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王子に追放された天才治癒師、隣国で病院を建てたら英雄になりました  作者: レモンティー


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第二十六話 王国兵が、国境の橋を封鎖した

国境の石橋に、二列の槍が並んでいた。

王国兵が道を塞ぎ、帝国側には荷馬車と避難民が詰まっている。

川の上を吹く風は冷たく、列の先頭にいる母親は、毛布に包んだ幼子を胸に抱いていた。

「通行禁止だ。病を帝国へ持ち出すな」

王国の指揮官は、赤い封蝋の命令書を掲げた。

「病人を閉じ込めれば、病は消えるのですか」

セレナが問いかけると、指揮官は目を細めた。

「追放された治癒師か。お前に王国の法を語る資格はない」

「法の話をしに来たのではありません。あの子の呼吸を確かめたいのです」

母親の腕の中で、幼子は泣く力も失っていた。

唇が乾き、瞼が半ば閉じている。

帝国側の護衛との連絡役を務めるガレスが、セレナの前に立った。

「こちらから武装して渡れば、戦争の口実になります」

「分かっています。だから武器を持たない医療班だけで交渉します」

彼女は腕章を巻き直した。

橋の向こうで子供が泣き始めた。

荷車に積まれた薬箱を守ろうとする商人と、通行を止める兵士の声が重なる。

セレナは槍の先を見ず、兵士の胸についた階級章を見た。

「命令を破れとは言いません。救護のために誰の許可が必要か、名前を教えてください」

若い兵士は一瞬ためらった。

「隊長です。ですが隊長も、王都からの命令だと……」

「では隊長に、患者の容体を直接見てもらいます。記録も残します」

セレナは濡れた石の上に膝をつき、幼子の呼吸を数えた。

兵士が目をそらしたのは、その小さな胸が不規則に上下していたからだった。

エドガーは橋のたもとに小さな診察台を設けた。

帝国へ渡れた者を優先するのではなく、両岸から見える場所にした。

「橋の上の人にも聞こえるように、症状の確認方法を伝えます」

看護人たちが声を張る。

意識の有無、呼吸の速さ、飲水できるか。

重症者の目印として白布を渡す案が出たが、王国兵は布の受け渡しさえ拒んだ。

セレナは声を荒らげそうになり、踏みとどまった。

怒りをぶつけても、槍の先は下がらない。

「指揮官殿。病人を王国に留めるなら、そちらで診療する人と水が必要です。医師は何人いますか」

「それは軍機だ」

「では、医師が足りない場合に備え、こちらから診療資材だけ渡させてください。患者を移動させずに済みます」

指揮官は黙った。

背後で一人の兵士が、咳をしている老人に目をやった。

「何も渡すなという命令だ」

「その命令は、患者を死なせても守るものですか」

問いに答えたのは指揮官ではなかった。

「隊長、あの子は朝から水を飲んでいません」

若い兵士の声は小さかったが、橋の上ではっきり聞こえた。

母親が膝を折った。

「お願いです。帝国へ行きたいんじゃありません。子供を診てほしいだけです」

幼子の首が力なく傾く。

セレナはガレスに合図した。

「橋の中央まで、私だけ行きます。護衛は動かさないで」

「危険です」

「危険なのは、今ここで何もしないことです」

王国兵が槍を交差させる。

そのとき、若い兵士が一歩前へ出た。

「隊長。私が付き添います。逃亡を防ぐためという名目で」

指揮官は顔をしかめたが、周囲の視線に気づいた。

橋には商人も荷運びもいる。

幼子を目の前で死なせたという噂は、命令書より速く広まる。

「十分だけだ。武器も魔法具も持ち込むな」

「治療道具は必要です。中身を確認してください」

セレナは鞄を開き、清潔な布、水を入れた容器、記録帳を見せた。

幼子は重い脱水状態に見えた。

セレナは呼吸と反応を確かめ、エドガーに声が届く位置で処置の判断を共有した。

無理に飲ませれば危険な状態であるため、母親には姿勢を保ってもらい、搬送の必要性を説明する。

「このまま橋に座らせておくことはできません。王国側の診療所へ運ぶか、こちらへ通してください」

指揮官は歯を食いしばった。

「病人を一人通せば、全員が通せと言い出す」

「ならば、重症者を選ぶ基準を両軍で決めましょう。全員を一度に通す話ではありません」

エドガーが向こう岸から記録用紙を掲げた。

患者の氏名、状態、搬送時刻、付き添い人数。

王国側に写しを残せる形式だ。

「軍が誰を通したか分からなくなることはありません」

若い兵士が紙を受け取り、指揮官へ渡した。

長い沈黙のあと、指揮官は槍を下げさせた。

「重症者だけだ。今日限りの臨時措置とする」

セレナは安堵しかけたが、言葉を飲み込んだ。

今日限りでは、明日も人が倒れる。

「では、今日の記録を残しましょう。明日、同じ判断が必要になったときのために」

若い兵士が槍を下げたとき、隣の兵士が低い声で言った。

「命令違反だぞ」

「分かっている」

「なら、なぜ」

若い兵士は母親の腕でぐったりした幼子を見た。

「この子が死んだあと、命令書を見せて納得してもらえるのか」

誰も答えなかった。

指揮官は兵士の名前を控えたが、その間だけ、搬送路は塞がれなかった。

最初の搬送が終わったころ、橋の向こうで騒ぎが起きた。

王国の伝令が馬を飛ばしてきたのだ。

指揮官が命令書を読み、顔色を変えた。

「……今後、帝国との接触を一切禁ずる。違反者は反逆罪」

さきほど通された幼子の母親が、帝国側の診療所で泣いていた。

若い兵士はその声を聞きながら、ゆっくり槍を握り直した。

セレナは新しい命令書を見つめる。

救えた命は一つ。

橋の向こうには、まだ数百人がいた。

川の流れだけが、誰の命令にも従わずに国境を越えていた。


その夜、臨時通行の記録を確認したガレスは、セレナに一枚の紙を渡した。

救護のために橋を渡れたのは重症者七人と付き添い九人。

橋の向こうには、まだ数百人が残されている。

「明日から接触を禁じる新命令が届いています。今日の方法は使えません」

「では、今日のうちに王国側へ渡した診療手順書は?」

「受け取った若い兵士が持っています。無事に使えるかは分かりません」

セレナは小さな幼子の名前を思い出した。

搬送されたあと、母親は何度も礼を言おうとしたが、彼女は経過を見守る仕事に戻った。

救えたかどうかは、まだ決まっていない。

「一人を通せたことを勝利にしないでおきましょう」

セレナが言うと、ガレスは驚いた顔をした。

「どういう意味ですか」

「通れなかった人たちのために、次の方法を考えるという意味です」

ガレスは搬送名簿の最後の行を指でなぞった。

橋を渡れなかった患者の欄には、診療所で待つ家族の名が残されている。

「明日も同じ場所で待っているかもしれません」

「だから、今日の記録を捨てないで」

セレナは名簿を閉じず、翌朝の連絡係に引き継いだ。

橋の上の槍は、夜明けには再び閉じるだろう。

川の流れだけが、命令書の文字を知らずに国境を越えていた。

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