を思い出した。

自分の机が封鎖され、研究記録が「不正の証拠」

と呼ばれた日。

あの時、誰か一人でも何を見たのかを確かめてくれていたら。

だが今、怒りに任せて王子の関与を断定すれば、同じことを繰り返す。

「この印は命令の存在を示すかもしれません。でも、誰が瓶を移したかまでは示しません」

若い薬剤係はその言葉を書き留めた。

夕方、検査待ちの棚には赤い札が一枚増え、使用可能の棚には青い札が二枚増えた。

証拠を守ることと、患者へ薬を届けること。

両方を諦めないために、二つの棚は離して置かれた。

検査室の扉の外で、薬を待つ老人が杖を鳴らしていた。

「王宮の薬なら効くのだろう」

セレナは使用を止めた瓶について、誰のものかと安全かどうかは別の問題だと説明した。

老人は不満そうだったが、代わりに渡された薬の名前と用法を聞くと、ゆっくり頷いた。

薬剤係は患者に渡す説明書を作り直した。

王宮の印があるから安心、帝国の印だから危険という思い込みは、両国に残っている。

瓶の検査が終わるまで、患者に必要な情報だけは止めない。

夜の引き継ぎで、若い薬剤係が「王子の印がある薬」

と書いた報告を読み直した。

彼は自分で「王宮の印がある瓶」

に訂正した。

「まだ王子が触れたとは分かりませんから」

セレナは頷いた。

たった数文字の違いだが、その違いを守れない組織が、いつか無実の人を追い出す。

検査室の灯りは遅くまで消えなかった。

検査官は中継所の記録を持ち帰った。

空白の二日間、荷車は王宮の旧倉庫で留め置かれていたという。

ただし倉庫の管理者の署名は読めず、出入りの記録も欠けている。

リゼは「旧側近が犯人」

と書きかけた報告の見出しを消し、「保管経路の未確認区間」

と書き直した。

セレナはその紙を見て、かつて証拠もなく罪を着せられた日のことを思い出した。

疑いは調べるためにある。

決めつけるためではない。

翌朝、使用可能と判定された薬だけが新しい箱に詰め直された。

問題の瓶は監督官二名の封印を受け、鍵の違う保管庫へ移された。

セレナは研究室の傷が見えなくなるまで箱の蓋を閉めた。

追放の記憶は消えない。

しかし今、患者を守るために必要なのは怒りを燃やすことではなく、次の一本を安全に届けることだった。

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