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王子に追放された天才治癒師、隣国で病院を建てたら英雄になりました  作者: レモンティー


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第二十五話 王国から届いた、二枚の手紙

夜明けの施療院に、封蝋の押された箱が運び込まれた。

箱を抱えた王国使者は、患者用の長椅子を見て眉をひそめた。

「王家の文書を、このような場所で開封するおつもりですか」

「ここが私の仕事場です。感染の疑いがあるなら、入口で手を洗ってください」

セレナが水桶を示すと、使者は口を結んだ。

背後には熱を出した少年を抱える父親が並んでいる。

使者の立派な外套が、少年の咳に合わせて揺れた。

封筒は二通あった。

一通目は王家の紋章。

もう一通は、宛名の端に泥がついた薄い紙だった。

「まず国王陛下の慈悲をお伝えします」

使者が読み上げた文面には、追放処分の停止、医療院への復職、そして『罪を悔い改めた場合に限り』という条件が並んでいた。

最後の一行には、復職を受け入れるなら十日以内に王都へ帰還せよ、とあった。

身の安全も、同行者の保護も書かれていない。

セレナは一度、封筒の縁を指でなぞった。

王都に戻れば、かつて自分を追い出した診療室に立てるかもしれない。

けれど、患者の死亡を認める署名をすれば、シーラをもう一度殺したことにされる。

その条件だけは、受け入れられなかった。

「私が犯した罪とは何ですか」

「過去の判断について、今さら論じる必要はありません」

「必要があります。患者の命を奪ったとされたのです。誰が診断書を書き、誰が遺体を確認したのか。それを確かめずに戻れば、同じことが起きます」

使者は紙を畳んだ。

「王子殿下は寛大なお方です」

「寛大さを証明するために、死者の名を使わないでください」

その言葉に、入口の父親が顔を上げた。

セレナは彼の方へ向き直る。

「先にお子さんを診ます。話は後で」

使者が抗議しかけたが、エドガーが診察室の扉を開けた。

「急ぐなら手伝ってください。清潔な布を運ぶ人手が足りません」

使者は初めて、口を閉じた。

セレナは二枚の手紙を並べ、封蝋の印と差出人の日付を確かめた。

一枚は王家の命令、もう一枚は古い同僚からの私信だった。

「どちらを信じますか」

使者が問う。

「どちらも、そのままでは信じません」

セレナは答えた。

命令書は公文書として写しを取り、私信は本人にしか知りえない出来事と照合する。

そこまでして初めて、次の行動を決められる。

使者は不満そうだったが、同僚の手紙に記された患者の名前を見た瞬間、言葉を止めた。

そこには王宮が公表していないはずの事実があった。

少年の呼吸が落ち着いた昼過ぎ、セレナは二通目を開いた。

差出人の名はない。

しかし、最後の『記録は嘘をつかない。

嘘をつかせる者がいるだけだ』という一文に、見覚えがあった。

「ユリウスの字です」

追放された日の朝、彼は扉の脇で一度だけセレナを見た。

何も言わなかったその沈黙を、セレナは長い間、見捨てられた証拠だと思っていた。

だが今、紙の端には震えた筆跡で別の一行があった。

『あの日、声を上げられませんでした。

今度は、名前を消させません』

セレナは読み終えても、すぐには紙を置けなかった。

二通の手紙のうち、王家の封蝋よりも、こちらの擦れた文字の方が重く感じられた。

王宮医療院で診療記録を整理していた、寡黙な若い助手。

追放の朝、何も言えずに立ち尽くしていた男だった。

手紙には王都の死者数が記されていた。

公式発表は一週間で二十七人。

医療院から火葬場へ運ばれた遺体は、同じ期間に百四十六人。

うち五十八人は、名前を台帳から消されていた。

「この数字が本当なら……」

エドガーは最後まで言わなかった。

「複数の記録を照合しないと断定できません」

セレナは手紙を机に広げた。

日付、搬送経路、診療院の印。

ユリウスは数字だけでなく、調査できる手掛かりを残していた。

別紙には、シーラが『死亡した』日の夜間搬送簿の写しがあった。

