↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
王子に追放された天才治癒師、隣国で病院を建てたら英雄になりました  作者: レモンティー


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
30/135

第三十話 王国の治癒師が、帝国へ逃げてきた

国境の門を叩く音が、夜の見張り台まで響いた。

「開けてください! 治癒師です。王国の医療院から来ました!」

門兵は槍を下げなかった。

王国軍が橋を封鎖し、避難民を追い返そうとしてから、国境では身分を偽る者も増えていた。

雨に濡れた三人の若者が、両手を見せて立っていた。

いずれも王国医療院の外套を着ている。

その一人が、胸元から金属の徽章を外して地面に置いた。

「これを返す場所が、もうありません」

門を越えた治癒師は、差し出された水を両手で受け取った。

だが、飲む前に後ろを振り返る。

「私だけ逃げてきました。残った同僚がいます」

セレナは責めなかった。

逃げ延びた人からしか聞けない事実がある。

「今夜は休んで。明日、名前と最後に見た場所を教えてください」

「信じてもらえますか」

「あなたの言葉は記録します。確認できることは確認します。それから助ける方法を考えます」

治癒師は水を一口飲み、そこでようやく泣き出した。

セレナは背中に手を置き、泣き終わるまで質問をしなかった。

しばらくして、門兵の隊長が三人を待機室へ案内した。

「あなたたちの名前と所属を教えて」

先頭の青年が名乗る。

ハイン。

二十二歳。

後ろの二人は治癒師のルカと、見習いのネリだった。

「王国医療院では、貴族の病室に人を残し、城下の施療所を閉じる命令が出ました」

「それで逃げてきたの?」

「最初は従いました」

「私が署名した配属表のせいで、城下の診療所へ送るはずの人手が減りました。命令だったと言えば、責任が消えるわけではありません」

ハインは震える指を膝の上で組んだ。

「同僚の一人は残って、患者の名前を書き続けています。逃げた私に、その記録を渡してくれました。彼女の名を出せば危険になる。だから、まず本人の安全を確かめてから提出したいんです」

セレナは頷いた。

「記録の存在と、あなたが直接見たことを分けて聞きます。残った人を守る方法も一緒に考えましょう」

ハインは唇を噛んだ。

「一週間前、門の外で子供が倒れていたんです。助けに行こうとしたら、衛兵に止められました。命令に背けば資格を奪うと」

彼はその場で黙った。

セレナは急かさなかった。

「結局、助けられなかった」

ルカが代わりに言った。

「私たちは、それでも次の日に出勤しました。怖かったから」

ガレスは三人の荷物を確認した。

医療器具と着替え、薬草の小袋。

患者名簿はなかった。

「書類は持ち出していないのか」

「患者の秘密まで売り渡すつもりはありません」

ネリが初めて顔を上げた。

「でも、王宮が隠していることは話せます。夜になると、死亡した患者の札を別の箱へ移すんです。帳簿の数字が合わないと、担当者が怒鳴られる」

セレナは胸の奥が冷たくなるのを感じた。

ユリウスの密書にあった、消えた記録とつながる話だった。

ただし、証言だけで断定はできない。

「見たことと、聞いたことを分けて書いて。あなたたちの安全も守る」


翌朝、帝国の役人が面接に来た。

「敵国の資格をそのまま認めるわけにはいきません。偽の治癒師なら患者を危険にさらす」

「その通りです」

セレナが即答すると、ハインが目を見開いた。

「私たちを信用してくれないんですか」

「人としての話は聞く。でも、患者の前に立つ資格は別の問題よ」

エドガーが実技試験を用意した。

重症の患者に魔力を使う前に、どこを確認するか。

魔力が足りないとき、誰に助けを求めるか。

清潔な布と汚れた布をどう区別するか。

ルカは適切に答えたが、ハインは患者役の腕に触れる前の手洗いを忘れた。

ネリは診察の順番を誤り、意識のない患者役を後回しにした。

「王国では、そんなことは教わりませんでした」

ネリの声は震えていた。

「だから、ここで学ぶの」

セレナは失敗の印をつけた紙を破らずに返した。

その日の夜、ハインはセレナの部屋を訪れた。

「先生は、私たちを憎んでいないんですか。先生が追放されたとき、医療院にいた者は誰も止めませんでした」

「憎んだことはあるわ」

セレナは机の上の古い研究ノートを閉じた。

「誰かが声を上げてくれたら、と思った。今でも思う。でも、あの日黙っていた人が、今日も黙る必要はない」

「許してもらえるんでしょうか」

「それは、私が決めることじゃない。あなたがこれから助ける人たちに、仕事で示して」

ハインは深く頭を下げた。


翌日、仮登録を終えた三人に、セレナは一つだけ尋ねた。

「王国で、患者に何が起きているか話せますか」

ハインは唇を噛んだ。

「名前を出せば、残った同僚が捕まるかもしれません」

「なら、名前は要りません。治療に必要な事実だけ教えてください」

逃げてきた者を情報源として使い潰すことは、追い出した側と変わらない。

セレナは面談を切り上げ、まず温かい食事を用意させた。

三人には、監督者の下で働く試験的な勤務が認められた。

初日は薬の運搬と病室の清掃。

ハインは不満を言わず、床に落ちた包帯を拾った。


昼過ぎ、国境の向こうから急使が届いた。

『王国医療院、治癒師三名を反逆者として指名手配』

ガレスが紙を読み、セレナを見た。

「引き渡し要求が来るかもしれません」

「来るでしょうね」

セレナは三人の仮登録証を机に並べた。

「でも、彼らがここで何をしたかは、こちらの記録に残る」

窓の外では、看護人学校の生徒たちが患者用の寝台を運んでいた。

国境は人を分ける線だった。

けれど、病室で必要とされる仕事まで分ける理由にはならない。


翌朝、ハインが最初に口にしたのは、治癒魔法の呪文ではなかった。

「手を洗ってから、始めます」

同じ朝、ハインは監督者の前で患者の少年に尋ねた。

「私が診察を手伝ってもいいですか」

少年はしばらく考え、うなずいた。

ハインは手を洗い、エドガーの指示で脈と呼吸を確かめた。

魔法を使う許可はまだ出ていない。

それでも、患者の状態を正確に伝える仕事はできた。

「昨日まで、私は命令書ばかり見ていました」

診察を終えたハインが言った。

「今日は、患者の顔を見ました」

セレナは仮登録証を手渡した。

正式な資格ではなく、監督下で働くための証明だった。

「過去のことは、これから調べる必要があるわ。でも、今ここで患者に何をするかは、あなた自身が選べる」

そのとき国境守備隊から、前日に届いた指名手配状への正式な引き渡し照会が来た。

ハインは正式な照会書を読んで顔を青くした。

ルカとネリが互いの手を握る。

「引き渡されますか」

「帝国の手続きで審査されます。王国の命令だけで決まることではありません」

セレナは答えた。

彼らを無条件に信じることと、危険な場所へ無条件に送り返すことは違う。

ネリは実習記録の端に、小さく子供の名前を書いた。

王国の門前で助けられなかった子の名だった。

「ここで働けるようになったら、あの子を助けられなかったことが消えますか」

「消えないわ」

セレナが答えると、ネリは顔を上げた。

「でも、次に同じ年頃の子が運ばれたとき、どう動くかは変えられる」

ルカは隣で汚れた布の処理手順を読み直し、ハインは手洗い場に立った。

三人の亡命は終わりではなく、誰かの命を預かる資格を一から問い直す始まりだった。

三人は、まだ正式な職員ではない。

それでも翌日の実習に向け、監督者から渡された手洗いの手順を読み始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。