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王子に追放された天才治癒師、隣国で病院を建てたら英雄になりました  作者: レモンティー


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第二十一話 死んだ少女が、私の名前を呼んだ

少女は十二歳だった。

エドガーから事前に指示された観察項目に従い、セレナが額に触れると熱はなく、脈は少し速い。

頬はこけ、手首には古い拘束具の痕が残っていた。

「お名前を、もう一度教えてくれる?」

セレナは診察用の椅子に膝をつき、少女と目の高さを合わせた。

「シーラ。……先生、覚えてる?」

声を聞いた瞬間、王宮医療院の白い寝台が蘇った。

あの夜、苦しげな息の合間に少女が笑ったこと。


翌朝、遺体を見ることも許されず、死亡診断書だけを突きつけられたこと。

「覚えているわ」

セレナは言った。

手が震えていた。

「あなたに、もう会えないと思っていた」

「私も」

少女は笑おうとして、唇を噛んだ。

「また捕まるかと思った」

シーラは自分の名を言ったあと、何度も扉を振り返った。

廊下を通る靴音がするたびに、毛布の端を握りしめる。

「ここへ来る前、誰かに名前を言うなと命じられたの?」

セレナが尋ねると、少女は小さくうなずいた。

「私の名前を呼んだ人は、みんな怒られた。だから、私も忘れたふりをしてた」

セレナはエドガーの診療記録とは別に用意した保護記録の用紙を裏返した。

診察に必要な情報と、外へ出してはいけない情報は別だ。

少女の同意なしに、その名を掲示することはできない。

「ここでは忘れたふりをしなくていい。でも、話したくないことまで話さなくていいのよ」

シーラはしばらく唇を噛んでいたが、やがてセレナの袖をつまんだ。

「先生は、私が死んだって書いてある紙を見ても、私を生きてるって言ってくれる?」

「ええ。今ここで息をしているあなたを、私は診ているもの」

その返事を聞いて、少女は初めて背もたれに身体を預けた。

抱き締めたい衝動を、セレナはこらえた。

少女の体に傷がないか、今すぐ休ませるべきかを確かめる方が先だ。

水を少しずつ飲ませ、毛布を掛ける。

付き添ってきた老人には別室で話を聞いた。

「国境近くの農家に預けられていたんです。北の古い修道院で一時かくまわれ、その後、身元を隠すため農家へ移されたと聞きました。私が見つけたとき、この子は自分の名前を言うなと教え込まれていました」

「誰が預けたのですか」

「修道院から農家へ連れてきたのは、顔を隠した兵士だと聞いています。金貨を置いて、王都へ知らせるなと言ったそうです。私自身がその兵士を見たわけではありません。修道院の人は、追手から守るためだと説明していました」

老人はしわだらけの手を握りしめた。

「私が引き受けたのは農家で保護された後です。修道院で何があったかは、修道院の者にも確かめてください」

「病人が増えて、村に置いておけなくなった。連れて来るまで、何度も引き返そうとしました」

「ここまで連れてきてくださって、ありがとうございます」

セレナが頭を下げると、老人は初めて泣いた。

診療の判断を担うエドガーと、保護体制を決める皇女アーデリアが呼ばれた。

だが、少女を大勢で取り囲むことはしなかった。

「今すぐ証言を取るべきでは?」

皇女の護衛が尋ねる。

「疲れている子に、答えを急がせてはいけません」

セレナは言った。

「本人が話したいことを、本人の言葉で残します。思い出せないことは、思い出せないままでいい」

シーラはしばらく毛布の端をいじっていた。

やがてぽつりと話し始める。

「先生が帰ったあと、私、起きたの。喉が渇いて、お水を頼んだ」

セレナは一語ずつ書き留めた。

「白い服の人が来て、怖い顔をした。それから、窓のない部屋へ連れて行かれた」

「その人の名前は覚えてる?」

「分からない。でも、院長先生はいた」

セレナの筆が止まる。

「院長先生、泣いてた。『すまない』って言った。でも、兵士が『その名前を口にするな』って」

シーラは袖を引っ張り、手首の痕を隠した。

「私が悪い子だから、閉じ込められたの?」

「違う」

セレナは迷わず答えた。

「あなたは何も悪くない。私も、あなたが生きていてくれてうれしい」

少女の目から涙が落ちた。

セレナは許しを求めず、ただ手を差し出した。

シーラが自分から、その手を握った。

証言を聞き終えたアーデリアは、部屋を出てから護衛に命じた。

「この子の居場所を王国に知らせないで。護衛は目立たぬよう配置しなさい」

「王国の使者がまだ国境におります」

「だからこそです。生きていると知られれば、口を封じようとする者がいるかもしれない」

セレナは窓の外を見た。

橋には今日も避難民の列が続いている。

シーラを守ることも、その人々を診ることも、同じ場所から始まる。

少女の存在は、自分の無実を証明するだけではない。

誰かが一人の子供の人生を、書類の上で消したということだ。

シーラの母親は、まだ見つかっていなかった。

老人が同行してきたのはシーラ一人で、母親の所在を知る者はここにいない。

セレナは少女にそれを正直に伝えた。

「お母さんも、私が死んだと思ってる?」

「そう聞かされているかもしれない。でも、必ず確かめる。見つかる前に、会えると約束することはできないわ」

シーラは唇を噛んだ。

それでも、嘘の約束よりはよかったのだろう。

「じゃあ、見つかったら教えて。私が自分で、会うかどうか決めるから」

「ええ」

セレナは面会希望を診療記録とは別の保護台帳に書いた。

少女が再び誰かの都合で連れ去られないよう、鍵の保管者と訪問者の確認方法も決めた。

老人は帰り際、古びた布袋を差し出した。

中には子供用の靴が片方だけ入っていた。

「村に来たとき、この子が握っていたものです。捨てろと言われても離さなかった」

シーラは靴を見た瞬間、息を止めた。

「お母さんが、誕生日に買ってくれたの」

セレナは袋をそのまま返した。

証拠になるからと取り上げることはしなかった。

「持っていていいわ。必要なら、形や傷を記録させてもらうだけにしましょう」

少女は靴を胸に抱いた。

失われた一年を取り戻すことはできない。

それでも、少女の持ち物も名前も、これからは本人のものだ。

エドガーは保護室の前に交代の見張りを置き、医療スタッフには少女の名前をむやみに口外しないよう伝えた。

守るための秘密が、本人を再び閉じ込める秘密にならないよう、外へ出るときの付き添いと本人への説明も決めた。

寝台の傍らに小さな鈴を置くと、シーラは不思議そうに見た。

「鳴らしたら、誰か来るの?」

「昼も夜も。あなたが嫌なら、知らない人は部屋へ入れない」

少女は試しに一度だけ鳴らした。

廊下にいたイーナが戸を開け、「どうしたの」と静かに尋ねる。

「……本当に来た」

シーラは鈴を胸に抱いた。

セレナはその姿を見て、命を救ったと思っていたあの夜、自分が守れなかったものの大きさを知った。

今度こそ、誰かの都合で少女の声を消させない。


その夜、シーラは眠りにつく直前に尋ねた。

「先生、今度は明日もいる?」

「いるわ。朝になったら、また顔を見に来る」

その約束だけは、誰にも取り消させない。


その夜、王都では一通の密報がレオニス王子の机に置かれた。

『死亡処理済みの少女、帝国国境にて目撃情報あり』

王子は紙を握り潰した。

まだ確認されていない一行だった。

だが、彼はその一行を誰よりも恐れていた。

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