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王子に追放された天才治癒師、隣国で病院を建てたら英雄になりました  作者: レモンティー


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第二十四話 黒熱病という名前を、誰が付けた

「『黒熱病』として搬送された患者、三名追加です」

正式な滞在許可を得て受付の研修に来ていたリゼが報告した。

エドガーは三人の症状が同じとは限らないことを確かめ、記録を患者ごとに分けるよう指示した。

報告を聞き終えたエドガーは、眉をひそめた。

「その名前は、誰が決めた?」

「王国から来た患者が、みんなそう呼んでいます」

「最初にその名前を記録した書類は?」

リゼは搬送票をめくった。

「三日前の王国側の通達です。発行者の欄には医師の名前がありません。行政印だけです」

「医師が診断する前に、役所が病名を決めたのか」

エドガーの声が硬くなった。

診療台に横たわる若い兵士は高熱を出し、腕に黒ずんだ痣があった。

だが隣の寝台の老人は、同じ高熱でも痣がない。

さらに奥では、激しい下痢で弱った子供が眠っていた。

三人とも『黒熱病』として運ばれてきた。

「名前が同じでも、原因が同じとは限らない」

セレナは記録紙を三枚に分けた。

「症状が始まった日、飲んだ水、食べたもの、誰と接触したか。まず別々に聞きましょう」

エドガーが頷く。

「確かな検査法がない以上、病名を断定して治療を一つに決めるのは危険だ」

二人は呼吸器症状、下痢、皮膚症状のある患者について、接触歴と症状に応じた暫定的な区域分けを行った。

原因不明のまま一律に安全とみなさず、看護人の手洗いと器具の共用防止も徹底した。

患者ごとの状態に応じて水分補給と観察を進めた。

呼吸が苦しい者、意識が鈍い者は優先して診る。

原因が分からないからといって、目の前の苦痛を放置するわけにはいかない。


昼過ぎ、王国の商人が診療所を訪れた。

「黒熱病に効く薬があります」

男は小瓶を並べた。

赤い液体の中に銀色の粉が漂っている。

「王都では一本で金貨二枚。それを半額にしましょう」

「有効性を示す記録は?」

セレナが尋ねると、男は胸を張った。

「飲んで助かった者が十人おります」

「飲まなくても回復した人は何人?」

「それは……」

「飲んだあとに亡くなった人は?」

商人の目が泳いだ。

「助かった人だけ数えても、薬の効果は分かりません」

セレナは小瓶を手に取らず、封を切らないまま返した。

成分も量も不明な液体を、弱った患者に使うわけにはいかない。

商人が帰ると、若い看護人が呟いた。

「でも、薬があると信じられたら、患者さんは安心するかもしれません」

「安心は必要よ。でも、根拠のない安心を売ると、治療の機会を奪うことがある」

セレナは言いながら、自分の声が厳しくなったことに気づいた。

看護人は患者を励ましたかっただけだ。

「あなたの気持ちは間違っていない。だからこそ、私たちが伝える言葉は正確にしよう」


夕方、エドガーが記録を持ってきた。

「痣のある患者は、同じ軍の野営地にいた。下痢の患者は別の村の井戸を使っている。今のところ、一つの病気とする根拠はない」

「王国の発表では、全部まとめて黒熱病ね」

「恐ろしい名を一つ付ければ、説明は簡単になる。だが対策は雑になる」

セレナは地図の上に印を置いた。

野営地、井戸、難民の移動路。

線を結ぶと、国境の橋が中心に浮かび上がった。

「病名より先に、どこで何が起きたか調べるべきだわ」


その夜、王国から一通の文書が届いた。

『黒熱病は帝国側の不衛生な診療行為によって拡大した疑いあり』

文末には王子レオニスの名があった。

セレナは読み終え、机に置いた。

「患者を診ずに、原因だけ決めたのね」

エドガーは窓の外を見た。

雨の中、診療所の灯りを目指して新しい患者が歩いてくる。

「ならば、こちらは決めつけずに調べよう。患者を守るために」

セレナは新しい記録帳の表紙に書いた。

『黒熱病調査』ではない。