搬送先の欄だけ、濃い墨で塗り潰されている。

「本人は生きている。けれど、この写しだけでは、誰が何のために偽装したのかまでは分からない」

「だから証人を守る必要がありますね」

エドガーは静かに答えた。


午後、皇女アーデリアが少人数の護衛とともに訪れた。

セレナは二通の手紙を見せた。

「王国が助けを求めているのは事実でしょう。しかし、救援隊が入れば、現地の患者を守れる保証はありません」

皇女は王家の文面を読み、指で机を二度叩いた。

「復職させるという言葉はあるのに、国境を越える医療物資の安全保障がない。避難民の通行も認めていない」

「それでは医師一人を取り戻しても、死者は減りません」

「王家への返書には、具体的な条件を書きましょう」

セレナは紙を引き寄せた。

まず、医療班への攻撃を禁じること。

患者の国籍や身分を問わず診療できること。

物資の輸送路を開くこと。

死者と患者の記録を改竄しないこと。

「王家には、この条件を満たす権限がある人の署名を求めます。私を呼び戻すだけではなく、現場の医師と患者を守る約束を」

セレナは返書の末尾に、短く書き加えた。

『私は罪を認めて戻ることはできません。

しかし、患者を助けるための協議には応じます』

拒絶と救援の意思を、同じ紙に残した。

筆を止めた彼女に、皇女が尋ねる。

「それだけですか」

「もう一つ。シーラの身柄を、王国の要求に応じて引き渡さないこと」

「帝国に保護を求めた証人です。本人の意思と安全を無視した引き渡しは認めません」

皇女の返答は早かった。

セレナは初めて肩の力を抜いた。

使者が返書を受け取った夕刻、セレナは診療所の裏門でユリウスからの密書をもう一度読み返した。

王国の公式発表と、医療院の搬送記録が食い違っている。

だが、搬送された者が全員亡くなったとは限らない。

「数字の差を、そのまま死者数と呼んではいけないわ」

エドガーがうなずいた。

「別の台帳との照合が必要だ。名前を消された人も、まず生死を確認しなければ」

セレナは協力者への返事を短くした。

『原本は持ち出さないでください。

危険なら調査を中断してください』。

証拠を得るためにユリウスを失うわけにはいかなかった。


その夜、薬草商人が国境の橋に王国兵が集められていると知らせた。

「荷が止まれば、明日の診療に影響します」

ミナの声が硬くなる。

セレナは手紙を封筒へ戻した。

王子の復職命令に従うつもりはない。

しかし、橋の向こうで倒れる患者のことを、政治の問題だからと後回しにもできない。

「明朝、皇女殿下に通行の交渉をお願いします。医療班の安全も、患者の受け入れ先も決めてから動きましょう」

王国から届いた二枚の紙は、過去を知らせた。

明日の命を守るには、まだ別の決断が必要だった。

セレナは返書を封じる前に、シーラの名が本文にないことを確かめた。

皇女の保護下にあることだけを示し、所在や証言内容は書かない。

王国側が少女の引き渡しを求めても、交渉の場で身柄を取引しないためだった。

「ここまで慎重にしても、王子は手を引かないでしょう」

エドガーの言葉に、セレナは頷いた。

「だから私たちも、言葉だけの約束では動かない。橋を開く時間、通れる患者の条件、物資を検査する場所を文書に残してもらうわ」

アーデリアはその案を聞き、軍と役所の担当者を呼んだ。

協定が成立していなくても、帝国側で待機できる寝台と水を確保するよう命じる。

「交渉が失敗しても、患者が来る可能性は残ります」

皇女は地図を畳んだ。

使者は署名済みの受領書を持ちながら、まだ帰ろうとしなかった。

「もし橋が閉じたままだったら、こちらの薬は無駄になりますか」

「無駄にはしません。こちらにいる患者にも必要です。ただ、向こうの人には届かない」

その違いを聞いた使者は、初めて自分から王国側の連絡担当者の名を告げた。

セレナは初めて、手紙への返事が言葉だけで終わらないことを実感した。

橋の向こうの患者に届くかどうかは、明日の行動にかかっていた。

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