第三十一話 王子が隠した死亡台帳
王都の医療院では、夜中にだけ書庫の鍵が動く。
ユリウスはその音を、三晩続けて聞いていた。
その日の昼までに確認した医療院内の死亡記録は十七人。
だが、より長い期間と広い地域を含む埋葬許可証は百八十七枚あった。
別の照合資料で確認済みの死者は六十一人。
十七人、百八十七件、六十一人は期間と対象が異なり、重複の可能性もあるため単純に足し合わせられない。
それでも、同じ日の同じ病棟から消えた名前を説明できなかった。
「数を足せば真実になるわけじゃない」
彼は蝋燭を近づけ、帳簿の綴じ糸を確かめた。
一本だけ新しい。
挟み込まれた紙には、病棟の名前がなく、患者の番号だけが並んでいる。
背後で床板が鳴った。
「そこまでだ、ユリウス」
院長オルフェンが立っていた。
外套の下には、王宮の封印が押された受領書がある。
「明朝、死亡台帳の原本を引き渡せという命令が来た。拒めば医療院を閉鎖すると」
「閉鎖されたら、患者はどうなります」
「だから従うしかない」
「従えば、患者が死んだ事実までなくなります」
王宮から管理権限を停止され、院長の職務を解かれたオルフェンは反論しなかった。
代わりに一枚の診断書を取り出す。
十二歳の少女シーラの死亡を証明した紙だ。
診断医欄にはセレナの偽造署名があり、院長承認欄にはオルフェン自身の署名があった。
「私は一度、こうして間違えた」
「間違いですか」
ユリウスの声が硬くなる。
「あなたはあの子が生きている可能性を調べなかった。セレナを追放する書類にも署名した」
「分かっている」
「なら、今度は何を守るか決めてください」
扉の外で見張りが咳をした。
ユリウスは台帳を抱え込まず、机の上に戻した。
「診断書と死亡台帳は別の証拠です。少女の偽造署名だけでなく、他の死者の記録がどう処理されたかも追います」
「原本を隠せば、盗んだと言われる。だから正式に受領させます。誰が、何時、どの状態で持ち出したか、立会人の署名を残す」
「王宮が署名を拒んだら?」
「拒否したことを書きます」
オルフェンは初めて顔を上げた。
夜明け前、二人は病棟の担当者を呼んだ。
看護人が保管していた食事の配膳表、薬の払出帳、寝台の交換記録を並べる。
死亡台帳と異なる番号に印を付けた。
患者名を勝手に補うことはしない。
別人を死者として記録すれば、今度は自分たちが同じ過ちを犯す。
「この番号、私が覚えています」
若い看護人が指した。
「熱の高い男の子でした。母親が毎晩、窓の下から呼んでいた」
「名前は?」
「分かりません。呼び名だけです」
「それでいい。確認できたことと、覚えていることを分けて書こう」
明け方、墓守が小さな木札を七枚持ってきた。
埋葬された子供たちの名だ。
七枚とも、死亡台帳にはなかった。
オルフェンは札の一枚を拾い、裏に刻まれた日付を見た。
「この日の埋葬許可には、私の印がある」
「覚えていますか」
「覚えていない。だからこそ、調べなければならない」
王宮の使いが来たのは朝の鐘と同時だった。
二人の近衛兵が、台帳を渡せと手を伸ばす。
「こちらに受領書があります」
ユリウスが言うと、兵士は鼻で笑った。
「王太子殿下の命令だぞ」
「だから、殿下の命令として記録します」
オルフェンが受領書を差し出した。
手は震えていたが、引っ込めなかった。
午前中、ユリウスの診察室を訪れたのは、パン屋の妻だった。
夫が亡くなった日に、医療院から返された上着を抱えている。
「この人は、どこへ行ったのでしょう」
「亡くなったと聞いています」
「なのに役所では、生きているから配給券を返せと言われました。私は夫が死んだ証拠を出さなければ、パンも受け取れないのですか」
ユリウスは即答できなかった。
死亡証明が取り消された人間は、書類の上では生きている。
家族は弔うことさえ妨げられ、救済を受ける資格も失う。
「上着の内側に、名前が縫ってあります」
妻は袖口を裏返した。
薄い糸で刺繍された二文字が、擦れて残っていた。
「それだけで死亡を証明することはできません。でも、あなたが今日ここへ来たこと、夫の最後の病室、返された持ち物は記録できます」
「また紙ですか」
怒りではなく、疲れ切った声だった。
「紙だけでは終わらせません。役所へ同行する職員を手配します。配給の扱いは別に申請できます」
妻は上着を抱き直した。
礼は言わなかった。
それでも、帰り際に夫の呼び名を教えてくれた。
昼過ぎ、配膳係が帳簿を抱えて駆け込んできた。
「先生、消された番号の患者に、三日続けて粥が運ばれています」
「亡くなった後にも?」
「そう書かれています。でも、私たちは空の寝台に食事を置きません」
死亡日と移送日が混同された可能性がある。
ユリウスは断定せず、病棟の移動記録と配膳係の勤務日を確認した。
そこで初めて、同じ番号が二つの病棟に現れていることに気づいた。
「誰かが名前を消しただけではない。患者の行き先も分からなくなっている」
オルフェンは机の縁を握った。
「王宮へ渡す前に、この矛盾も書き添えよう」
「院長が署名するのですか」
「私の印がある書類から始まった問題だ。今度は私の名で訂正を求める」
その声には、以前のような威厳はなかった。
けれどユリウスは、初めて院長を同じ机の側にいる人間として見た。
王宮の使いは受領書を突き返しかけたが、オルフェンが「私も立会人として署名する」と告げると、兵士は不機嫌そうに署名した。
台帳が運び出された後、書庫には空の棚だけが残る。
「これで勝てると思うか」
オルフェンが尋ねた。
「いいえ」
ユリウスは、複数の記録を照合した一覧を布で包んだ。
「でも、誰かが『その人は存在しなかった』と言ったとき、違うと答える材料は残りました」
その日の午後、王宮から新しい通達が届いた。
病死者の氏名を口外した医療従事者は、国家への背信として処罰する。
ユリウスは通達を壁に貼った。
その隣に、患者の診察を中断してはならないという医療院の規則も貼った。
その夜、ユリウスは配給所へ同行する職員に、証明できないことを証明したと書かないよう念を押した。
「死者の名前を取り戻す仕事で、新しい嘘を作ってはいけない」。
職員は頷いた。
配給所が認めたのは暫定的な食料支援だけだった。
それでも妻は、夫の名が書かれた控えを大切そうに折った。
その控えには、まだ空欄がいくつも残っていた。
ユリウスは空欄を隠さず、調査中と記した。
いつか遺族が再び訪れたとき、どこまで確かめられたか説明できるようにするためだ。
夜の見回りで、ユリウスは病棟の戸口に立つ母親を見つけた。
「息子が生きているなら会わせて。死んだなら墓を教えて」。
彼は返事を急がず、最後に面会した日時を聞き取った。
台帳にない患者の行方を調べることは、王子を告発するためだけではない。
待ち続ける人に、確かめた言葉で答えるためだった。
両方を守れる道は、もう狭かった。