『原因未確定の発熱患者記録』。

若い兵士は自分の腕の痣を見つめた。

「俺は、みんなにうつすのか」

「まだ分かりません。だから今は、症状を調べながら安全に診るのです」

エドガーは寝台の位置を調整し、使った器具を患者ごとに分けた。

恐怖を否定するだけでは人は安心しない。

何が分かり、何が未確認なのかを言葉にする必要があった。

「名前より、あなたの今の具合を教えてください」

兵士はようやく顔を上げた。


翌朝、三人の経過は違っていた。

兵士は高熱が続き、老人は粥を半分食べられた。

子供は下痢が収まらず、エドガーが付き添って水分と意識の状態を繰り返し確認した。

「黒熱病の薬を全員に配れば早いのでは」

看護人の問いに、セレナは三枚の観察票を並べた。

「同じ名前で呼ばれていても、危険な症状はそれぞれ違う。必要な処置も同じにはできないわ」

昼、王国の役人が患者名簿の提出を求めた。

病を持ち込んだ者を取り締まるという。

「個人名を渡せば、怖がって受診を避ける人が出ます」

セレナは症状別の患者数と、注意すべき徴候だけをまとめた報告書を差し出した。

「医療上必要な情報は共有します。でも、根拠のない病名で人を罰するための名簿は渡せません」

役人は不満を残して帰った。

その翌朝、掲示板には『黒熱病』の大きな文字の代わりに、呼吸困難、意識低下、強い脱水など、急いで診察すべき症状が掲げられた。

病の正体はまだ分からない。

だからこそ、患者を一人ずつ見失わないことが必要だった。


同じ日の夕方、発熱した兵士の弟が病院の門を訪れた。

兄の病名を聞いてから、家の主人に宿を追い出されたという。

「俺も、もう感染しているんでしょうか」

「症状がないことだけで判断はできません。いつ一緒にいたか、どんな接触があったかを聞かせてください」

セレナは弟を診察し、現時点で注意すべき症状と相談先を紙に書いた。

必要以上に人を恐れさせず、体調が変わったときには迷わず来られるようにするためだ。

弟は紙を折りたたんで胸元に入れた。

「兄に、会えますか」

「安全な方法を確認しましょう。今は声を届けるだけでもいいかもしれない」

セレナは王国から届いた患者移送票をもう一度調べた。

病名欄には一律に「黒熱病」とあるのに、発症日も居住地も異なる。

三枚だけ、記載された搬送担当者の印が同じだった。

「これは病気が同じ証拠ではないわ。でも、記録をまとめた人がいる証拠にはなる」

セレナは搬送票を日付順に重ねた。

最も古い三枚では症状欄が別々に記されていた。

ところが翌日以降の票には、異なる筆跡の上から同じ行政印が押され、病名欄だけが『黒熱病』に統一されている。

「医師の診断をまとめたのではなく、あとから分類を上書きした可能性があります」

「なぜ?」

「分かりません。ただ、この名称で患者を一括して移送し、帝国に責任を押し付ける文書が同時に出ている」

エドガーは黙った。

病気の正体はまだ不明だ。

しかし、誰かが不明なものを確定したように扱った経緯は、調べられる。

エドガーは印影を写し、原本を封筒に戻した。

病気の原因と記録の改変は別々に調べなければならない。

セレナは診療のための地図と、王国に照会するための書類を別の棚へ収めた。


翌日、セレナは王国の搬送窓口に、行政印の使用記録と元の診療票の照会を出した。

返答がなければ発行経路は断定できない。

疑いをそのまま告発に変えるつもりはなかった。

兵士の弟には、臨時の宿泊所を紹介できた。

兄との面会はまだ認められなかったが、病名だけを理由に門前払いすることはなかった。

「兄は、黒熱病なんですか」

「今は原因の分からない熱があります。それ以上のことは、調べてから伝えます」

少年は頷いた。

恐ろしい名前を消しただけで病気は治らない。

それでも、名前によって患者の人生を決めることは止められる。

セレナは二冊の帳面を閉じた。

一冊は患者を救うために、もう一冊は、誰が何を知りながら病名を決めたのかを確かめるために。

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