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王子に追放された天才治癒師、隣国で病院を建てたら英雄になりました  作者: レモンティー


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第三十六話 王子の命令を拒否した将軍

王国軍の天幕に、赤い封蝋の命令書が届いた。

将軍ハロルドは封を切り、最後の一行まで読んだ。

「国境へ向かう難民を阻止し、従わぬ者は拘束せよ」

副官が息を呑む。

「病人については?」

「書かれていない」

王子レオニスの名で出された命令だった。

医療回廊の試験運用は始まっている。

それでも、王宮は人が逃げ出すことを国の威信に関わると考えていた。

「通せば、王国の窮状を帝国に知らせることになる」

軍監が言った。

「止めれば、病人が街道で倒れる」

ハロルドは地図を広げた。

「ここで人を止めれば、軍の補給路も詰まる。水場は一つしかない。兵営まで感染が広がるぞ」

「将軍は王子殿下の命令に異を唱えるのですか」

「そうだ。理由も書面に残す」

副官は周囲を見回した。

軍監の顔がこわばる。

「命令違反の記録が残れば、将軍だけでは済みません」

「私が命じたことにする」

「兵は私の指示で動きます。私の名も必要です」

副官は自分の印章を机に置いた。


夕刻、封鎖地点から伝令が駆け込んだ。

妊婦を乗せた荷車が足止めされている。

家族が通行を求め、兵士が剣を抜いたという。

ハロルドは馬に乗った。

「武器を下げろ。荷車を確認する」

現場では若い兵が泣きそうな顔で槍を握っていた。

「命令です。誰も通すなと」

「その命令の責任は私が取る」

ハロルドは荷車に近づいた。

妊婦の呼吸は荒く、付き添いの老人が何度も頭を下げる。

「ここで出産させるのか」

「そんな設備はありません」

「なら、医療回廊へ運べ」

兵士たちは動いた。

命令を破ることより、目の前の人が死ぬことを恐れた顔だった。

しかし、一台の荷車を通しただけでは終わらない。

列の後ろには、同じように助けを求める人がいる。

ハロルドは通行を医療担当者の確認に委ね、兵は武器の持ち込みと混乱を防ぐ役に徹するよう命じた。


翌朝、ハロルドは野戦病院へ向かった。

彼が幕をくぐると、昨夜運び込んだ妊婦は無事に出産したと聞いたが、彼が確かめたかったのは別のことだった。

「昨日、通せなかった者はいるか」

医療担当の軍曹が帳面を差し出した。

「重症者は通しました。しかし家族と離された子供が四人。二人はまだ親を探しています」

ハロルドは唇を噛んだ。

「通行を認めただけでは、救ったことにならんな」

「兵は検問を緩めるのが精一杯でした」

「それでも、引き継ぎ先を決めなければいけない」

彼は王国側の救護所と帝国側の登録所へ、家族照合の連絡を出した。

兵の仕事を増やす命令だったが、軍曹は黙って敬礼した。

軍監がやって来たのはその直後だった。

「将軍。王子殿下の命令に従うふりだけでもできませんか」

「ふりをして、その間に誰かが死んだら?」

「殿下が誤った判断をされたとしても、軍には秩序が必要です」

「秩序は必要だ。だから命令違反を隠さず報告する。私がしたことを、兵の独断にはしない」

軍監は苦しげに顔を背けた。

彼もまた、命令書を握る指に力が入っていた。

野戦病院の視察を終えたころ、王宮から急使が来た。

「ハロルド将軍を解任する。指揮権を軍監に移せ」

軍監は命令書を読み上げ、兵士たちへ向き直った。

「今後、難民の通行は全面禁止とする」

だが副官が進み出た。

「昨日の救護活動は将軍一人の判断ではありません。私が現場指揮を執りました」

「反逆を認めるのか」

「記録を正確にするためです」

ハロルドは副官の肩を掴んだ。

「お前まで処罰される必要はない」

「将軍。昨日の兵たちは、誰を守っていたんでしょう」

副官の声は静かだった。

「私には、間違っていたとは思えません」

王宮へ送られる前、ハロルドは部下に最後の助言を残した。

武装蜂起をしないでほしいこと。

患者を運ぶ道を塞がないでほしいこと。

新しい指揮官にも、命令の危険性を文書で報告してほしいこと。

「私のために剣を抜くな。剣を抜けば、守ろうとした人々を傷つける」

解任の文書を読まれた後、若い兵士たちが天幕の前に集まった。

「将軍を連れて行くなら、俺たちも王都へ」

「護衛のつもりか。それとも抗議か」

答えはなかった。

ハロルドは彼らの槍を見た。

「昨日、槍を下げたから患者を通せた。今日それを上げれば、何を守ったのか分からなくなる」

「でも、このままでは命令に逆らった者が負けです」

「勝ち負けで人の命を数えるな」

ハロルドは副官に、救護の記録を三通作るよう頼んだ。

王宮、現地の医療担当、そして帝国との連絡窓口へ。

処罰されても、通した人数と通せなかった人数が消えないように。

馬車の中で、彼は将軍章を外した。

重みは金属の分だけだったはずなのに、肩がひどく軽く感じられた。

王都で弁明の機会が与えられる保証はない。

それでも、妊婦の荷車を止める命令に従っていれば、今ごろ自分は何を弁明しただろう。

そう考えると、恐怖は消えなくても、答えだけは揺らがなかった。

王宮への道で馬車が最初の検問に止められた。

護送兵は将軍章を外したハロルドを見て、戸惑いながら敬礼した。

「昨日、妹を通していただきました」。

ハロルドは名を尋ねず、ただ妹の容体を確かめた。

「まだ熱がありますが、診てもらえました」。

それだけで十分だった。

命令書に記されない人間の生活が、街道の向こうに続いている。

護送兵は別れ際に小さく敬礼した。

ハロルドはそれに応えなかった。

軍人としての礼を返せば、若い兵を命令違反に巻き込むかもしれない。

ただ窓越しに頷いた。

今はそれが、彼にできる精一杯の返礼だった。

彼は黙って前を向いた。

次の検問所を発つとき、先日救護した妊婦の家族が道端にいた。

「将軍、あの子が生まれました」

老人が頭を下げた。

「女の子です」

ハロルドは目を閉じた。

王宮で待つ処罰が軽くなるわけではない。

それでも、通した荷車の先に命があった。

ハロルドが護送されて数日後、将軍の解任を知らせる文書が王都に掲示された。

軍の救護報告は副官が控えを残し、現地の連絡窓口にも送った。

副官はその報告書の控えを机に残した。

将軍が解任されても、救護された患者の名と搬送先が消えないようにするためだ。

「閣下の命令に従ったと書きましょうか」と部下が問うと、副官は首を振った。

「私たちも自分で判断した。責任を一人に押しつけるな」。

兵たちが選んだのは、英雄を作ることではなく、次に同じ命令が来ても迷わない記録を残すことだった。

ハロルドの署名があるのは、解任前に作成した救護報告の原本だった。

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